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修復建築家「ヴィオレ・ル・デュク」#1

フランスの修復建築家,建築史家,建築理論家。
フランスのノートルダム大聖堂の修復設計コンペで一等になり、1845年には修復工事を実現させたことでも有名である。ノートルダム大聖堂は2019年に火災で尖塔や屋根が崩れ落ちてしまったが…。


ヴィオレ・ル・デュクについては、次の3つの側面から語られることが多い。
1.歴史的建造物の保存・再生に新たな修復理論をもたらした建築理論家
2.ゴシック建築を構造合理主義的の解釈した考古学者
3.近代建築の先駆的役割を果たした建築家

今日では、ヴィオレ・ル・デュクが建築修復にもたらした業績を語られることは多いが、当時はかなり批判が激しかった。建築界や考古学者からの非難だけではなく、小説の中でまで非難をされていたようだ。プルーストの『失われた時を求めて』の中で、あまりに完全復原されたピエールフォン城の姿は、修復による破壊としてみられていた。

ヴィオレ・ル・デュクとよく対照的に語られるのが、ジョン・ラスキンである。ヴィオレ・ル・デュクは実践派であり、一方、ジョン・ラスキンは理論家であり著作も多い。

二人はともにゴシック主義者だった。しかし同じゴシック建築を見ていても、二人は全く異なる視点で見ていた。ラスキンの『建築の七燈』はタイトルが示すように、七つに分かれている。それらは「犠牲の燈」、「真実の燈」、「力の燈」、「美の燈」、「生命の燈」、「従順の燈」、「記憶の燈」の七つだ。ペヴスナーは「これらはすべて感情を喚起する特質ばかりではあるが、厳密にいえば建築的なものではない」と述べている。

ヴィオレ・ル・デュクの場合はどうか。
「それに対してヴィオレ・ル・デュクの『事典』の第二巻を開けば、そこには「祭壇」、「手摺り」、「柱基」、「大聖堂」、
「礼拝堂」、「柱頭」などの項目がならんでいる。」
この違いについてペヴスナーは「一方は感情の魔術師であり、他方は事実の報告者だという両者の対照がここに見られる」と述べている。
http://drowbypen.com/wp01/

「一方は感情の魔術師であり、他方は事実の報告者」

ヴィオレ・ル・デュクについてのプロローグとして今日はここまで。ちなみに、スイスの建築家ピーター・ズントーも初期は建築修復の仕事をしていた。私も以前は建築修復が専門だったが、日本の建築家教育は修復学を必須にするべきだと私は思う。

火災前のノートルダム大聖堂 セーヌ河岸にて

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