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元嫁ぎ先で身につけたスキルの行き先
私が13年間過ごした元嫁ぎ先で、長年苦労したことのひとつが、食べ物の好き嫌いの激しさだった。
例えば元姑は食べられない物が多かった。
まず肉がだめ。バターやチーズ、牛乳も。肉ほどではないが魚もあまり好まない。焼き魚、煮魚はともかく、刺身や青魚は食べたがらない。
ちょっとしたオボ・ベジタリアンである。
一方で元舅と元夫は、刺身や肉を好んだ。刺身メインでは元姑の食べる物がない。だからといって野菜メインでは男性陣から文句が出る。
献立には毎回頭を悩ませた。
私がよく使った手として、カレーの場合はあえてゴロゴロした肉を使って、元姑がよけやすいようにした。ひき肉はよけきれないから厳禁。
刺身の場合は元姑に二、三切れだけやって、副菜を多く。男性陣には刺身を多く、副菜を少なく――という、人によって割合を変えるやり方で。
もう勝手にやってよと私がヤサグレモードのときは、大皿や大丼にどん、どん、どーんとおかずを盛って、ビュッフェスタイルにした。
肉じゃがなどは、面倒なので肉を使うのをやめた。味の濃いカレーならともかく、大抵は肉を入れると元姑が臭いを嫌がったから。
しかし元夫はたんぱく質が入らないと物足りないと言うので、肉の代わりに油揚げを使った。
いっそ精進料理の心得を身につけようかと、永平寺のレシピ本を読んでみたり、実家の近所のお寺から教わったレシピを試してみたり。凍み豆腐に味を含ませて揚げたものはとても美味しく、「肉の代用」どころか、肉よりも美味しかった。
これを食卓に出したときは、肉だと思われて残されてしまった。肉じゃないのに。
でもまあ、ピーマン嫌いの子供に、ピーマンではないがピーマン味の物を出しても喜ばれないのと同じか。
しかし凍み豆腐は全員が食べられる「共通食材」として、その後いろいろアレンジを加えて、何度も食卓に登場することになる。あの頃の私にとって「共通食材」は心のよりどころである。
焼き菓子を作るときも、代用品を調べまくった。牛乳の代わりに豆乳を、バターの代わりにオリーブ油やサラダ油を使って試行錯誤を重ねる。
代用品で生クリームモドキを作るのは難しかったが、カスタードならできた。……これもやはりあまり喜ばれなかったが。
出戻りの今となっては、精進料理モドキの知識は必要なくなってしまった。なぜなら実家では、肉も魚も食べるし、バターや牛乳も大好きだから。
それを思うと、途方に暮れた。
一体あの長年の苦労はなんだったのか。
私の人生において、あのスキルを身につけさせた意味とは一体なんだったのか。
しかしそれからほどなく。
親友がアナフィラキシーを起こしたと聞いた。
幸いすぐに搬送されて無事だったとのこと。
「で、アナフィラキシーの原因はなんだったの? 食べ物?」
「んだ」
「そうか。苦労するね。で、なんの食べ物よ」
「多分、豚肉だろうって」
「え……」
私が苦労して身につけたスキル。
むだに終わるかと思ったが――
ここにたどり着いたか。
私が親友に直接食事を作るわけではないが。
大切な親友のために身につけたスキルだとすれば、誇らしく思えるのだった。
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バツイチ独身子供なし
日々のこと。時々物思うこと。 過去の悪口は言いたくない。 関わりも持ちたくない。 意味がなかったとも思いたくない。 ネガティブにもポジティ…
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