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ただの20代吉本芸人が、ヴィーガンになった日①

「チーズバーグディッシュ300gのライス大盛りで!」

僕がヴィーガンになる決意をしたのは、びっくりドンキー聖蹟桜ヶ丘店で意気揚々といつものお気に入りを注文したわずか8時間後だった。


イチゴミルクを片手にレギュラーバーグディッシュ150gを頬張りながら微笑む同い年の妻との話題は、最近、35年の住宅ローンで建てたばかりのマイホームに飾るインテリアをどうするか。


幸せでした。

私の周囲は笑顔で満ち溢れていて、そこには悪意など1ミリも存在しない。

そう信じていました。


本当に、肉が大好きだった。

びっくりドンキー、マック、ケンタ、牛角、くら寿司、バーミヤン、吉野家、餃子の王将、二郎、一蘭、天下一品、、、

若い僕にはむしろ、安いチェーン店にこそ、たくさんの思い出がある。


びっくりドンキー自慢のゴムノキの老木からつくられたという可愛らしい丸皿から、お米一粒と残らず消えてもまだ余裕のある空きっ腹に、追加で注文したストロベリーソフトを詰め込んだ僕たちが向かったのは国道沿いのTSUTAYA。

借りたのは、ムツゴロウこと畑正憲氏監督の「子猫物語」

……………

そう。

「可愛い猫に癒されたいね」と、何気なく手に取ったこの1本の映画が大きなきっかけとなったのだった。


子猫物語


帰宅して夕飯とお風呂を済ませた僕たちが用意したのは、明治エッセルスーパーカップとメロンボール。

風呂上がりの映画のお供に、アイスは欠かせない。



─────その日も、僕の習慣は変わらなかった。

それは、観終わった映画のレビューサイトをながめること。

「もっと食べたかった」と言わんばかりに一滴残さずきれいになった明治エッセルスーパーカップの空容器が投げ込まれたごみ箱を横目に、子猫たちに次々と襲い掛かった苦難に一抹の疑念を残しながらも月並みに楽しんだ僕が目にしたのは、信じがたいコメントの数々。

「子猫が川に流される映像を撮りたいがために子猫を川に流した」

「穴に落ちて上がれない子猫を撮りたいがために子猫を穴に落とした」

「崖からネコを海に放り込んだり」

「カラスと戦わされて傷を負った犬が、次のシーンでは無傷の別の犬にすり替わっている」

「メインの猫も、シーンが変わるたびに別の猫になっている」

「2匹並んだ子ブタの上をチャトランが飛び越えるたった数秒のシーンのために、ムツさんの指示で生まれてすぐの二匹の子豚の横腹の皮膚を縫い合わせて固定したこともあります」

「用意した猫は20匹。そのうち数匹は事故や麻酔投与により亡くなった」

…そして、すでに極限状態に陥っていた僕の目に飛び込んできたものこそ、これが僕の人生を一変させたコメント。

「牛や豚、鳥の肉は平気で食べているのに、ペットだけ別物として可愛がる、大切にするのは欺瞞である」

特段ひねりやキャッチ―さも感じない、このたった50文字にも満たないコメントから、ただ、「同じ動物でも、ペットになるもの、食料になるものがいる」という事実を淡々と告げられた気分になった。


そして、Yahoo!Japanアプリの検索履歴は、「畜産」「食肉」「と殺」【断末魔】などの言葉ですぐに埋め尽くされた。

…衝撃だった。


思いやりにあふれていて、夢に向かって突き進んでいるあいつ。

なかなか眠らない、産まれたばかりの僕を、こうすると眠りやすいからと夜通しドライブに出掛けてくれた母。

出会ってから8年間、24時間365日いつも心の傍にいる妻。 

そして、僕。

みんな。

みんな、肉を食べている。


友達と、家族と笑い合いながら。

ときには励まし、励まされながら。

なんの罪悪感もなく。


肉食べて、満員電車に揺られ。

肉食べて、働いて。

肉食べて、寝る。


肉食べて、、、

肉食べて、ホームのベンチに置き忘れた財布を届けて。

肉食べて、電気料金の支払い処理に悪戦苦闘している新人コンビニ店員に、小銭をなかなか取り出せない素振りで「焦らなくて大丈夫ですよ」と、伝え。


肉食べて、笑い。

肉食べて、涙し。

肉食べて、愛し愛され。

肉食べて、生きている。



「チーズバーグディッシュ300gのライス大盛りで!」



【ヴオォアアオヴァヴアヴオオアアアアアゥア゛アアアアア゛ア゛アアア゛アアアアアーーーーーーーーーーーーー………ァ゛ッ……】



───── 気が狂いそうになった。


そして、僕は妻にある提案をした。


「ただの20代吉本芸人が、ヴィーガンになった日②」に続く。


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