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靴とオットマン
長いこと私の足が世話になった物。
靴とオットマン。
免疫異常の持病が大暴れしていた頃、私の足は激痛に襲われ、立つこと歩くことがままならなかった。
オットマンは布張りのやわらかいタイプ。
部屋の机で書き物をするときに使っていた。イスに座って、足はオットマンに乗せる。足を下げるとそれだけで痛みが増したから。
机とイスを使うのはその後やめて、床座にしている。オットマンも今では、ちょっと腰掛けたいときのベンチ代わりに使っている。
靴はこれで何代目だろうか。
衝撃を和らげることに特化した靴で、これさえ履いていれば足は痛くない。だから同じ靴を履き続け、古くなったらまた買い替えて――を繰り返した。
安心して足を預けたものの、デザインとしては男性用のごつい靴で好きにはなれなかった。それしか履けない自分の足が嫌だったし、それを履いた自分の姿も常にイマイチ。
当時の私は、そのことに目も意識も向けないようにしていたと思う。ただただ「この靴なら痛くない。嬉しい」とだけ思い続けていた。
だから時々、事情を知らない人から「どうしてそんなごっつい靴履いてるの?」と聞かれると、現実に引き戻された。
どうしてって……
私だって好きで履いているわけじゃないよ……
これしか履けないから……
他の靴だと痛いから……だから……
泣きたいような、わめきたいような気持ちにフタをして、
「ちょっと足が悪くてねー」
と笑って答えた日々。
今でも思い出すと頭皮がザワザワする。
去年私は、約10年ぶりに社会復帰を果たした。
毎日通勤し、フルタイムで働いている。
仕事で街なかを歩き回ることが多く、ほぼ毎日、5000歩前後を歩いている。
それだけ歩いても、もう全然痛くない。
以前ならたとえごつい靴を履いていたとて、夜には足の裏が腫れていたのに。
もう全然、痛くない。
そのことに気づくと、嬉しくて目頭が熱くなる。
ごつい靴の他に、実はもうひとつ衝撃を和らげるタイプの靴を持っている。そちらは女性らしい靴で、ごつい靴ほど靴底も厚くはない。
たしかに痛みはあまりなかったが、ごつくないことが不安となって、ちょっとだけ信頼度が低かった。
だから数年前の私は、体調が悪いときや長時間外出するときには、その靴を履かなかった。
でも今の仕事に就いてから、わりと頻繁にその靴を履いている。雨や雪が降らなければ、ほとんど毎日履いている。
その靴で、5000歩前後を歩いている。
ちょっとだけ信頼度が低かった、その靴で。
それでも、もう全然、痛くない。
「――あ、そうだよ。もう全然痛くないんだよ」
去年、働き始めて何ヶ月も経ってから、私はそのことに気がついた。家で片付けをしているときだった。
あまりに長いこと同じ靴に頼りきっていたことと、自分のネガティブ感情にフタをしてきたことで、「もう全然痛くない」という事実をしっかり自覚するのが、だいぶ遅れた。
「そうか、もうこの靴じゃなくてもいいんだ……」
このごつい靴じゃなくてもいいんだ。
この靴にこだわらなくていいんだ。
他の靴を選んでもいいんだ――
そのことに、ようやく気がついた。
オットマンだって、別にベンチとして使わなくたっていい。なくたって困らない。
私はすでに卒業している。
病に関わる物と縁を切ったって、もう大丈夫なんだ。
ちゃんと手放そう。
なんて清々しい気分。
靴とオットマン。
今までずっと私を守ってくれた。
ありがとう。本当に。ありがとう。
私、次へ行くね。