人生はartって事で良いんじゃないか?
※2024年1月11日Instagram投稿
「私のミッション…はて、なんだろう?」と考えたとき。
「変なものを作りたいんだ!」
と心が叫んだ。
完!
🌷 🌷 🌷
ええ。
話終わりですわw
やーもー、何かね。
何ていうかね?
「こうしたいんだけど…えー…どうやって形にしたら良いん???」
という時間も楽しいので。
作り方の分かるものを作りたくないというか。
だから最近、絵を描いていないw
今はインテリア用の鳥かご眺めて、ぼー…………………………
としてます。
ええ。
🌷 🌷 🌷
こんな人間なんで、依頼は本当にもう今ので最後。
もう無理だなと思ってる。
なけなしの責任感が消えつつあるので、本当に危険です。
子供の頃からそうだったんだけど、社会にそぐうように一生懸命抑え込んできた。
しかしアレだ。
『sparkle』始めて、パンドラの箱が開いちゃいました。
大人としてダメでいいです。
人としてもダメでいいです。
喜んでダメに立候補するわ。
内側から湧き出たものしか、もう創れない。
無理!
(体から出したら、スッキリした!)
どんなに拙いものでも、どんなに不格好で、誰も必要としないものでも創りたい。
とにかく私のエネルギー全部で形にしたい。
ギュンギュンなものを生み出したい。
🌷 🌷 🌷
4月3日には、京都のコンサートで私の作品も並べるけれど、たぶん『私が嬉しい』ものだけになるだろう。
それが良いんじゃないか、と思ってる。
芸術…というと堅苦しいけど、創作物ってのは心象風景だ。
歌でも演劇でも写真でも音色でも。
ソレを通して自分を出しているだけ。
それをこそ、純度の高い芸術だと。
今は思う。
よく見せる必要なんかない。
むしろそれは削ぎ落とす方がいい。
私好みなだけだが。
褒められもしなくていいし、求められなくていい。
なんなら完成しなくてもいい。
ぶつけるだけだ。
外側に内側をぶつける。
様々な手法があるけれど、やってることはそれだけだ。
出来上がったものより、過程のほうが『創作』をしてる。
そちらのほうが余程『作品』だったりする。
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そして、人間はいつでも何かを生み出している。
意図しなくても。
だから全員がアーティストだ。
感情を生みだし、現象を生みだし。
人生を命を感動を…絶え間のない創作活動。
ありのままのあるがままで、もう良いじゃないか!と思う。
時に傷も付くし、疲れもするし、荒れもする。
良いじゃないか!
すべて必要な絵の具なんだもの。
ぶち撒けてしまえ!
盛大に。
玉石混交な絵の具にまみれて、転げ回って疲れ切ったら良い。
自分に五体投地したら良い。
何かできる必要なんてないんだ。
だって今『生きている』じゃないか!
だって今『ここに在り続けている』だろう?!
私は、この世で一等美しいものの一つは『葛藤』だと思ってる。
(故に形にしたいができない、と思い倦ねる私の日々は美しい訳であるw)
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こういう、私の中の情熱を外側にぶつけたい。
愛すべき変なものを生み出したい。
(変なものが良いのは、単に私の癖)
創作にしろ、エネルギーワークにしろ。
(因みに今、私がエネルギーワークで注力しているのは松果体とDNA)
何かそろそろ、最後の大事な…ずっと引っ掛かったままの何かが外れようとしている…気がしてる。
長年引っ掛かりすぎて、当たり前になっている何か。
私を『今までの私』にしていた、ボトルネックが。
気のせいかも知れないけれど。
(余談だが、人を人たらしめるのは概念だ。だから、人は何度でも生まれ変われるし、いかようにも変化できる。可能性のない人間は存在しない。)