店番のおじさんと父と私
職場の備品を買いに、商店街の小さな店を訪れた。
「こんにちはー」
誰もいない店内に声をかける。
商品を物色していると、奥の部屋から店の人がゆっくりと姿を見せた。
いつものように奥様が――と思ったら、この日現れたのは、おぼつかない足取りのおじさん。初めて見る。
「ごめんね、脳梗塞やってから足悪くなって。座らせてもらうね」
会計のとき、おじさんが領収書の綴りを出しながら弱い声で詫びた。
「あ、はい。どうぞどうぞ」
私はそれだけ言って、あとは黙ることにした。おじさんが領収書に、文字を書き始めたから。
その作業を、邪魔したくない。
さらさらと流れるように書き付けるのではない。
領収書に、文字を、書く。
一文字、一文字、ちゃんと、書く。
書き損じしないように、ちゃんと、書かねば。
――という圧を感じた。
おじさんはさっき、領収書を書く前にペンを落としていた。考えすぎかもしれないが、手にも後遺症があるのかもしれない。
もしそうなら、下手に話しかけて領収書を失敗させたくない。私のためではなく、おじさんを落ち込ませたくない。
病気のせいで、今までできたことができなくなる。その悔しさは、私も嫌ってほど経験している。
そして私の父も、このおじさんと同じく脳梗塞になった。
――私の父が後遺症を抱えていたら、プライドの高い父はきっと、悔しがると思う。
病気のために物を落としたり、領収書を書き損じたりしたら。自分を不甲斐なく思う一方で、自分は悪くない、病気のせいだ、なんでこんな病気になったのか――と、ひどくイラつくだろう。
だからおじさんの邪魔をしたくない。おじさんが父と同じタイプかはわからないけど。
今は息をひそめて、書き終わるのを待つ。
領収書を書き終わった頃――
「私の父も、2年前に脳梗塞になったんです」
ぽろっと口からこぼれてしまった。
今日初めて会ったおじさんに我が家のことなどわざわざ話さなくてもいいことだ、おじさんだってきっと迷惑だろう――と思っていたのに。
私はまだ、ちょっと引きずっているのだろうな。おじさんの姿が、どうしても父と重なってしまう。だからぽろっと話してしまった。
「父は……そのまま亡くなってしまったんですけど」
父は血小板がとても多く、脳梗塞を発症しやすい体質だった。
「だから、うらやましいです」
これは私の本心。
だけど言われたおじさんは迷惑かもしれない。
おじさんに返事を強制したくないから、明るくフフッと笑って話を終わらせる。
生還したおじさんのことは、正直うらやましいし、命が無事で良かったねとも思う。だけど――「後遺症がそのくらいで済んで良かった」という言葉は、私は言わない。
絶対に言いたくない。
どれだけ悪意なく、心から「そのくらいで済んで本当に良かった」とたたえても、それはこちらが勝手に判断して、勝手に感想を述べているだけのこと。
「そのくらい」かどうかは、本人にしかわからない。その体で生きていくのは、本人だけなのだから。
私は以前、壊疽性膿皮症という持病でクルブシに大きな潰瘍ができたことがある。
当時母は私に「あんだは強いね」と感嘆の言葉を発したが、私はそれをまったく嬉しく思わなかった。
「強い」?
勝手に決めつけないでほしい。
勝手に私を強いことにしないでほしい。
私が激痛に耐えているように見えたなら、それは強いからじゃない。逃げられないだけなんだ。
そもそも耐えてもいないし、耐えたくもなかった。できることなら気絶したかった。それが叶わないから、意識を保ったまま悶え苦しんだ。
それを「強い」なんて言わないでほしい。思わないでほしい。
私はこの激痛に勝ったなんて思っていない。
そういう闇をかつて抱えていたから、私はおじさんの状態を決めつける言葉を絶対に言いたくなかった。
命を落とした者。
後遺症とともに生きていく者。
どちらの方が――などと優劣つけるべきではない。
最初の弱々しい声はどこへやら。その後おじさんは元気な声で、自分の病についていっぱい話してくれた。
私のことを、脳梗塞を知る者として親近感を覚えてくれたのだろうか。ならば良かった。
誰もいない店内。
おじさんと私、のんびりと朗らかに脳梗塞話をし、ぼちぼち切り上げる。
「それじゃどうも。お元気でいてくださいね」
「はい、どうもね」
そのまま店を出ようとしたのに。
「――父の分も」
またぽろっと言葉が出てしまった。
父の分まで、どうかお元気で――
しまったこれは、私のエゴ。
おじさんの負担になってしまう。
「はい、どうもね」
おじさんが笑って応えた。
苦笑いだったかはわからない。
父の代わりとかじゃなく。
おじさんはおじさんで、お元気で。
本当に、元気でいてね。
また来るね。
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