「自分以外の人によって自分が作られる」がわかった瞬間
難しい。でも知りたい。
知りたい知りたい。わかりたい。
そうやってわからないながらも貪るように詰め込んだ知識に、突如神経が通いだすような感覚を体験することがある。
今回実感したのは、「自分」と「他者」との関係について。「自分」の存在は、「他者」が担保するという、仏教の理論。
この話を聞いたのは、COTEN深井龍之介さんのSpotify番組『a scope』の、仏教シリーズ。ゲストは松波龍源さんという方で、とてもわかりやすくお話をしてくれた。
おかげで今まで、仏教のこと、唯識論(この世はすべて実体はなく認識でできているみたいな話)のことで疑問に思っていたいくつかのことが解決された。そしてそのひとつが、「他者」と「自分」との関係について。
――「自分」とは、「『自分以外の者』以外の者」。
唯識論で説明すると、「自分」とはそういうことになるらしい。絶対的な「自分」はないから。私たちはとてもあやふやな存在だから。明確に「自分」を言い表そうとしたら、「『自分以外の者』以外の者」となる。
行って戻ってくるようなややこしさがあるが、理解はできる。
だけどそのあとの、――だから「他者」が変化すれば、「自分」も変化せざるを得ない。「自分」の存在は、「他者」が担保する。――この部分は、すんなりとは私の中に入ってこなかった。
松波龍源さんのお話はわかりやすかったものの、テーマがとても難しいものだから、何度も何度もラジオを聞き、メモをとりながら、私なりに集中して考えてはみた。
他者の変化が自分に影響するかなあ。
どうぞご勝手に、という感じしかしないんだがなあ。
禅問答みたいで難しいなあ……
考えてはみたけれど、なんていうか、ピンとこない。
*
そんな日々を送って、脳内が仏教モードだったとき。母とテレビで県内ニュースを見ていると、若いママさんと赤ちゃんに関する話題が流れた。
その瞬間である。
ああっ、そういうことかあ!
突如、詰め込んでいた知識に神経が通いだした。
テレビのニュースと直接関係ないことなのだが――
私には子供がいない。
例えば周りの人たちがそのことについて、あからさまに嫌味や見下すようなことを言っていたら、私はきっと卑屈になって病むか、攻撃的になるだろう。
反対に、「子供がいない? それも人生!」とまったく意に介さず笑い飛ばす人たちばかりだったら、安堵するし、のびのび暮らしていくと思う。
つまり私という人間は、多分に「他者」の影響を受けているというわけだ。
これがだから、――「他者」が変化すれば、「自分」も変化せざるを得ない。「自分」の存在は、「他者」が担保する。――ということなのでは?
松波龍源さんのお話と、私のこの話が合致しているかはわからない。だけと私の中では、「なるほどたしかに、『他者』が変われば『自分』も変わるなコレ」と実感に至った次第である。
これは世界地図にも例えられるか。
日本は島国だから気づきにくいが。ヨーロッパなど陸続きのところでは、周りの国々の領土が増えたり減ったりと変化すれば、それらに囲まれた自国の形も変化する。
そういうことか。
そういうことで合っているだろうか。
唯識は難しい。関連本も読んでみたけども、やはり難しい。難しいけど、わかりたい。
わかりたくて使いたくて、松波龍源さんのお話を何度も繰り返し聞いて、考えまくっていたあの頃。気がつくと脳の普段使わない領域が、しびれるようにとても疲れていた。
おかげでよく眠れた。
多分、何十冊も関連本を読みまくったあとで、またお話を聞き直してみれば、「そういうことかあ!」と神経通う部分が増えるのだろうな。