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HACCPなんかやめちまえ(その18)ー終章「ゼロリスク幻想」と言う幻想


ゼロリスクか実質安全論(パフォーマンス・スタンダード)か

サルモネラ菌の規制の違いを国別で見てみるとスェーデンではゼロリスク(ゼロ・トレランス)を求めたのに対して、アメリカではパフォーマンス・スタンダードなる考え方を取っています。

ゼロリスクとはサルモネラ菌は食品に取って「異物」であり、その混入は許さないというのが考え方です。

その一方アメリカではサルモネラ菌は「異物」としての認められていない以上、食中毒を引き起こさない程度の混入はあり得るという考え方です。

FSISはその考え方を改めようとしているようですが、業界の反発が大きいようで、変革の動きは遅いです。

最近の社会の風潮として、「ゼロリスク」を否定する考え方が広がっているようです。

典型的な考え方として、日本消費生活アドバイザー・コンサルタントと言う肩書を持つ蒲生の論考からの引用します。

食品安全の分野でひとたび問題が起きると「放射性物質ゼロを目指します!」などのゼロ・トレランスが繰り返し叫ばれるが、食品にゼロリスクは不可能として、Codexは1995年に食品安全システムの原則にリスク分析を採択した。ゼロリスク論から実質安全論への転換である。実質安全論は政府だけでなくすべてのステークホルダーに食品安全性確保のための責任の共有を求めている。実質安全論をベースとした食品安全基本法は、「消費者は知識・理解を深め、意見表明に努めて食品安全性確保に積極的な役割を果たす」ことを定めている。

食品安全情報の消費者教育 
公益社団法人日本消費生活アドバイザー・コンサルタント・相談員協会 食生活特別委員会副委員長 蒲生 恵美

蒲生が言う「食品にゼロリスクは不可能として、Codexは1995年に食品安全システムの原則にリスク分析を採択した。ゼロリスク論から実質安全論への転換である」に関しては補足が必要かもしれません。

1995年にWHOとFAOの共同機関であるCodexと言う組織が各国の食品安全の共通基準としてHACCPを採択した年であることから、蒲生の言う「リスク分析」とはHACCPのことを指していると推論できます。

この採択がゼロリスク論から実質安全論への転換なのかどうかは議論のあるところではありますが、その論旨に従って言えば、この頃から実質安全論と言う考え方が認知され、HACCPがその一部を担っているということなのでしょう。

「放射能ゼロを目指します」という考え方がここでは否定されています。この否定で象徴されるのは俗に言うところの「ゼロリスク幻想」という考え方です。

それは放射能であったり、農薬であったり、それが混入しないようにすることは、社会システムおよびリソースに過剰な負荷をかける可能性があります。現実的、科学的には許容量を定めてそれ以下で管理すべきであり、その考え方を消費者へ知らしめる必要がある、さらに言うとその考え方を受け入れさせるための教育が必要である、ということだと思います。

食品安全で「ゼロリスク」政策として有名なのは「デラニー条項」でしょう。1958年に米下院議員であったジェームス・デラニーが提案したものであります。本条項はどんなに微量であっても発ガン物質を使用してはならない、という規則であります。

この条項は1996年に廃止されます。この間に科学の進歩があり、様々な知見が得られるにつれて、この条項の適用が難しくなったからです。

例えば分析技術が発達し、今まで検出できなかった発がん物質が微量でも検出されるようになったり、ビタミンCやビタミンEなど摂取量によってはガンを誘発する可能性も捨て切れなくなったことなどです。

HACCPを導入したアメリカと導入していないスウェーデンとの比較において、スウェーデンの政策が優れていて、アメリカの政策が劣っているということは簡単には断言できない、と思います。

歴史が語るように、食中毒は様々な伝染病のなかでも駆除が難しいものです。食中毒の発生が減少していたとしても、それはあくまで現状の「スナップ・ショット」にすぎません。予測できない原因により大きな食中毒事件が発生する例は過去見た通りです。

ここで言えることは、ゼロリスクの規制を実施するのか、それとも実質安全論的政策を取るのか、二通りの政策があると言うことです。前者はスウェーデンが採用し、後者がアメリカが採用しているということです。どちらが優れた政策であるのかというのは極めて難しい問題です。

問題とすべきはゼロリスクに固執することも、「放射能物質ゼロを目指します!」と言うゼロリスク幻想を有り得ないと切り捨てることもともに極論に陥りやすいということです。

サルモネラ菌の規制に関して、国によりゼロリスクか実質安全論かと政策が別れるように、その線引きは難しいと考えるべきでしょう。

懸念されるのは、ゼロリスク政策が可能な分野、あるいはゼロリスク政策を実施すべき分野において、単に規制にかかるコストを低減させるために、リスクの一部を消費者に背負わせることにより、規制側、企業側、あるいはその関係機関がその責任を部分的に免れるという可能性です。

リスクの移転、言い換えればリスクの市場化です。やればできることをやっていない、実質安全論を安易に採用することにより、企業側、規制側をスポイルさせる可能性があります。

HACCPは本当のリスクに向かい合っていない

リスクという言葉で思い出されるのはドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベックが唱えた「リスク社会」です。

ベックによれば、産業が近代化するにつれて、その副作用としてリスクが発生すると考えました。代表的な例として原子力産業が考えられ、副作用としてのリスクが現実になってしまったのは、チェルノブイリであったり、フクシマです。

産業界はそのリスクに対応するために自らの組織を変容させなければならないとし、その行為を再帰化(reflexivity)と呼びました。

しかし産業はその再帰化に対して消極的である場合がほとんどです。産業界だけではなく、一般的な政策に関しても同等の考え方をして、喫緊の問題を直視しない態度も挙げられます。典型的な例として地球温暖化に対して、そんなものはないと否定的な考え方を取ることです。このような態度を反再帰的(anti-reflexivity)と呼びます。

アメリカの食肉業界は一貫して、反再帰的でした。ベックの定義に従えば彼らの副作用としてのリスクは、産業を巨大化させることでした。大量生産を行ない、市場に大量供給することによって、食中毒の被害を広域化させることであります。

あるいはサルモネラ菌の殺菌のために大量の抗菌剤や殺菌剤を使うことも大きなリスクでした。このリスクに対してアメリカの食肉産業は一貫して頑なに反再帰的態度でした。そのために多剤耐性のサルモネラ菌による食中毒を起こし続けています。

彼らは生産量を拡大させたいがため、つまりラインスピードを上げるために、HACCPシステムは連邦検査員をラインから遠ざけることができるという期待のもとに採用しました。

サルモネラ・ハイデルベルグの重篤な被害が蔓延した場合でも、HACCPを含む連邦政府の規則を表層的に遵守しているということで、企業は免罪され続け、結果として被害を広げました。

リスク分析を行なうこととするHACCPは、この根本的なリスクを向き合ってるようには思えません。そもそもHACCPは規制当局および食肉業界の了解のもとに採用されたシステムです。

しかしながら食肉業界の存立にかかわるような大きなリスクに対して、まったくHACCPは役にたたないことがわかりました。

結論-新自由主義とHACCP

以上まとめます。

国内において食品衛生法の改正でHACCPの制度化がなされました。国会での議事録を見る限りにおいて、東京オリンピック・パラリンピックを迎えて、国際的な標準としてHACCPを導入しました。同じ改正において、漬物業が登録の業種に格上げされ、衛生設備を整えなければならなくなり、その設備投資を負担できない零細業者はいぶりがっこなど生産をあきらめなければならない事態に陥っています。これは「大きすぎて潰せない」オリンピックと「小さすぎて保護できない」いぶりがっこの対比を考えても極めて新自由主義的な法改正であるということが浮き彫りになりました。

一方アメリカでHACCPが食肉業界に導入されたのは、クリントン政権下でした。財政危機から行政改革を進める中で、食肉工場に派遣されている連邦政府の検査員の削減が求められていた中で、HACCPは見事にその意図に沿ったものでした。連邦政府の検査を食肉工場の検査員にその検査を移譲することがHACCPにより可能となったわけです。

この考えも典型的な新自由主義的な政策と言えるでしょう。二十年以上のHACCP導入で、多剤耐性のサルモネラ菌を生み、撲滅の動きは極めて遅いと言わざるを得ないでしょう。

以上HACCPは消費者の保護という食品安全から遠くのところで採用されました。新自由主義的政策に極めて親和性が高く、それゆえに効果が期待できないと結論できます。




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