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隣りのホームスクーラー
我が家はホームスクール。アンスクーリング・ファミリーです。
ホームスクールにはアンスクーリングとホームスクーリングがあることをkokageホームページではお伝えしています。
うちは賃貸マンションの一室に住んでいます。4階建てで全部屋の数は28部屋かな。28世帯、全部、埋まってます。一部屋のスペースに4階ぜんぶの人がいっぺん重なったらどういう状況になるんだろうね?なんて時々、こどもと想像しては笑っています。比較的新しい住まいですから、引っ越してきたばかりの人だらけということになりますね。きっと県内からも県外からも。出る方も入ってくる方、入れ替わりも多いのではという印象です。
ご近所付き合いはあっさりと、ゴミ出し時間もほぼかぶることがないけれど、合えば会釈しますし、「こんにちは」と声をかければ「こんにちは」と返ってくる。そんな心地よい距離感です。
時々、数か所から赤ん坊から乳幼児までの声が聴こえてきます。ママさんは大変だろうなぁと、数年前の自分を思い出しながら、心の中で応援しています。お隣のお隣さんは、こういうあまりおつきあいの深くはない暮らしだからこそ、とおっしゃって、できるところへ気づかいくださっています。そんなかたがいらっしゃってくれるというだけでほっとします。
日曜日になると上の階でチェーンソーのような音がしばらく続いたことがありました。どうやら日曜大工のようでした。DIYが得意なかたがいらっしゃるのだなとわかって、「作ってもらえないかしら」とか「道具を借りるならあのおうちか」なんて、こっそり思っています。
学生さんもいるし、ハンサムなビジネスマンのかたもいらっしゃいます。
ハーフのちびちゃんもいるし、年代も幅広いものですね。
そんな、みなさん。
我が家がホームスクールだなんて、まったくご存じないのです。
お隣さ~ん。みなさ~ん。
うちはホームスクールでーす。
なんて言ったところで、「だから、どうした」って話だと思いますけれどもね。そうであることで、みなさんの暮らしがなにか影響されて変わるなんていうことはちっとも無いのですから。「へぇ、そうなんですか」とおもわれるかたのほうが、きっと圧倒的大多数なのです。だってそうでしょう?もし考えようとする人だとすれば。学齢期のこどもがいるとか、教育に特に興味があるとか。ものすごく限定された条件をもつ人だけだからです。全体から見れば、興味を持つ分野のたったひとつのこと。数ある社会の現象の、それも時と共に経過することでもあるのです。それが「数十年も前から変わらない学校へ行かないことについての価値観」の理由です。卒業してしまえば、だれが学校に来なかったかなんて、学校に行かないことについてどうかなんて「考える機会」はほぼ無いのですから。ひとりの人間の人生のなかで継続しないことは、社会で変容していく時間も与えられていないということです。入れ替わり立ち代わり、違う人間がその地点を通り過ぎていくだけなのですから。
世間の目。
よくそんなことが言われますが、実際には「何人の人が」気にしていると思われるでしょうか。本当のところ、数えてみるといいのです。数字にするとよくわかります。
あなたが気にしていることを、気にしている通りに考えている人は、実はほぼ「いないのだ」ということがわかります。直接聞いてみればいいのです。どうしてそのように考えるのか、どうしてそのように理解しているのかを深いところまで。すると、それぞれの不安や優しさが見えてきます。ジャッジ(判断)することは、その人の知っていることを材料としてしか生じません。知らないことを理解することはできません。
だから、あなたらしさが誰かによって変えられてしまうことなど無いのです。
人は「その人がどう言われたいのか」を察する動物です。そして、なぜか「期待に応える」こともできてしまいます。そうして不思議なことにその人が想像し、考える通りに周囲が造られます。
「なりたいように、周囲がそうなるように」実は他人ではなくて、本人こそがそう仕向けているのです。
どうして?
それは。
自分で、自分を変えるためではないでしょうか。
傷は、「痛い」と認識してはじめて、治癒が起こります。
癒したい場所を「癒す場所」だと気づくからこそ、そこに意識が向き、「痛みの深さ」を知るからこそ、どれほどの手当てが必要なのかを知ります。
こどもがよく訊ねるんです。「ね、これ痛い?」って。
なにかで突いたりしてきながら、遊びの延長ですよ。
「え。痛かったらいやだから、やめてくださいよ」って返すのですけれども、いったいあれはなんなんでしょうね。もしかしたら、「痛みを覚える」のあとどうしたらいいのかを学習しようとしていたのかもしれませんね。シミュレーションを完璧にして初めて実行できるような人なので。
今、思うと「痛みを確認できること」ってとても大事なことなんですね。どこかをぶつけて「痛い~!」と泣いてる子に、「痛くない、痛くない」なんてなぐさめる人がいますが、こどもと一緒に目を合わせて、同時にこう思っています。(そりゃ、痛いのはあなたじゃないし。痛いのはぶつけた人のほうだし。痛いって言ってるじゃん)。
なかったことにしようとしても、なくなることはないのですよ。
痛みが癒される方法を伝えられるといいね。知っているといいですよね。
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