#16 退屈する時間を奪わないで(2015年のつぶやきから転載)
2015年当時は、こどもたちがそれぞれ15歳、13歳、11歳、7歳の頃です。
その頃に書いたものが「思い出」にあがってきたので、ちょっとだけ編集して転載します。
私は基本的にデジタルなゲームをするのは(テレビとかスマホアプリとかネットゲームとか。)は嫌いです。やってはみるけど、すぐに飽きます。
なんでかね。
うちのこどもたちがネットゲームに夢中になっていると、ものすごく残念な気持ちになってしまいます。
だって。もったいないんだもの。
退屈しておけばいいのに。
毎度、毎度、ゲーム禁止令が出されて、2,3日退屈する時間を過ごして、とうとう退屈するにも飽きたころ。
こどもたちは動き出します。
やっとこさ、脳の芸術性の部分、創造性の部分が働きだしたかのように。
ゲームしていると、この部分がすっかりお休みしちゃうんですよね。
なにかが生まれるときって退屈しているときなんですね。
でも、ゲームって、「退屈する時間」を確実に奪っていきます。時間つぶし、ひまつぶしってものですね。
アイディアがうまれる脳が、働かない感じ。
もちろんゲームすることを活用して、アイディアをうむこどももなかにはいると思います。きっといるでしょう。
少なくともわが家では、ゲームは合ってないでしょって思うのね。
それは、どこのご家庭でもテレビがあって、生まれた時からお年寄りになるまでもいつでもテレビだけはあって、いつも見ている話と通じます。
テレビを視ることを上手に使いこなすこともできる人もいれば、ただただ流しているだけで、情報収集とか、自分で考えることに役立てられていない場合もあるよねっていうこと。
わが家は今テレビを置いてませんけど、テレビが悪とかいうことではなくて、テレビを視ることを役立てられるまでまだこどもが成長していないなという判断なんですね。活用する以上に、判断力を奪われるデメリットのほうが上回っているだけなんですね。メリットのほうが高ければ、きっとわが家にもテレビは来るでしょう。今のところそうではないだけ。
ゲームに対しても同じ考えです。
テレビがあるなら、わたしは「一緒に」視て、《共有する》ことがいちばん重要だと思っています。そして実はそれは、なにかと家事に忙しくしてしまう親にとってとても難しいこともよく知っています。
ゲームといつどのようにつきあうかは、「こどもが相手に自分の考えや思いを伝えるコミュニケーション能力が発展途上である」ことと、「客観的に見ることについてもまだ成長過程にある」ことに関わってくるわけです。
ただ単に、テレビが無ければいいってもんじゃないかもね。
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