なぜ私は「離婚」を「RIKON」、「元夫」は「元夫」と表記するのか考えてみた
文章を書くとき、正しい日本語、美しい日本語を使いたいと私は思っている。それはnoteでも同様のはずなのだが。
振り返ってみると「離婚」や「嫁ぎ先」については、なぜか漢字ではなくローマ字で「RIKON」「TOTSUGISAKI」と表記しがち。
離婚絡みはすべてローマ字表記にしている――というわけでもなく。「元夫」に関しては、そのまま漢字で「元夫」と書いている。
もちろんおふざけでやっているつもりはなく、そのときそのとき、きちんと自分の心をなぞってみて、そのように書き分けてきた。
離婚直後、姉とLINEで会話するときから始まったローマ字表記。noteを始めてしばらくは、「離婚」も「RIKON」も書かず。だけど隠すつもりもなく、読めばなんとなくわかるような形をとっていた。
この頃から、「離婚」という文字はなんとなく使いたくなかった。それは今もそうで、こうして書いていると、やっぱり嫌。なんとなく、心が痛いような重いような気がして。
離婚そのものについては、微塵も後悔はない。やって良かった。やって良かったというか、そもそも先に離婚したいと言い出したのはあちらなので、私は4年かけてその決断をしたにすぎない。
今とても清々しい。
ではなぜ、「離婚」と書かずに「RIKON」と書きたくなるのか。その理由を、最近ようやく理解できた。
ローマ字は、表音文字である。
つまり1つ1つの文字は音を表すものであり、意味は持たない。
一方漢字は、表意文字である。
1つ1つの文字が、意味を持っている。
――これだ。
私にとって、「離婚」という決断と行動は良かったとはいえ、抱くイメージとしてはネガティブさが勝るのだ。
「嫁ぎ先」も然り。
「元」とつけようがつけまいが、もうそのエネルギーには接触したくない。
漢字で書いて意味を持たせてしまうと、あの頃のエネルギーが蘇り、この身が覆われてしまいそうになる。
私だけが悪いとは思わないが、それでもやはり、ちゃんと嫁の役割をまっとうできなかったという類のうしろめたさは、多少持ち合わせている。
だから漢字で書きたくない。
意味が強すぎて、重いから。
だからローマ字で書く。
意味のない文字の羅列だから。
私は無意識に、ネガティブな意味やイメージを無効化しようとしていたらしい。「RIKON」も「TOTSUGISAKI」も、「ただの音だ」と。
しかし「離婚」と「嫁ぎ先」はローマ字に変換する一方、「元夫」だけはきちんと漢字で「元夫」と表記している。これはなぜかと私なりに考えてみた。
多分そこは、「意味」を重視したいのだろう。
あなたはもう「元」だからな、と。
きっちりしっかり線引きしているから、漢字できちんと書くのだろう。
決して「無効化」になんかしない。してたまるか。あれだけ精神を削って、勇気を奮い立たせて、一生分のエネルギーを使って行動に起こしたのだから。
その気持ちが、きっと私に「元夫」と漢字で書かせているのだ。
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