HACCPなんてやめちまえ(その16)-「The Trouble With Chicken」
サルモネラ・ハイデルベルグの脅威
このような規則の改正が行なわれる中、実際何が起きたのでしょうか?
2011年のことです。食肉会社大手、カーギル社で製造された七面鳥の挽肉による食中毒が発生しました。カルフォルニア州で1人が死亡、少くとも76名が発症しました。発生源はカーギル社スプリングデール工場です。カーギル社は同社の製品3,600万ポンド(16,000トン)を回収しました。原因となったのはサルモネラ・ハイデルベルグと言う、サルモネラ菌の変異株です。
サルモネラ・ハイデルベルグは抗生物質が効かないという多剤系耐性菌で、かつ重症化しやすいという厄介な菌であり、2000年代になって蔓延しはじめました。
問題なのは、カーギル社はFSISの基準、つまりHACCP計画を実施し、サルモネラ菌に対してのパフォーマンス・スタンダードをクリアしていたことであす。従ってFSISはカーギル社に対してリコールを命じたわけでもないし、その権限もありません。回収したのはカーギルの決断であり、カーギル社の善意でありました。
善意ある会社ばかりではありません。
The Trouble With Chicken
2013年9月のことです。生後17ヶ月の乳児が発熱しました。発熱が続き、最初の段階では嘔吐や血の混じった下痢など、サルモネラ症の兆候は見られませんでした。しかし容態は悪化していきました。脳に大きな膿瘍が見つかり、緊急手術が必要となりました。サルモネラ菌が原因であることが判明したのは、外科医が幼児の頭蓋骨を開いてから2日後のことです。手術から回復するために、医師たちは乳児を人工呼吸器につなぎました。意識を取り戻した乳児は、話し方の再学習を含む困難な回復過程を開始しました。
アメリカPBSという公共放送によるドキュメンタリー「The Trouble with Chicken」はサルモネラ・ハイデルベルグという極めて危険な菌に汚染された製品を食肉会社は販売し続け、それをわかっていながら政府機関は取り締まる手立てもないまま、多くの感染者を生み出したという事実を伝える作品です。
このドキュメンタリーについて紹介したいと思います。
オレゴン州の衛生当局はフォスターファームス社が販売する鶏肉から同じ遺伝子を有するサルモネラ・ハイデルベルクであることを突き止めました。オレゴン州当局はフォスターファームス社にサルモネラ菌の管理を徹底することを要請し、それでひとまず流行は収まったかのように見えました。
同じ遺伝子構造を持つサルモネラ・ハイデルベルグは2009年、2012年とフォスターファームス社製品から検出されています。FSIS/USDAはフォスターファームス社の製品によるサルモネラ菌の汚染について警告文を公開する対応を行ないましたが、FSISはフォスターファームス社の工場を閉鎖したり、市場に出回っている製品の回収も実施しませんでした。
当局が手を出せなかった理由は二つあります。ひとつはフォスターファームス社は、カーギル社と同じようにHACCP計画を実施し、かつサルモネラ菌のパフォーマンス・スタンダードをクリアしている実績があり、違法な製造が行なわれているという証拠をFSISの検査員は見つけることができなかったこと。もとひとつはサルモネラ菌は「異物」ではないこと。つまりサルモネラ菌が検出されたからと言ってすぐに回収命令を出す権限が当局にはないこと、です。
唯一可能性があるのは、いわゆる「スモーキング・ガン」を見つけること、原因である有害・有毒であることがはっきりしたサルモネラ・ハイデルベルグを発症者が食べたという明確な証拠がある製品が、未開封のまま残されている、そのような直接の証拠を見つけることです。
その場合にのみ、FSISはサルモネラ・ハイデルベルグを「異物」として認定し、工場の操業停止やリコールなどの命令を出すことができます。それ以外にFSISは方法はありませんでした。
具体的に言えば、(1)同じ製品、同じ製造日、同じロットの製品を複数購入した患者がいる。(2)買い置きの未開封の製品が冷凍庫に残っている。(3)残された製品から患者と同じ遺伝子を持つサルモネラ・ハイデルベルグが検出される、という条件が揃う必要がありました。しかしながらこのようなケースがなかなか見つからず、いたずらに時が過ぎてしまいました。
つまり汚染されているおそれのある製品が一年以上市場に放置されたことになります。この間、フォスターファームス社は、サルモネラ菌の問題は消費者の不適切な調理法によるものである、という姿勢を一環して崩しませんでした。食中毒の被害はこの間も多く発生しています。全米27州及びプエルトリコで574件の発症例が確認されました。ようやく直接の証拠が得られた2014年6月、FSISはフォスターファームス社に回収を命じることになります。
繰り返しになりますが、問題となったカーギル社やフォスター・ファームス社はいずれもHACCP計画を実施し、かつサルモネラ菌のパフォーマンス・スタンダードをクリアする実績を残している会社であるということです。
ドキュメンタリーによれば、サルモネラ菌による食中毒が減らない原因として二つあると言います。一つはあまりにサルモネラ菌の検査頻度が少ないということです。毎日何十万羽もの処理が行なわれている工場においても、一日一回の検査頻度でしか行なわれていません。つまり汚染を見逃す可能性があると言うことです。
二つ目は検査が枝肉でしか行なわれていないことです。流通する鶏肉の8割はもも肉とかむね肉など、部位ごとにカットされた商品です。つまり枝肉からの後ろの工程についてはまったく検査されていないということなのです。
FSISのwebサイトを見てもトップページに「Reducing Salmonella in Poultry」のバナーがあります。「家禽に起因するサルモネラ症を減らすための規制枠組みの提案」が2022年10月にされておりますが、現在2024年8月現在、進捗は見られていないようです。FSISの動きとしては今までの枝肉のみの検査から末端製品への検査へ移行しているようです。
サルモネラ菌に対する規制の動きは極めて遅いとした言わざるを得ません。
HACCPは食中毒の対策の邪魔になっている?
これらの事件を見てもHACCPが何らかの食品安全に役に立ったのかというと、全く不明であり、カーギル社にしてもフォスター・ファームス社にしても、HACCPを運用中での食中毒事件の発生でした。HACCPは食中毒の発生を防いだわけでもありません。おそらくHACCPの運用が間違っていたのだということになるのでしょう。きちんとハザード・アナリシスができていれば、サルモネラ・ハイデルベルグを防ぐことができたと、言うでしょう。
ただ今回の事件を見ると、それ以上にHACCPは食中毒の対策の邪魔すらしていたということになります。つまりFSISの検査ではカーギル社もフォスター・ファームス社もHACCPの運用は問題がないと判断しており、それゆえに権限を行使できないという状況でした。善意のカーギル社は自主回収を行いましたが、法的拘束がない以上フォスター・ファームス社は回収を拒否し続け、被害を広げました。
HACCPの欠点は予見されていた
もう一度クリントン政権下、連邦食肉検査法(FMIA)が改正され、HACCPが導入された経緯を見てみます。導入に関していくつかの手順を踏んでいます。
クリントン大統領は1997年に「農場から食卓までの食品の安全性ー全国的な食品の安全性を確保するための提言」なる文書を公表します。これを受けて米国議会は全米科学アカデミーに要請、議論の叩き台のための報告書の提出を求めました。この報告書に対してさらにクリントン大統領は大統領諮問委員会を組織し全米科学アカデミーの報告書の評価を求めました。
要請を受けて発表されたのは「生産から消費までの食品安全の保証 (Ensuring Safe Food From Production to Consumption)」という報告書です。その内容は現行の食品行政に関する問題点を多岐に渡って分析しています。
特に食中毒の予防に関しては、科学に基づくリスク分析が必要である、ということでHACCPが取り上げられています。クリントン大統領はこの報告書を受けて、HACCPの導入を盛り込んだ食肉検査法を改正するのですが、この報告書はHACCPの問題点も挙げていることです。それは以下の通りです。
現在の法的あるいは予算上の制約を受けている状況では、HACCPの利点を完全には実現できない。
HACCPシステムはリスクを最小限に抑えることができるが、有害な微生物を破壊する処理が施されていない潜在的に危険な食品の絶対的な安全を保証できない。
フォスター・ファームス社の事件を予言しているように興味深いと思われます。サルモネラ菌に関しては、「異物」ではないという法的な制約があります。
さらにに皮肉なことにサルモネラ菌の殺菌のために使われていた抗生物質や抗菌剤が逆に多剤耐性のサルモネラ菌を産んでしまっているという事実があります。つまり有害な微生物を破壊されていない以上、絶対的な安全を保証できない、ということになります。
この明確な欠点が現実となってしまったのです。