続・サンソンの日記とフランス革命な日々
なんだかんだあって、現在『サンソン家回顧録』と『イノサン』を並行して読むという、贅沢な読書を楽しんでいる。
『サンソン家回顧録』でダミアンを知った翌日に『イノサン』でダミアンが登場して、タイムリーを楽しむと同時に、これはどこまで忠実に描くのだろうかと一人で動揺していた。史実的情報を入れずにマンガから読み始めたら、また違う衝撃の受け方をしたのかもしれないが、こういうことも含めて、「贅沢な読書」なのである。
どちらを先に読んでもいいが、学生時代にこういう読書体験をしていたらフランス革命時代は満点取れたかもしれない。歴史好きだったものの、カタカナの長い名前になじめず、ヨーロッパの王朝関係は苦手だった。テストでサンソン家や処刑についての問題なんてまず出るわけがないが、人物名と人間関係になじみがあるというだけで楽しくなれるのだ。
ちなみに高校生の頃は『日出処の天子』にハマっていたので、奈良、京都をめぐる修学旅行は誰よりも楽しんだと思う。
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初めAmazon Kindleで『サンソン家回顧録』にある「シャルル=アンリ・サンソンの日記」の項を読もうとしたが、お目当ての日付がなかった。だけど本が届いて、頭から読み始めてわかった。読みたかったところは、「シャルル=アンリ・サンソンの日記」の項ではなく、別の項でちゃんと詳しく取り上げられていたことに。
日記部分にあるはずだという思い込みのせいもあるが、どうも私はスマホ画面で本を読もうとすると把握力が落ちるらしい。やっぱり読書は、本がいい。
どうしてもサンソンの日記を読みたい、と思ったわけは、いつか必ず訪れる死を前にしたときの心のあり方を学びたかったから。
過去に一度死の淵をのぞいた経験はあるが、あのときは激痛の心配もなかったから、ならばこのまま死んでもいいかなどと思えるほど平静だった。だけど次もそうなるとは限らない。
ものすごく痛いかもしれない。
苦しいかもしれない。
何かに怯えているしれない。
老衰じゃないかもしれない。
どんな死を迎えるにしろ、心乱さずに逝きたい。
あ、ついに私、死ぬんですね。じゃあ準備していたとおり、こういう心持ちで臨みたいと思います、と。死を目前にしたときは、一世一代の「平常心力」の見せどころだと思うから。
『サンソン家回顧録』は、サンソン家最後の当主の著作だ。私もこのままいけば実家最後の当主になる予定である。何かしら書き著した方が良かろうか、などと思い始めているが、これといって珍しい家系でもないので、今のところは目の前の草刈り作業に精を出すことにしている。