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R/e/Re:/R/e

そういえば。怖いことは。
文章を書くとして。音楽を聴きながら、お酒を飲みながら、あるラジオを聴きながら、文章を書いた場合に、その流れに溺れながら、書くことに伴う気楽さ。

そういえば。怖いことは。
何か書きたいことがあったという感覚のもとに、メモ帳にある言葉をとりあえずコピー&ペーストをしてみたその直後に、指を動かし、注釈をつける、その臆面のなさ。

それに怖いことは。
たくさん書きたいことがあった気がする、書かなければならないそのようなこともあった気がする、そうして書く際にはなくなってしまう読点、または、どうしてもついてしまう読点の両方。前者は気楽さや臆面のなさ、後者は寂しさ。

今、やるべきことが結局それなりにある。
実家に帰り、仕事場的な雰囲気を断ち、残作業、飛ぶ鳥、お片付けとしてあるものごとをちまちまとする予定ではあったのだけれど、そのうちやることになるんだろうなっていう位置づけのまま、少ない銀行残高をみて、作業場所(喫茶店)に行くこともできず、打ち上げ的なあれこれをすることもなく、バナナとおにぎりを食べる生活をここ数日送っている。

たくさんしたいことがあるとは思う、たくさん書きたいこともあった気がする、それなのにも関わらず、場の引力か、金銭的理由か何かで続かない。隙。これには久しぶりに難しい本(差異と反復上)を読み始めてしまったことも関係しているのだろうけれど。そちらも解説書を買うわけにもいかず、図書館は改修中で。解説のネット記事を読んで、scrapboxにまとめながら、読んだ方がいいんだろうな、本当は。

それなりに何かに怒っていた瞬間が昨日までは続いていたのだし、言う必要があることもあったのだし、わからなくてわかりたいこともたくさんあったのだけれど、それらを仮にここに書き始めてみたとして。それらが悲しいものに包まれていく、そのような予感に襲われた、

間にあった二つだけを上げ始めてみることにしてみる。

又吉さんが昔ネタを書くときにとにかくネタ帳に書きまくると何時間か経ったあとにネタ帳のあるセクションとセクションの間になんやこれといったもんを発見しそこだけをネタに採用すると言っていた、坂口さんが生き延びるための事務でとりあえずなんでもいいから書くということを大事にしていた、福尾さんがイベントレスとしての日記のありようを批評していた

浮かんだことを見て、それから怖くなる時がある。
自分が最も恐ろしいことは、あらゆる予感であって、これを書こうと思った時にすでにもう、といったもの。

予感、それがとにかく怖い。
警戒心の怖ろしく強い論文をおままごとに過ぎないが書いた、それに伴うもの含めて予感が怖い(それは現在の社会のあらゆる面で見られる)。自分くらいの年齢になるとある程度のことがわかってしまう感覚をもってしまう、そのような成熟の全面化。正しいことにあらがおうとする人も、それから別のことをするような人もからめとられている、そのようなものが怖い。

そういえば。前に顔のことを書いたけれど。不思議な顔をかきながら、書いていたものを、振り返っていた今日、それを配分するところに、生えていく顔が怖く、ちぎっていく顔も怖い。ただそれを振り返っていたのは、何かしらを読み取っているからでもあるはずで。

手書きの字を見たいと言われ、昔書いた小説の一節を、悪いボールペンで書いていた時に、その一節のタイトルとしてつけていたのがRe/R:/Reと日付だった。

P.S.
何もない(○)書く(○)少し近づく(○)

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