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「#東北でよかった」を覚えていますか
私のパソコンに入っている、小説のネタメモや草稿を整理していたら、なつかしい文章が出てきた。どこに発信するでもなく、荒々しく、ただただ私の言葉を書き綴っただけのもの。
タイトルは「#東北でよかった」――あのときの私が、書かずにはいられなかった思いである。
世の中の皆さんは、「#東北でよかった」をまだ覚えているのだろうか。
元々は時の復興大臣が、震災の被害が「東北でよかった」と失言したことから始まった。
2017年4月25日のことである。
この出来事を受け、Twitterでは「#東北でよかった」というネガティブワードが大いに出回る。
大臣批判、政府批判、傷ついたこと。中には大臣と同じ意見の人もいただろう。
どれに触れても、私の心は得も言われぬ怒りまじりの悲しみに襲われた。
だけどこの騒動には続きがある。
東北民および東北にゆかりのある人たちが、そのハッシュタグを逆手に取って、一斉に発信を始めたのだ。
それは東北の美しい風景画像を載せての、「#東北でよかった」である。
流れが変わった。
ネガティブでしかなかった「#東北でよかった」は、一晩でやさしく美しい言葉へと変わっていった。
あの夜は私も睡眠時間を削って参加した。
ここに救いがあると本能的にわかった。
私の心から怒りまじりの悲しみが、どんどん、どんどん、抜けていく。
なんて粋で、やさしい流れだろう。
今でもあのときのことを思い出すと、目頭が熱く、胸はあたたかくなる。
あのとき発信してくれた方々。
本当にありがとう。
そういう人に、私もなりたい。
誰が最初に始めたかわからないけど、あの日の深夜、私も含め夜ふかし組がせっせとツイートしてくれたのは嬉しかったし、しなきゃと思った。
責めたり、報道したり、責任取ったり、いろいろあるけど。私も悲しくなって傷ついたけど。
イチ岩手県人である私個人の意見としては、悪意の有無に関わらず、誰かが被災地のことで意見すると、すぐに過敏に世間が反応することが嫌だった。本当に嫌だ。
その反応にともなうのは、いい感情ではない。たとえ被災地・被災者を思ってのことだとしても、逐一過剰に反応されるのは心苦しかった。
「ああ……この人、精一杯自分の気持ちを話してくれたけど、きっとネットで叩かれるだろうな」
だから今回の騒動で、東北にゆかりのある人達が一斉に(夜ふかしして)せっせと言葉の上書き活動をしたことが、一番の 「#東北でよかった 」。
粋でやさしい活動。
戦うのではなく、やさしさで席巻した感じ。
ニュースで取り上げられたのを見て、「よっしゃ!」とガッツポーズ。
私の生まれ育った土地が、東北で、本当によかった。今日ほどそう強く思ったことはない。
テキストメモ「#東北でよかった」