HACCPなんかやめちまえ(その9)ーHACCPの復活、広域化重大化する食中毒事件を巡って
1997 年 1 月 25 日、クリントン大統領はラジオ演説で、食品安全に関する演説を行います。
1993 年 1 月。大手ハンバーグチェーンであり、現在でも全米で 2,000 店以上の店舗を有するジャック・イン・ザ・ボックス社で集団食中毒が発生しました。原因は腸管出血性大腸菌O157:H7 でした。この0157:H7 に汚染された冷凍パテにより、4つの州で 732 人の有症者が発生し、195 名が入院、4名の子供が死亡しました。
食中毒の原因は生焼けのハンバーガーを食べたことによります。例えばワシントン州では、大腸菌が死滅するとされる 68℃以上に加熱しなければならないと州法で規定していたが、その規定を守っていなかったことが判明します。
余談ですが、HACCP の研修などを受けるとハンバーグのHACC計画を作りましょうという、HACCP の演習が行われることがあります。その時の 重要管理点、CCP はハンバーグを焼いている時のハンバーグ・パテの中心温度となります。
当然のことながら、HACCP の専門家から見れば生焼けのパンバーグなんて、もっての外と言うでしょう。ただ単純に切り捨てていい問題ではありません。
そもそもレアのハンバーグはアメリカでは昔から食べられていたのです(日本でも一部レアハンバーグをウリにしている店もあるようですが)。ハンバーグを法律通りの条件で焼くと、固くなってしまい、一部のアメリカ人の嗜好には合わないようです。ステーキの焼き具合のようにハンバーグも焼き具合があるらしいです。
レアのハンバーグを当たり前のように食べられていたとしたら、この手の食中毒は昔から発生していたと考えるのが妥当でしょう。であるとしたら、何故この時代、1993 年に大規模な食中毒が発生したのでしょうか。
食肉産業は 1800 年代後半から巨大化し続けてきました。この流れは第二次世界大戦以降も顕著になります。技術進歩により生産性が向上しました。同時に価格競争も進み、その結果、中小食肉会社が次々と大手企業に買収され寡占化も進みました。1972 年から 1992 年にかけて食肉工場の数は 1/3 に減少したと言われます。
米国食肉加工産業の中で大きな販売量を占めるのが、冷凍のハンバーガー用パテです。大規模生産が行われ、そのために全国から牛肉を調達されました。
食品安全の観点から見ると、大量生産はそれだけで大きなハザードを持ち込むことになります。全国から調達された食肉が巨大工場に集中し、一つのロットとして混合されます。現在であれば、トレーサビリティーが問われ、原料の由来や履歴についての管理が行われていますが、当時はそのような概念もなく、全国から集められた原料が雑多に混ぜ合わされました
その原料の一部が汚染されていた場合どうなるでしょうか? 汚染された原料がごく少量だったとしても、製品全体に汚染が広がり、全米各地で販売されます。ひとたび食中毒事件が発生すると、その被害者の発生は広域化し、被害者の数の莫大になります。それが現実となったのが、ジャック・イン・ザ・ボックス事件です。
この事件は沈滞期にHCAAPを蘇らせることになります。前の記事で述べたように、食肉の検査は連邦政府の検査員が工場に派遣されて枝肉一つ一つを検査します。「つついて、匂いを嗅ぐ」という目視の検査では、ジャック・イン・ザ・ボックス事件で発生した微生物による食中毒は予防できないということが指摘されました。