HACCPなんてやめちまえ(その5)-いぶりがっこの悲劇
読売新聞の記事から
前章で述べた通り、2018年の食品衛生法改正で、漬物が国の許可制となり、製造にあたって製造施設など細かい規則に従わざるを得なくなりました。今までは国の許可は必要ではなく、各自治体ごとの対応で良かったのです。いぶりがっこの生産地である秋田県は、漬物に対して特に許可を求めていませんでした。農家の軒先等で細々と生産していたいぶりがっこであるけれども、許可制となれば国の規制通りに施設を整えなければならず、そのための設備投資の負担が重く、生産をあきらめざるを得ない、という記事です。
2018年改正の食品衛生法ですが、いぶりがっこの問題は今回の改正で問題となりました。改正の目玉のもう一つはHACCPの「制度化」です。いぶりがっことHACCPの「制度化」この二つは表裏一体であり、俯瞰することによって、HACCP「制度化」をすることの意味が見えてきます。
いぶりがっことは
いぶりがっこは秋田県名産であり、燻製干しのたくあん漬けです。たくあんを燻製するということで、食品安全を考えた場合、二重のプロテクトを施した優秀な保存食であると言えます。
以下はいぶりがっこの主な生産地である秋田県横手市の市議会の議事録から。
秋田県全体の共有財産としてその名称を守るため、国のGI認証、地理的表示保護制度を受け、ブランド価値の向上を行なっていると言います。つまり地域活性化のエコシステムの一つとして成立していたわけです。
漬物が許可制になった背景
なぜ漬物の生産が国の許可が必要となったのでしょうか。それは過去の食中毒事件が影響しています。
2012年8月、札幌市を中心に高齢者関連施設など 18か所で、腸管出血性大腸菌O-157 による食中毒が発生し、患者135名(認定患者 128名、有症者7名)のうち7名が死亡するという重大事故です。原因は札幌市の岩井食品が製造販売した「白菜きりづけ」であることが判明しました。以下国立感染症研究所のWEBサイトから引用します。
ちなみにこの食品会社は清算され、廃業となっています。この事件が行政にインパクトを与えたのは確かで、死亡事故を起こした白菜浅漬に関して規制がないということは問題だと国は判断したのでしょう、漬物製造業を営業許可制にしようと動きが出てきます。
腸管出血性大腸菌とは
大腸菌とは食品衛生法の定義によれば、「食品別の規格基準について C食品一般の保存基準」として「グラム陰性の無芽胞性の棹かん菌であって、乳糖を分解して酸とガスを生ずるすべての好気性または通性けん気性の菌を言う」とあります。
腸内細菌として大腸内で最も多い共生細菌です。大腸菌と一括りにしても非常に多くの株が存在し、そのほとんどは無害でありますが、中には食中毒を引き起こす有毒な大腸菌も存在します。今回の札幌の食中毒の原因となったような、腸管出血性大腸菌(別名志賀毒性産生菌、STEC)があります。感染すると腹部のけいれん、下痢などを引き起こすが、通常10日程度でほとんど完治しますが、まれに溶血性尿毒症症候群(HUS)を引き起こし、死に至るケースもある、という恐ろしい菌です。
そもそも営業許可って何?
例えば自家製のアイスクリームを作って売ろうと考えたとしましょう。その場合はアイスクリーム類製造製造業として届けないといけません。当然届けただけではだめで、アイスクリーム製造に適した衛生的な設備で作られているか保健所の人の確認を受けなければならないです。喫茶店を始めようと思ったら喫茶店営業として、営業許可を取らなくてはなりません。許可を取るためには必要な書類を地元の保健所に提出し、保健所職員の設備の検査を経て許可を得ることになります。
このような業種は細分化され、全部で34種類ありました。この分類は昭和47年以降見直しが行われておらず、食品産業の現状に合っていないと言う問題意識が国側にあったようです。そのために業種の整理統合を行ないたいと考えていました。
法改正に関して「有識者」は何を話し合ったのか
国、というかお役人の考えを法改正に落とし込むための一つの「儀式」として有識者による検討会が実施されるようです。五十君東京農業大学教授を座長に12名の有識者、厚労省食品基準審査課長を始めとする5名の事務局から構成された「食品の営業規制に関する検討会」が2018年8月1日から2019年4月24日まで計16回開かれています。
第2回の検討会において、事務局側が提出した資料(営業許可制度の論点について(案))という資料があり、これらの問題点が提案されます。
(案)がついていたり、「許可対象業種とするか」と疑問形だったり、一応議論の叩き台としての形を取っているものの、検討会の流れを見る限り、漬物製造に関しては、条例許可業種(自治体での対応のみ)から許可業種(国への許可が必要)とすることが既定の事実であるかのように議論は進みます。
漬物と言っても色々ある、という議論
検討会での発言から。
北海道で死亡事故を起こした白菜のきり漬けのような「浅漬け」といぶりがっこのようないわゆる「ふる漬け」はHACCPの管理上全く別物であり、漬物というカテゴリーに一括りにしていいのか? という問題提起です。
ここで浅漬けはサラダに近いと言っていますが、イメージとしてはスーパーで売られているカット野菜に近いと思われます。アメリカのロメインレタスの死亡例もあるように、カット野菜は汚染されやすく、非調理のまま食べられることが多いため、食品安全上注意しなければならない危険な食品とされています。
じつはこのあたりは自治体はわかっていて、キメ細やかな対応をしていました。例えば東京都の対応について。
最近は八百屋さんそのものを見かけなくなったしまいましたが、確かに昔の八百屋さんの軒下で漬物が売られていました。子供の頃、店先に漂う糠の匂いを今でも思い出します。
そのようなふる漬けはそもそも食品安全上問題が少ないとして、許可から除外し届出のみでよい、としていたのが東京都の対応です。これはいぶりがっこに対して特に許可を求めなかった秋田県の対応と同じです。
以上、様々な意見があったのにも関わらず、自治体で行なっていたような漬物の種類ごとのていねいな対応は行わず、漬物製造業というひとくくりで営業許可が必要な業種とされてしまうわけです。
推論-どうして漬物がひとくくりにされてしまったのか
営業業種の見直しの目的の一つとして、なるべく業種の数を減らして効率化したいという意図があったようです。例えばスーパーマーケットのように、一つの事業所で複数の営業許可を取らなければいけないという煩雑さがありました。そのようなモーメントがある一方で、死亡事故を起した漬物に関しては新たな規制を加えなければならないというモーメントがありました。
この二つの逆方向のモーメントの妥協点として、食品安全という観点から言うと幅広い分類が考えられる漬物というジャンルを一括りにして許可業種としてしまったのではないかと推論しています。そしてその妥協点の皺寄せがいぶりがっこのような食品に直撃したのです。
ただ法改正により改編されたはずの営業許可の改編ですが、改正前が34業種あったものが32業種と、それほどの整理されたとも思えず、要許可業種と要許可業種以外という従来のカテゴリーに加えて、要届出業種という新しいカテゴリーが加えられ、従来より複雑でわかりにくくなった感じもします。