HACCPなんかやめちまえ(その8)-HACCPの開発
HACCPとNASA
HACCP否定派の私は国会での厚労省審議官の発言「HACCPの効果について検証することは大切だと思いますので、調べたいと思います」をもってして、大はしゃぎしておりますが、HACCP信奉者は、HACCPはあのNASAが開発したものでということで「お墨付き」を与えようとしております。
例えば HACCP について、Wikipediaを見てみると以下のような記述があります。
HACCP を紹介するほとんどの入門書にこのNASAでの開発について、数行程度書かれているにすぎません。実際どのようにして生まれたのか、その経緯について詳しく述べている HACCP の解説書はほとんどない、と言っていいいでしょう。
ここでは HACCP の生みの親であるバウマン博士がどのように考えて HACCP を作り上げたのか中心に紹介するしたいとおもいます。
バウマン博士は Wikipedia にあるようにピルスベリー・カンパニーという食品会社の研究者でした。始まりは 1959 年、NASA より無重力条件下の宇宙食の開発を依頼されました。
最初の課題は狭い無重力空間で、食品の砕け散った粉が宇宙船内の機器類に対してどのような影響があるのかわからず、なるべく粉が飛び散らないような一口サイズの食品を考えることでした。
ただ一番深刻な問題に直面します。宇宙飛行のミッション中、飛行士に食中毒の被害を与えない食品をどうやって作るかということです。飛行士の食中毒はミッションの遂行に深刻な危険をもたらす可能性があります。
NASA が求めているのは完全な無菌食品です。宇宙船の部品であれば、X線や超音波などによる検査、いわゆる非破壊検査が可能であり、使用する部品の全量を検査することが可能と思われます。
菌の分析はそうはいきません。問題点は二つあると思います。ひとつはサンプリング手法であること。そして検査に時間がかかりすぎることです。
菌の分析法について
菌の分析値には良く CFU と言う単位が使われます。Colony Forming Unit(コロニー生成単位)の略です。この単位の由来は微生物の性質そのものに関係しています。菌の分析はシャーレの中で菌を増殖させる方法を採用しています。菌はバラバラに増殖するのではなく、集団として一つの塊、つまりコロニーの中で増殖するという習性があるのです。
一つ一つの菌は小さすぎて目視では観察できないけれども、コロニーになれば目視で確認可能となります。一つのコロニーは一つの菌から発生するので、このコロニーの数を調べれば、検体に含まれる微生物の数を特定することができるというわけです。
このような菌の特殊な性質、およびその性質を利用した分析法ですが、同時にこの菌の性質が、製品が無菌であるという完全な保証を妨げているのです。例えば菌が完全に溶けているのであれば話は簡単でしょう。製品のどの一部をサンプリングしたとしても、サンプリング検体の分析値はほぼ一定で、どの場所からサンプリングしてもばらつきは少ないです。言い換えればサンプリング誤差は小さいと言うことができます。
菌の場合は難しいです。菌はどこかにコロニーとして潜んでいるかもしれません。サンプリングした場合、運よくコロニーを捕捉できるかもしれないし、できないかもしれない。瓶の蓋の裏とか、容器の隅とか、思いもよらない場所に潜んでいる可能性もあります。運悪くコロニーを捕まえることができなかった場合、深刻な汚染があるにも関わらず、菌の数がゼロとなってしまう場合も考えられます。つまりサンプリング誤差が大きいのです。
微生物の分析を厄介にしている問題がもう一つあります。菌の培養に時間がかかりすぎるのです。最近でこそPCR法など、迅速な分析法が開発されているものの、1960 年代から現在まで、分析法としては菌を培養させて目視可能になるまでコロニーを形成させる方法が取られていて、分析には数日の時間を要します。消費期限の短い生鮮食品であれば、分析結果が出た時点で、全量消費者に渡っていて、すでに食べられてしまっている可能性があります。
微生物の分析の二つの問題、サンプリング誤差と分析時間の問題をどう解決すれば良いのか、バウマン博士は考えました。
サンプリング誤差を下げるにはサンプリングの数を増やせばいいのかもしれません。サンプル数を増やすことによって統計上の確からしさは増します。ただ統計上は 100%近い保証はできますが、100%ではありません。NASA が求めていたのはその 100%なのです。
HACCPの開発
バウマン博士は考え方を切り替えました。製品レベルで 100%の保証が単なる製品分析ではできないのであれば、そもそも菌が入らないような工程、あるいは混入してしまった菌を殺してしまうような工程、あるいは菌に汚染されていないことの証明ができる工程を製造ライン内で設定すればいいのです。つまり製品が完成した時点で、その製造工程で菌汚染がないことが保証されれば良いのです。言い換えれば菌汚染の予防システムが有効であるはずであると思い至ったのです。
つまり最終製品の分析を行い、安全を保証するエンド・ポイント型の品質保証から、製造工程そのものの安全を保証することにより最終製品の安全性を保証するプロセス・コントロール型の品質保証への変更です。
HACCP導入までの長い道のり(その1)成功
1950年代に開発されたHACCPですが、実際に規制として採用されるまでは1996年の食肉検査法の改正ですから40年以上の時間を経ています。
その間に紆余曲折を経ています。この間FDAがHACCPの取り入れに積極的でした。HACCPの解説書によればFDAによる「低酸性缶詰」の規制にHACCPの考え方を取り入れたとされています。
これはボツリヌス菌に汚染されたヴィノシアーズ(冷製ポタージュスープ)の缶詰による食中毒事件が元になっています。「低酸性」とは馴染みのない言葉ですが、ボツリヌス菌は酸性にすると死んでしまうらしく、殺菌するためには食品そのものを酸性にすることは良い手段なのですが、ポタージュスープは製品上酸性にすることはできません。と言うことで「低酸性」と言うことです。
ボツリヌス菌は酸素を遮断すると毒素を排出するという菌で、缶詰にとっては厄介な菌です。缶詰にしてしまった製品の検査は事実上困難なのです。
このために缶詰業者に工程における菌管理を徹底させるというHACCP的発想で規制を制定し、FDAの成功例とされております。
HACCP導入までの長い道のり(その2)失敗
成功を味をしめたのでしょうか、続いてFDAはホワイト・フィッシュと呼ばれる魚の燻製品に関する規制を巡って裁判に負けてしまいます。ホワイト・フィッシュというのは私にはどうも馴染みがありませんが、色々な魚の総称でスケトウダラや場合よってはヒラメなど、白身の魚の総称らしいです。
この燻製魚のボツリヌス菌汚染を防ぐために、FDAはTTS規制というものを定めました。燻製の条件を時間(time)-温度(temperature)-塩分(salinity)を指定しました。具体的には約 83℃、30 分以上で燻製を行い、かつ最終製品での塩濃度が 3.5%以上であること、としたのです。工程管理による菌汚染の防止という点ではHACCPの発想に基づいているわけです
ところがこの条件では燻製ができないと言うノバ・スコシア社は陳情していたのですが、TTS規制を強行しようとしたFDAに対して裁判を起こしました。
1977年に行われたこの裁判は、「United States v. Nova Scotia Food Products Corp」として食品安全の世界というよりは、法律の世界の方が有名な判決とされているようです。
争点となったのはこのTTS規制が行政手続法(Administrative Procedure Law, APA)に沿った規制が作成されたかです。
つまり規制を官庁が制定する時は関係部署の意見を聞き、規制を行う「根拠と目的」について発表しなければならないと言うことです。
裁判はTTS規制に関して適切な「根拠と目的(basis and purpose)」の声明が行われたかと言うことでした。判決文は以下の通りです。
つまりTTS規制において明確な根拠と目的に関する声明がされていない、と言うことで裁判の結果ノバ・スコシア社の勝訴に終わりました。ボツリヌス菌の問題は製品を真空パックにして、酸素を遮断したために起こったものであり、ノバ・スコシア社は真空パックをとうの昔に止めていました。それ以降菌による問題は起こしていないとのことです。
その結果FDAはTTS規制を撤回し、HACCPの導入が10年近く遅れることになるのです。