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小学生の頃からの親友がいる。 名前は、はじめ☆ちゃん。 クラスが別だったにも関わらず、なぜか仲良くなった。たしか、お互いに絵を描くことが好きだったことで親しくなったように記憶している。 中学で席が近くなると、いよいよ私たちは創作への情熱を爆発させた。毎日おもしろおかしくすごし、給食中には笑かし合いで牛乳を吹き出しそうになるほど。 それから長いこと、「私たち親友!」とお互いに言い合ってきた。中学卒業後は別々の進路をたどり、滅多に会えなくなったものの、それでも私たちは「親友
13年間の結婚生活。あれにはなんの意味があったのだろうかと、折に触れて考える。 ああそうか。 あのコロナ禍で、父を看取り、弔う。 そして母を支えること。 そのための準備期間だったのか。 夜中に病院へ駆けつけることも。 徹夜明けでオヅメガダ(※)に突入することも。 泣き崩れる家族の肩を抱くことも。 私は、初めてではないのだ。 13年間の結婚生活。 あれにはなんの意味があったのか。 そう。あれはきっと、次に来る運命の準備期間だったのだ。 ※オヅメガダ……亡くなってから
「携帯空間Fun!Car!Go!」という、昔の車のCMを思い出す。「携帯空間」とはよく言ったものだなあと、横の車に目をやる。 「私多分、運転が好きなんだと思う。昔付き合ってた人がすごい年上で、どこ行くにも全部運転してくれたんだけど。それが耐えられなくて1ヶ月で別れたのよ」 「なんですかそのおもしろそうな話は」 タブレット端末を操作していた担当さんが笑う。 自動車ディーラーのカフェスペース。 展示されているピカピカの高そうな車を眺めながら、若かりし日のドライブデートも思い出
時々思う。あの13年間の結婚生活は、私にとってただただ無駄な時間をすごしただけだったのだろうかと。何も得ずに終わったのかと。 否。何も得なかったわけではなかった。 そのことを、母が教えてくれた。 母に言われてわかったのだが、知らず知らずのうちに私は、葬儀や法事関連の作法をインストールしていたらしい。 実家で暮らし始めて、まもなく父を失い、コロナ禍で姉や親戚が来られない状況だったあの頃、それは効力を発揮していたのだろう。葬儀から数日後、私は母から感謝の言葉をかけられた。