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かしょぶんじかん

自分が何かを書いてるはずのときの自分がっていう感覚がわからなくなってきてもうしばらく経った。自分がいる場所を作る感覚を持つものとしての自分をかろうじて感じる。いや、ようわからん。

さめざめすきなもの、
苔、飴、粗目、調べ、折り目、
サイゼハンバーグ、単品、
てんぽらりーもだんな並、
イオンの椅子、臭い、
杖無い、眼鏡無い、声無い、
ぱんぱんのビニール袋、臭い、
高架下、煮付け、自転車、パクチー、
覚えられない犬種、
空間、遠い、共生感、
最後のコーンたべてとろとろ、入らず、
溶解の街、高架下、猫戻って、
叫べなんて、あおきどり、しろ崩れて、
弱ないで、さぎ、やめた、辞めて、
光の轟音やまないで、
踊れ、なんて、もうめんどりたい、
聞こえないで、聴かない、聞こえないで、
発泡スチロール、詰まってる、
高速道路の緑、むいみのいみは嬉々としてる、
南無、ブルートゥース、糊付け、黒子、
ジントニック、バーガンディ、バーボン、
さらめ雨、下着、顔か凪いで、皮か凪いで、
スポンジ、なめりたい、タトゥー、なめしたい、細切れ肉、
割り引かれてる全て、
コラボしない独り配信、コッ辞めて、
歩きたいだけ、海岸線、歩きたいだけ、
阿佐ヶ谷、下高井戸、東中野、
覚えている藻、還流、滞りばかりの、
殺せない好き、殺さない好き、さよならば、
笑って、もっとおはよう、
テレビ、漏れてるみたい、
付録のおまけの光屑なみたい、三角コーンの。

P.S.
自己が三人称化し器性が少し高まった時に流れ込むものの一部だけが出力されること。
それはブラウン運動みたいなもの。
加えて、ロードムービーにおいて何かしらの目的地がひとまず設定されるように、ある程度規則的な風が吹いていることも重要であるように思われる。
似たものとして、日記という形式においては、時系列、日常の些事といった風が吹いている。
ただその風が速すぎる場合にはそのブラウン運動が見えなくなってしまう。
そのため、ブラウン運動を維持するためには風が少しであることにこだわることが重要であると言える。
そもそも完全に無風の場所は存在しないし、似たようなものがあってもつまらないものとしてしか存在しない。風は強過ぎても弱過ぎてもいけない。いや、ようわからんけど、わからんなりに。そんな感じのわかる。

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