九州北部豪雨 実家が被災した!
2021年8月14日
記録的な豪雨により、実家が浸水した!
最近のニュースで耳にした方も多いと思うが、私の実家は佐賀県大町町にある。
築30年ほどの木造建築の二階建て一軒家。
2年前の8月29日九州北部豪雨の被害により、一階部分をリフォームしたばかりであった。
ちょうどお盆休みで帰省し、新築さながらの心地よい木の香りに包まれた部屋で、
一家団欒を楽しんでいたところであった。
■8月14日(土)
午前2時ごろから雨足が強くなり、時折激しい雨音により目を覚ました。
母は2年前の経験から、夜中に起きて洗濯し、風呂の水を溜め、ご飯を炊き、浸水に備えていた。
(母と祖母は2年前にも被害に合い、2階に避難したのち、ボートで救助されている)
午前7時ごろにはすでに玄関のすぐ下まで冠水していた。
これはかなり焦った。
ただ、運良く祖父母は早めに避難しており、家にいるのは両親と私と弟の2人。
2年前は母から送られてくる写真を眺めて心配することしかできなかったが、今回は家にいる!
しかも動ける5人のベストメンバーときた!
家電家具は一滴も水に浸らせはしない!
このような気持ちで慌ただしく動き始めた。
まずは高価な家電だ。テレビ、ルーター、スマートホームなどを2階に避難させた。
畳を剥ぎ、テーブルの上に積み上げた。
さらに、押入れやタンスの下に入っている衣類などを、上の段に押し込んだ。
この時点で玄関まで水が侵入していた。
一階の祖父母の部屋はほぼ手付かずの状態であったため、急いで祖母に電話し、「水に浸らないように物を2階にあげるから、大事な物は何?」と聞いたら、「服」と答えた。
服か?と思いながら、言われた通りにタンスを開け、大量の服を二階に避難させた。
この時点で水はすねの上まで来ていた。
母の指示により、一旦二階に避難。
ただ、この時祖父母の部屋に残されてた物が気になっていた。
後悔のなきこと!
この言葉が私の頭によぎった!
私は、弟1人とともに、水をかき分けて祖父母の部屋に向かった。
すると、祖母が大事に保管していた私たち兄弟の小さい頃のアルバムが押入れの下にあったのを見つけた!
間に合ってよかった!
というか、服の前にこの場所を教えてほしかった笑
全力を尽くしたチームプレーで、ベットなどの大型の家具以外は二階に避難させることができた!
あとは、二階から少しづつ上がる水位を確認しながら、街の状況を見渡すことしかできなかった。
実家が保有する3台の車のうち、2台は避難させていたが、父の車は私たちの最後の移動手段として実家近くに泊めていたため、水没してしまった。
二階から水に浸かっていく車を、悲しそうに眺める父の横顔は、なんとも言えない哀愁があった笑
20万キロ走っていたので、車の使命は果たしただろう。悲しい最期ではあるが。。
前回の経験から、水、蓄電池、食料は二階にそろってはいたが、ここで翌朝まで眠るのは体力的にしんどい。。
午後7時ごろ、消防隊のボートで、救出された。
この時の水位は腰ぐらいまであり、玄関先の道路は150センチくらいの水位だった。
ボートに乗った私は、街の状態に大変驚いた。まるで湖に町が沈んでいるようだった。
(写真を撮りたかったが、必死に救助に来てくれた消防隊の方に申し訳なく思い、撮れなかった笑)
(というか、物を二階に運ぶ暇があったら、さっさと避難してくれ!と言うのが、消防隊の本音だっただっただろう。。)
(ただ、前回の浸水でリフォームし、家具も新調していたので、金銭的にも今の家財を何とか守りたいという意識が働いた結果であった。)
ここまで、被災した当日の状況を伝えた。
まず、命を守る行動を取ること。
これが一番大事だと言うことは言うまでもない(この記事では説得力がないが笑)。
次回は浸水後の復旧作業について、書きたいと思う。