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HACCPなんかやめちまえ(その4)ー宗教としてのHACCP、雪印食中毒事件


専門家の声

代表的な例として「技術者はHACCPを正しく理解しょう」と呼びかける西川の「メッセージ」があります。

 この事件は、雪印乳業株式会社大樹工場が製造・出荷した黄色ブドウ球菌毒素混入の脱脂粉乳を原料として、大阪工場が低脂肪乳等を製造したため、黄色ブドウ球菌毒素を含んだ低脂肪乳等が出荷され,消費者が飲んだため発生したのであった。
 大阪工場がマル総の承認工場であったため HACCP は役に立たないという風評が流れたが、そうではない。
 当時大阪工場が HACCP を正しく実施していたならば、たとえ購入した脱脂粉乳に黄色ブドウ球菌毒素が混入していても、ハザード・アナリシスで黄色ブドウ球菌毒素の混入した脱脂粉乳を使用前に発見できて排除していたので食中毒は発生していなかったであろうと考える。
 HACCP はハザードを正しく切除できる優れた鋏であるが、使い方を間違えると切り損ない、ハザードがすり抜けてしまうのである。

西川研次郎、技術者はHACCPを正しく理解しよう、日本水産学会誌
2010 年 76 巻 6 号 p. 1111

日本水産学会という学会誌の巻頭の言葉です。至極まっとうな意見のように思えますが。だが本当でしょうか。

大樹工場では停電がありました。脱脂粉乳は原乳を加温してクリーム分を濾し取った残りの液のことです。生乳の加温は菌を増殖させる危険性があるので、菌には増殖しやすい温度(いわゆる至適温度)というものがあり、この温度帯に滞留させる時間をなるべく短くする工夫がなされます。ところが停電により生産がストップし、加温した生乳が滞留してしまいました。復旧までの数時間の間、至適温度にあった生乳中の黄色ブドウ球菌が増殖し、同時に毒素も多く排出させてしまったのです。

この滞留してしまった生乳を設備復旧後、廃棄することなくそのまま生産を続行しました。問題の液は殺菌され、ブドウ球菌は殺菌されたが、毒素はそのまま残存したまま大阪工場に送られ、被害を拡大させたというわけです。

後だしジャンケンの「専門家」

エンテロトキシンが原因だと突き止めたのは和歌山県立衛生研究所でした。毒素そのものの分析の代わりに、毒素を産生する菌の遺伝子の有無をPCR法で確かめました。

エンテロトキシンの直接の分析は和歌山県の発表から間を置かずに、大阪府立公衆衛生研究所(現大阪健康安全基盤研究所)のグループにより報告されました。乳製品から毒素を分析することは極めて困難だったそうです。

 通常のブドウ球菌食中毒では、原因食品から1g当たり100万個以上の菌が検出され、エンテロトキシンも数10ng/g以上検出できます。菌が殺菌されエンテロトキシンのみが残存した食中毒例は、世界的にもわずかしか報告されていません。
 日本で広く利用されているエンテロトキシン検出法は「逆受け身ラテッス凝集反応」であり、A~E型の毒素を約1ng/mLの検出感度で測定できます。通常の原因食品では希釈しても、エンテロトキシンを十分に検出できます。ところが、今回の低脂肪乳中の毒素濃度は予想以上に低く、検体中の毒素を濃縮しないと検出できませんでした。牛乳は高濃度のタンパク(カゼイン、乳清等)や脂質、糖類を含みます。
 このような乳製品試料から微量のタンパク毒素を効率よく選択的に抽出濃縮するのは容易ではありません(太字筆者)。

乳製品による食中毒の原因物質を検出 - ブドウ球菌のエンテロトキシンとは - 
地方独立行政法人 大阪健康安全基盤研究所
https://www.iph.osaka.jp/s008/030/010/010/190/20180106220000.html
  

いわゆる分析の世界でいうところの夾雑物の問題です。ある物質を分析しようとした時、その物質単体であればかなりの精度で分析できたとしても、実際分析したいものが同じ精度で分析できるとは限らないということです。バックグラウンド・ノイズという言い方もしますが、分析したい物質と似たような物質が存在すると、その物質が分析の邪魔をしてしまうことが多々あるわけです。つまりエンテロトキシン単体ではかなりの精度で分析できますが、牛乳中であると、牛乳の主成分であるカゼインとか乳清などが分析の邪魔となって精度よく分析できない、という意味です。

つまり雪印事件前において乳製品中のエンテロトキシンの分析はできていなかったし、菌が存在せずに毒素のみで発症するのは極めてまれだとされていたのです。

ここで西川の発言をもう一度振り返ってみます。

 当時大阪工場が HACCP を正しく実施していたならば、たとえ購入した脱脂粉乳に黄色ブドウ球菌毒素が混入していても、ハザード・アナリシスで黄色ブドウ球菌毒素の混入した脱脂粉乳を使用前に発見できて排除していたので食中毒は発生していなかったであろうと考える。

西川の発言は間違っていないように思えます。ただ現実問題としてエンテロトキシンに関して事前にハザード・アナリシスが現実としてできたのか? という問題があります。

ハザード・アナリシス(Hazard Analysis)とは危害要因分析とも呼ばれます。HACCPは製造工程全般にわたってハザード・アナリシスを行いハザードのリストを作り上げます。

例えば天ぷらを考えた場合、素材を洗う、素材を切る、衣をつける、油で揚げるなど、一つ一つの作業を工程として分解します。そして工程一つ一つの中で食中毒になるような恐れがある危険が潜んでいないか調べ、危ないと思われるものをリストアップします。そのリストの中から最も危険と思われるハザードを重要管理点(CCP、Critical Control Point)としてピックアップし、そのCCPを徹底的に監視するというプロセスがHACCPの概略です。

黄色ブドウ球菌が存在せずに毒素のみで発症するのは極めてまれということであれば、菌の存在をCCPとして監視することはあっても、毒素まではCCPにはしないでしょう。そんなまれなことをいちいち含めていたらリストが膨大に膨れ上がって収拾がつかなくなってしまいます。

HACCP研修などで、実際のHACCP計画を作りましょうという実習があったりします。心配性の初心者はなんでもかんでもCCPとしてしまって、先生にたしなめられたりします。一つの食品にCCPはせいぜい2つか3つぐらいにしましょう、と。

ですから脱脂粉乳のHACCP計画を作ろうという実習があって毒素をCCPとした生徒がいたら、多分講師は毒素のみで食中毒が起こることはまれだからとCCPにはしないと思うよ、というアドバイスを受けるかもしれません。

またリストアップができたとしても、毒素のみをCCPをすることも難しいと思います。繰り返し言いますが、事件が発生するまで脱脂粉乳中の毒素の分析は難しかったのです、事故後初めて分析が可能になったのです。

そもそも分析ができなければ監視もできません。HACCPの面倒くさいところなんですが、このCCPの管理するための管理値について分析、監視を行い、分析値の妥当性を確かめろとか、その妥当性を検証しろとか言います。

エンテロトキシンの場合は事件以前は分析ができなかったのです。結論として毒素の混入をCCPとしてピックアップすることは、その当時の状況から考えても、できるとは思えません。つまり西川の発言は後出しじゃんけん、実行不可能な無理難題を言っているに等しいわけです。

撮影者不詳, Public domain, ウィキメディア・コモンズ

HACCPという宗教

 大阪工場がマル総の承認工場であったため HACCP は役に立たないという風評が流れたが、そうではない。

確かに私がHACCP関連の仕事を始めた2018年前後でもマル総の評判はひどく悪く、HACCPを曲解している最低の制度だと酷評する人も少なからずいました。このマル総は2018年の食品衛生法改正とともに制度は廃止されるわけですが、国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)の合同機関である食品規格 (codex、コーデックス) 委員会が発表したHACCP、いわゆるcodexHACCPに忠実なれ、と「ルネッサンス運動」みたいなものが起きていたのを覚えています。

マル総が日本のHACCPであるとの間違った認識が広がったため、わが国ではいまだにCodexとは異なる間違ったHACCPの解釈が沢山存在している。

おそらくこの筆者の言いたいことは「マル総のHACCPは間違っている、こんなクソなものをたまたま雪印の工場が取っていたから、まともなHACCPをやっている俺たちまで疑惑の目で見られて、大迷惑だ」というところでしょう。

 HACCP はハザードを正しく切除できる優れた鋏であるが、使い方を間違えると切り損ない、ハザードがすり抜けてしまうのである。

この西川の最後の発言には驚きを隠せません。「ハザードを正しく切除できる優れた鋏」であると信じる根拠は何なのでしょうか。前の私の記事でも述べたように、HACCPの効果を検証した例はないと、厚労省の偉い人も認めているのです。効果が検証できないものを、優れた鋏であると断言できるのはどうしてなのでしょうか? 

「技術者はHACCPを正しく理解しよう」と筆者は訴えます。技術者であれば根拠がない、検証されていないものは懐疑的な目で見るものです。「全てを疑え」とまで言い切る諸先輩もいます。根拠のないものを「優れた鋏」と断言するのは少なくとも技術者の態度ではありません。ないもの、見えないものを理解せよ、信じろというのは宗教です。HACCPは優れた鋏であると信じる宗教、HACCP教みたいなものです。

面白がって言えば、HACCP教なるものの下で、マル総派とCodex派の分派があって、神学論争を繰り広げているではないか、そんな構図が見えてしまいます。そこには雪印事件に対して、HACCP側からの事故に関する精密な分析や解析、真摯な反省や今後の改善に向けた提言などかけらもありません。

HACCPにはまったく問題はなく、使い方を間違えた雪印乳業(あるいはマル総派)が悪いのだと筆者は言います。この言い方が通用するのであれば、今後HACCPを導入した工場で食中毒事件が起きたとしても、HACCPは悪くない、現場が悪い、あるいは間違った教えのHACCP分派が悪いと言い逃れができます。何があってもハザード・アナリシスですり抜けてしまったと言い張れます。現場がキチっとしなかったからダメだのだと言い続けることができます。

私のようなHACCP教の異教徒にとってはマル総だろうが、Codexだろうがどちらでも良いことです。正しく使わなかった現場はダメなんだと、切り捨てておしまいという姿勢を貫けば、HACCPというご本尊は守られ、かつHACCPを崇め奉る自らの信仰心も守られると思っているのでしょうか。

神学論争にかまけている場合ではないです。守らなければならないのはHACCPでも、HACCPへの信仰心でも、自ら分派の普及活動でもなく、消費者の食の安全であるはずです。現場を切り捨てることは、すなわち消費者を切り捨てることでもあります。

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