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洋服を片付けては買う、AIは見ている

普段からスマホ片手に永遠に何かを検索していると自負があるにもかかわらず、私のヤフーニュースには蓮舫氏が都知事選に立候補したことが上がってきていなくて昨日テレビのニュースで初めて知ったのだった。夫に言ったら普段ほとんど大きな声を出さない夫に驚かれた。いくら表示内容が自動的にパーソナライズドされるからといって、都知事選くらいは上がってきてくれないと大人として困る。芸能ニュースばかり見ている人間は都知事選に興味がないとでも言いたいのか。それに私はアンチでもなんでもないが大谷選手のことを検索した覚えはないにもかかわらず彼の偉業の数々そして通訳や嫁のことまでそれなりに知っている。なぜってニュースに上がってくるからである。

今ヤフーニュースを見たらゴルフ女子の優勝ニュースが表示されていた。私をスポーツに興味がある人間だと認識しているのだろうか。だとしたら「所詮AIなど一方通行の片思い野郎」と見下げるしかない。私のことなんてなんにもわかっちゃいないのよあんたなんか。だが深層心理に訴えかけているのだとしたら腹立たしい。こちらだって何かに打ち込む人に憧れくらい抱くのであって、これだけ頑張っている人が世の中にいますがあなたは…みたいな訴えだったとしたらヤフーとはやはり話し合いが必要になる。

洋服の整理をまた始めた。これもまた年に何回か来る病気のようなもので、ふいに大きなダンボールが手に入ると発病する。今回もまたせっせと着なくなった服を詰めていくのだが、やはり以前より捨てられなくなっている。この変化はなんなのだろうか。経済事情の悪化が心に沁みついてしまっているのも確かだし、何回かこういった整理を繰り返して洋服を厳選してきたという理由もあるにはある。しかし着ないとわかっているのに「でも何かあるかも」という謎の不安。保険と同じである。人間が守りに入ってきている。

クローゼット散策中の猫。上着の袖に吸い込まれそうである。

というか、いつまでも攻めの姿勢でいるには心の体力みたいなものが足りなくなってきているのかもしれない。ヤフーニュースに上がってきた水原氏とやらほど攻めた生き方はしていないつもりだが、転職や旅行など、以前より軽々と行わなくなった。軽やかに行うことで傷ついたり悩むこともたくさんあったが、すべて人間としての学びになっていたのは事実だ。そういった意味では現在は何も起きていないことは幸せなのだが、本当にないものねだりで自分でも呆れる。加齢とともにといえばそうなのかもしれないが、こうやって悲観し続けるのも退屈だ。ということですぐ目に見える変化を求めて断捨離的なものに手を出すのだった。

クローゼットが空き始めるとまたせっせとファッション通販サイトを見てはめぼしい物に目をつける。AIが私のことを「来やがった」と待ち構えていたかのように、良く見るブランドの広告をバンバン打ち始める。なんで洋服を買うんだっけか。洋服に興味がない人もたくさんいる。これまたどちらがいい悪いではない。私はどっちなんだろうかと洋服を眺めながらしばし考える。特段すごいセンスが良いわけでもなく、自分と理想の体型は違う。努力うんぬんではなくもう骨格が違う。しかしそれでも洋服を着る。多分これが好きということなのだろう。好きには理由がないので、こればかりは致し方ない。人から大したファッションではないと思われても、どうにも止まらないのである。

一方で全裸で暮らすことができたらどんなに生活も気分もラクかしらんと考えることも多分にあるが、生きている間にはそんな常識は訪れそうにないのでもう少し身にまとうものを楽しみたいと思う。ファッションへの理想は、できるだけ少なく、シンプルに、清潔に、楽しく。まだ見ぬ境地を目指そうと、また私はスマホを取り出す。都知事選に興味があることを見せつつ、個人の好きを捨てることなく、今日もAIと一騎打ちに繰り出すのである。


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