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どこになにを相談したって?

kokage|noteマガジン
デスクーリング~学校に行かないことへの罪悪感を拭って~

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『どこに何を相談したって?』(2018/12/28投稿・目次を編集)
抑圧からの回復プロセスと知る


相談先はどこにしますか

 正直な話。

 こどもが学校に行けないとなってからの親御さんの相談先にハラハラドキドキすることがあります。なぜ、それをそこに相談するのか?と、心配になることが多いんです。

相談先の例(□学校 □役所 □教育委員会)
相談内容:「こどもが学校に行きたがらないんです」

 なにを訊きたいの?
 なにを知りたいの?
 それがはっきりしていないので相談される側も困っています。公的な窓口では伝えられることが決まっており、案内できるところも限られているからです。公的機関の窓口では、相談者の悩みを解決するのではなく、案内ができるだけなのです。
 悩みを軽減してくれる場はあります。それは例えばカウンセリングを受けることです。ですが解消や解決にはなりません。解消や解決に向かう気持ちになれるよう心の負担を軽くしてくれるでしょう。

【重要なこと】 相談内容は「悩み」「問題解消」「問題解決」に区別すること


 抱えている悩みの実態をあきらかにできるのは、自分の内側をみつめようとする自分自身しかいませんし、浮き彫りになった課題を解消あるいは解決につながる行動も決定も自分自身しかいないからです。
 多くの悩み多き相談者は、どこになにを伝え、どこになにを訊きにいくのかを明確に理解していないように思えます。「相談する」というあまりにざっくりとした行動を、なんとなく、「ここならなんとかしてくれるはず」という思い込みだけで向かいます。特にこどもに関わることについては、ほとんどすべて「学校にまかせればいい」と考えている節があります。それで、まず「学校に相談する」となるのです。なにを相談するのかを考える前に「こどもが学校にいきたがらない」と言うだけで、あとの判断と決定を学校に任せて依存してしまうのです。

 私も「こどもが学校に行きたがらない」を経験しています。その時なにをしたのか?というお話です。

〈STEP1〉 確認すること

〈STEP1〉 確認すること
□こどもの状態・状況をみる
□学校環境をこども本人がどのように感じているか
□「学校に行く」以外の過ごし方を検討する

 思い浮かぶのは、まずこの3つです。最初に必要な事は事実を知ることです。なにが起きているのかを把握することです。

【重要なこと】 事実確認に徹する


 自分の感情(機嫌)のケアは、感情の乱れを引き起こしたきっかけ(事柄)とは切り離して、別個に対応することです。
 《〇〇だから××になった》という因果関係を無理やりつなげることは、この時にはさして意味がありません。それは状況が引き起こした結果に過ぎないからです。不安や落ち着きが無いなどの感情は結果です。ケアは原因はともあれ、経緯はなんであれ、結果を緩和する、あるいは改善する方向へ向けていけばよいのです。

【重要なこと】価値基準とその判断は《個人の価値観や信念》に基づいていると知る

 事実確認が出来たら、事実を判断します。判断基準は、いたって個人的な価値観が基盤になります。多くは、この判断材料という引き出しをどれだけたくさん持っているかで、こどもが置かれる状況が大きく左右されます。

 ですから、こども支援の方は、この判断材料の引き出しをたくさん持ってほしいと願っていますが、先に親・保護者の価値基準が極端に狭いと、個人の価値観という極めてプライベートな課題に立ち入ることになるので、相当な信頼関係が無ければ難しいことに早々に気づくはずです。
 価値観の変容は、個人の課題であり、主体的に望まなければ、外部から「変わりなさい」とはなかなか言えないものです。相手の個人の尊厳と自己決定を尊重しているからです。しかしながら、個人の尊厳つまり自尊心があるかどうか、そして自分で自分の人生を決定するということに慣れているかどうかで、再び新たな課題ぶつかってしまうのです。主体的に本人が選択し、決定し、その結果を本人自身で引き受ける覚悟を持てるかどうかという点です。

 どこまで掘り下げ、支援というつながりで関わり合っていくのか、行けるのか、その覚悟と信頼はあるのか、は、さぐりあいであり、非常に危なげなつり橋のうえを歩いているように感じられます。覚悟を引き受けるだけの価値があるのか、信頼に足るだけの価値を持っているのか、と、ここでもまた個人の価値観に左右されます。

 事実状況の把握という時点で、すみずみまでくまなく知りたくなる状況に陥るケースもあります。そして、それが起こった原因究明や謝罪や具体的な改善の要求といった方向へ進んでしまうと、その間に、こどもは家の中で置いてけぼりの状態のまま、あっという間に大切な心身の成長期間を無為に過ごしていくことになります。
 こども本人がなにをどうすればいいのかのアドバイスや支えを親からもらえず、親は学校などこどもが「そうなった原因」にばかり目をむけているからです。親・保護者たちは「こどものため」と自分の人生をかけて奔走しています。それが「己の不安払しょくの為」なのだと気づくのはいつになるのかは誰にもわかりません。

 このように親・保護者の目がこども自身に向いていないとき。重要なのは、こども本人と直接関わることができる第三者の介在があるかどうか、でしょう。けれども制度上もっとも重要な課題がここに横たわります。

 こども本人と公に関わるには、保護者・親の承認・承諾が必要なことが多く、公的機関が公にこども本人と関わる事が非常に困難です。半公共的な印象を与える団体機関(支援活動)も同様です。親・保護者との人間関係を考えると、日頃、距離を持っている程度の人からでは、個人的なかかわりを躊躇することもほとんどです。そして、なにか問題が起きてから初めて関わろうとするには、心理的に外部に敵対心を持ってしまっている状態にある親・保護者の信頼を得るハードルは、なかなか厳しいと実感します。

【重要なこと】信頼できる人とつながりは、《人を信頼できる》こと

 こども自身の個人的なつながり、私的なつながりが唯一の綱になってきます。こども本人のともだちやご近所の人です。この環境が創られるには、こどものプライバシーが親からも護られていることが必要不可欠です。こどもの世界があることを知って、過度に干渉せずに見守ることができる適度な距離感を親・保護者が持つことが大切です。こどもと他者が関わり合うとき、学校や親の思惑が一切介在しない環境(場)が唯一の望みになるのです。ですから「学校は?」「学校に行かなきゃだめよ」などという老婆心は(この時は)不要です。世間一般の認識として、それが良識ある人のすることとされているのが想像以上に困りものとなっています。学校に行こうと思えないこどもに、学校からの回し者はいらないのです。「学校」という言葉を思い起こすことが無い時間が絶対に必要不可欠です。

 「学校」を連想されることを引き起こすきっかけを作るのは、家に一緒にいる親がそうなることが実際には多いのでしょう。親自身が学校と関わることが多くなりますし、親の関心が学校に向いていればなおさらでしょう。
 関心はこどもに向いてほしいと思います。こどもの状態ではなく、こども自身に、です。

【重要なこと】
関心は、こどもの状態ではなく、こども自身(存在)そのものに向ける

 こどもを取り巻く環境を、親・保護者自信を含めたそれが明らかになっていくとき、それはとても心に痛みを伴う作業ではないかと思います。
 みずから孤独におちいらないよう自律していてほしいと思います。
 自分を責めないで。
 ましてや他の誰かに攻撃することで自分をなぐさめようとしないで。
 寄りかかれる誰かと一緒に居てほしいと心から願っています。なにもかも独りで背負ったりしないでいてほしいです。

 独りで背負うとするほど悩み、考え抜いているあなたこそが、今、こどもにとって一番必要な存在なのですから、そんなあなたが倒れてはいったい誰がこどもたちを守ってくれるのでしょう。
 なにがあったも倒れてはいけないのです。だから自分を守ることを第一に意識することがとても大切なのです。
 誰も責める必要なんかありません。ただ淡々と次に「すること」を決めていきます。

〈STEP2〉 判断する(腹に決める)こと

〈STEP2〉 判断する(腹に決める)こと
1)こどもの状態・状況から、どのような環境を整えるかを判断する
□自宅 □自宅以外
□ひとりで過ごす □誰かと一緒
□なにかをする □なにもしないで休息する
□診察(病院)が必要か(□身体症状 □心身状態)

2)学校環境がこども自身に与えている環境を判断する
□教室の雰囲気
□担任の先生の心身状態
(※抱えているトラブルの”内容”は直接的な問題ではない。)
□学校運営と学級運営(クラス、教室、クラスメート)の雰囲気、様子

 「判断すること」によって、取るべき行動が絞られてきます。
 しかし、この時点で「居場所を選ぶ」ことは、まだ早いと思います。こどもがどのような一日を過ごすのかは、親の一日にも影響します。つまり暮らし方、生活スタイルに直結するのです。おそらくこのとき親の暮らしとこどもの暮らしのどれをどれくらいなにを優先するのかを決定が迫られます。
 このとき、すぐに「なにを優先する」のかを決定してはいけません。これはなかなか難しいと感じることです。

【かなり重要なこと】優先順位を導き出す

 「優先する」と決められるものを優先順位の上位に持ってくるやり方は違います。さまざまな条件をあぶりだしていくうちに、優先順位は結果として導き出されます。

〈STEP3〉こどもの暮らし方を考える

〈STEP3〉こどもの暮らし方を考える
□一日をどのように過ごすのか。
  ↓
□暮らしに適した環境はどのようなものになるか。
  ↓
□どこを活用できるか。

  こどもの意思ももちろん重要ですし、尊重することです。しかし、こども自身の視野の届く範囲や、判断力の元となる経験を考慮したとき、こどもの意思決定以上に、親が合理的に配慮する領域もあります。そのバランスを取りながら調整していきます。試行錯誤ですから、時間もかかってよいし、なんどでも訂正していけばいいです。

〈STEP4〉活用できる場所を検討する

〈STEP4〉活用できる場所を検討する
□自宅
□フリースクール
□適応教室(教育支援センター)
□転校
□オルタナティブスクール(もうひとつの学校、一条校以外の学校の意)
□転地療養(祖父母宅で環境と気分を変えてみるなど)

 〈STEP4〉の検討がよく言われている「居場所」探しです。
 ここに至るまでに最優先することはなんでしょうか。「こどもの暮らし方を考える」と示しましたが、「親の暮らし方」が優先する家庭もあります。どちらが良いのかというわけではありません。どちらを先に考えるかだけの違いであって、両方とも尊重する、尊重される、個々の人生の一幕だととらえて良いものです。

 こどもは親の所有物ではなく、親もまたこどもの付属品ではないのだと自覚することになるでしょう。

【重要なこと】最善(ベスト)を図り、最良(ベター)を実行する


 どちらの命(人生)も大切です。欲張ってよいところです。それぞれの最善(Best:ベスト)を知り、それぞれにとって最良(Better:ベター)を選び取ります。それは常に選択し続けることでもあります。

 

【とても重要なこと】段階的に、そして順番に

これが非常に重要です。
 「なにを優先するべきか」の一点に凝り固まってしまうと、難しくなります。もう一度書きますが、優先順位は結果的に導き出されます。優先順位から決定することが困難な場合は、逆の発想で取り掛かることができるのです。むしろそのやり方の方が答えへの近道です。

【重要なこと】相談相手を肩書で選ばない


 時には第三者の客観的な指摘が大変助かりますし、じっくりとひとりで熟考することもすばらしいことです。
 人によりけりですが、頭のなかの整理をしてくれる人がじっくりつきあってくれると安心感が持てますね。そして、自分の性格をよく知っている、あるいは把握できる人であることも必要条件です。相談者本人の価値観ではなく、相談を受けている側の人間の価値観を優先するようでは、これを相談する相手にはふさわしくありません。偏見や固定観念、思い込みでジャッジする人も、正解を提示する人もふさわしくありません。
 自分とツーカーで呼吸が合うカウンセラーと出会うのは至難の業です。奇跡的ですらあります。私の場合は、自問自答に至りましたが、「やりかた」の方法論が確立されています。「なぜ?」を言葉が尽きるまで繰り返していく方法です。できれば、自分の思考を邪魔しないスキルをもつ第三者がいるとそのコツがつかめます。「なぜ?」を幾度もしつこく繰り返していると、あるとき(あ、そうか!そういうことだったのか…)と腑に落ちる瞬間が訪れます。



探しているのは「代わり」なんかじゃない

 「居場所が不足している」。「居場所をみつけなければならない」。
 まるでそれが学校に行かない先の行動指針であるかのように決定づけされてはいないでしょうか。
 学校が、学校以外の別の何かに代わっただけになっていたりしないでしょうか。もちろん「□転校」という選択があるように、代わりになる場所への移動で充分な対応であるならば、それはそれでいいのです。ただ、もしそれが「課題の後回し」に過ぎないのであれば、根本的な課題はそのまま置かれているのですから、ふたたびその根本的な課題に向き合うために、なにかは起こるのです。ただし、向き合うまでには時間が必要なときだってあります。自分のペースをおおいに許していくことがいちばんの近道な気がします。それが生きることの妙であり、人が人として自分の人生を自分自身で決定し、彩ろうする本能のようであるとも思えます。

「こどもが不登校になってくれてよかった」


 これは、そうした変化のおかげで今まで見えてなかったことが見えたり、気づいたりして、親自身の成長を自覚し、そのことに感謝したい気持ちが沸き起こるからでしょう。価値観の見直しが起こり、親と子の縁が結び直され、生き直すことができるからでしょう。
 人と人との結びつきは、血のつながりだけで説明できることではなく、縁です。縁は偶然に見えるけれども、どこかで手繰り寄せられ、引き寄せているものです。それを自分に活かしていくことも、生き続けていく意味といえるのではないでしょうか。

〈STEP5〉居場所を選択する

 さて、いよいよ道が見えてきました。

〈STEP5〉居場所を選択する
自宅:□ホームスクール □自習環境 □なにもしない(ゆっくり過ごす)
フリースクール、適応教室(教育支援センター):□環境 □ポリシー □目的や指標 □費用(交通費・学費)
転校:□環境 □受け容れの理解 □その他(制度上の課題)
オルタナティブスクール:□指針 □費用(交通費・学費)
転地療養:□場所の確保 □期間(必要な期間、可能な期間)

 先に注意事項を挙げておきます。

※オルタナティブスクールは、日本の制度上はフリースクールの扱いです。つまり一条校ではないもうひとつの学校という意味です。スクールです。kokageでは特定の教育思想の元、スタッフの研修がある体系的なスクールを指しています。(参照:つなぎあい「コミュニティ・デコレーションケーキ」



※フリースクールにはオルタナティブスクールのところもあれば、適応教室の民間機関という意味のところもあります。「もうひとつの学校」か、「学校復帰・学校適応」かの違いがスクールによってありますから、どちらを必要としているのかの自覚と、検討しているスクールがどちらであるかの見極めが必要です。(参照:つなぎあい「コミュニティとサポート」


※自宅の場合もホームスクール(自由教育)か、自宅学習(学校教育)か、休息・休養か、では過ごし方がまったく異なります。
(参照:まなびあい「教育のえらびかた・はじめかた」


【重要なこと】自ら制限しない、先回りをしない

 検討項目を具体的に挙げる前に選択肢を制限することは、とてももったいないことです。たとえば距離の問題、費用の問題、働き方の問題などから検討する前に諦めることや、考えることをやめてしまうことです。それは「検討する」順番が間違っています。

 可能かどうかはあとから条件に合わせて検討し、絞り込むという作業をすすめることで見えてくることがあります。そこになにを「感じるか」「思うか」。まずは自身の内側から湧き出てくる「本心」をさらけ出すことが先なのです。現実的な「決定の判断」よりも、「それについて考えてみる」プロセスから、思いもよらなかった本音や答えがみえてくるものです。
 それは道への入り口です。おのずと道が拓けてきます。


「出口のないトンネル」は本当かな

 答えを出すのが難しいように思える悩みにぶつかると、そして解決法も見つけられないことが長い間続いているように感じていると、「出口のないトンネルに迷い込んだようだ」と表現されます。これは言霊です。
 口にすることで、まさにその幻想に足を踏み入れてしまうのです。

 本当は、出口のないトンネルを歩いているわけではありませんでした。

 いつもの道。いつもの風景。空気も風もなにひとつ変わりはありません。ただこの日は、太陽の光を遮る厚い雲がかかっているだけだったのです。少なくとも私はずっとそれを想っていました。
 いつも太陽は、誰にでも惜しみなく光を注いでいます。誰にでも。私にも。ただ厚い雲がそれを覆っているのです。その雲は、いつものように風が吹き、雨が降り、そして流れて消え去っていくことを私は知っています。

 悲劇のヒロインにはなりません。


 誰にでも起こり得ること

 そんなことの数々が、深刻な社会問題となって、いまもなお有効な「未然に防ぐ手立て」が無かったり、支援や手助けにつながることがわからなかったり、文字通り、トンネルから抜けられずに前後深くに陥ってしまう人が、いつまでも次々と生まれています。
 なぜなんでしょう。

 なぜ、「自分がその身になって初めて知る」こと以外は理解することが難しいのでしょう。

 ならば、それを補うにはなにが必要なのでしょう。

 《想像力は、創造力だ》といいます。
 こどもたちは、大人たちが知らない現在を生きています。その想像力は、いつでもおとなたちのそれを凌駕します。それを信じて皆、言うのです。

 未来は こどもたちのもの。

 いつだって、その時代のこどもたちが創造していける世界であればいいのに。そこに住むおとなたちはいつも微笑ましく、こどもたちを眺め、見守り、安心して、かつて「自分」を生きていることだろうと思います。

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不登校とホームスクール。制度上の制限と基本的人権。自由を得るために、その平穏を守るために知っておきたいことの数々です。戦わなくていいの。平和に暮らそう。

学校教育を選ぶ。オルタナティブ教育を選ぶ。その前に、学校教育信仰から脱し、新たに「教育とはなにか」「学びとはなにか」を問い直す。デ・スクー…

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