台湾の牛肉麺
海外で床屋さんに行くのが好きだ。
特に理由があるわけではない。もともとモノグサなので髪はいつも長めなのだが、出張や旅行に出るとなぜか髪を切りたくなる。
今まで、イスラエル、フランス、タイ、アメリカ、台湾で髪を切った。
中国は床屋さんの前までは行ったのだが、出てくる連中が全員同じ髪型をしていたのを思い出して諦めた。
フィンランドで床屋さんに行かなかったのは痛恨の極みだ。今後フィンランドに行く可能性はかなり低いので、貴重なチャンスをフイにした。
マレーシアとローマ、それにロンドンではそもそも床屋に行く時間がなかった。
ローマでは空港の中にも床屋があったかも知れないので(なんせ隠れて住んでいる人がいたくらいだから)、探せば良かったのかも知れない。
イスラエルの床屋さん(というか美容院?)の美容師さんは全員オカマだった。お互いに『あーん』させながらチョコレートを食べさせあっている姿は気色悪いを通り越して清々しい。人によっては可愛いとすら言うかも知れない。
そして台湾。
台湾の床屋は無茶苦茶だった。
概ね常夏な土地柄ということもあるのだろうが、とにかくやることが雑。髪を洗えば背中がビショビショになるし、慌てたおばさんがシャツの中に手を突っ込んで濡れた背中を拭ってくれるしで、庶民派を通り越してすごいところだった。
それでもちゃんとした髪型になったのは奇跡と言っていいだろう。
ところで台湾の食べ物で有名なのはなんと言っても牛肉麺だ。
これは牛筋肉をよく煮込んだスープに稲庭うどんみたいな麺が入った台湾風のラーメンなのだが、スパイスが効いていてとても美味しい。
実は最初に食べたのは台湾ではなくアメリカの台湾料理屋だったのだが、それはもう、海よりも深くどっぱまった。
甘辛いスープに八角が香り、完全にゼラチン化した牛筋が柔らかめの麺に絶妙にマッチする。
具は大概の場合青梗菜とゆで卵、それに高菜の漬物だ。
この高菜があるのとないのとではこれまた雲泥の差がある。高菜がうまい具合に味変になって飽きずに食べられるのだ。
毎日同じ台湾料理屋で牛肉麺を食べていたら、さすがに呆れられた。その時の上司は台湾出身の女性だったのだが、実演付きでつくり方を教えてくれたほどだ。
その時は会社の社員旅行とかで何でか社員(そうは言っても十五人程度だけど)全員で台湾に一泊で旅行していた。延泊して九份に行くと息巻く女子軍団もいたが、ほどんどの野郎どもは一泊だ。
そして、その日はプロジェクトの佳境も佳境、炎上真っ最中だった。
一応みんなで食事をして速攻ホテルに戻り、プロジェクトメンバー四人で缶詰になる。僕がプロジェクト・マネージャー、残りの二人がエンジニア、最後の一人がアカウントマネージャー。四人で必死でコードとエラーデータベースを手繰り、お客様への提出資料を作る。
結局、資料ができたのは現地時間で夜中の十一時過ぎだった。
資料をお客様のデータベースに突っ込んだ直後、台湾の夜市は遅くまでやっているという情報に一縷の希望を託してタクシーを飛ばす。
なんせ明日には帰らないといけないのだ。チャンスは今しかない。
だが、当然のことながら夜市はもう店じまいの時間に入っていた。
「おかしいなあ、一晩中やってるって聞いたんですけど」
若いエンジニアのH君がテーブルを仕舞っている店の前で言う。
一応晩飯は食べたものの、頭を使ったせいか四人とも空腹だった。
夜市の中を隅から隅まで歩く。
だが、開いている店は皆無だった。店の人はみんな首を横に振る。
「H、どうするよ?」
と僕はそもそもの遅れの原因になったエンジニアに聞いてみた。
「そうですねえ」
とiPhoneを見ていたH君は、
「飲み屋街に行けば開いている店があるみたいですよ」
とさらに怪しいことを言い出した。
「んで、それはどこよ?」
空腹で機嫌の悪くなっているアカウントマネージャーのKが言う。
「こっちです」
僕らはH君の案内でまたタクシーに乗ると、違う街に移動した。
+ + +
H君の案内してくれた名前の覚えられない飲み屋街は確かにまだ少し、賑やかにしていた。
何軒か、まだ開いている店がある。
中には二十四時間営業の店もあるようだ。
「何を食べます?」
ようやく機嫌の直ってきたKが僕に尋ねた。
「そりゃ、牛肉麺だろう。台湾に来て牛肉麺を食わない手はない」
と僕。
「ふーん、そんなもんですか」
見つけた店は掘っ建て小屋にビニールのカーテンをかぶせたような怪しい店だった。
だが、H君のデータベースによれば一応美味しい店らしい。
四人で入って周囲を眺める。
とても庶民的だ。
こんな夜中なのに子供が店の中で遊んでいる。隅っこにはおばあちゃんが黙って座り、おばさんは熱心に鍋をかき混ぜている。
香りは良い。
八角と、これはおそらくニンニクの香りだ。それに醤油と牛肉の匂い。
まあ、僕でも作れるくらいの簡単な料理だ。間違いはないだろう。
「シャオティエ」
とおばさんを呼ぶ。
おばさんは水を4つ、コップに入れて持ってくると黙って僕らの顔を見た。
言葉は覚束ないらしい。
発音でバレたのか、外国人だとわかっているようだ。
この店の牛肉麺は紅焼牛肉麺しかないようだ。他にもなんだか書いてあったが、識別できたのはそれだけだ。
ラミネートされた紙一枚のメニューを指差し、指を4本立てる。
おばさんは黙って頷くと、すぐに簡素なキッチンに戻って行った。
大雑把に麺の玉を四つ掴み、大鍋に投げ込む。
「激しいですね。あれでちゃんと等分できるのかなあ」
とシニアな方のエンジニアのT。
「まあ、任せておこう」
すぐに出てきた牛肉麺はアメリカで見たものとは随分様子が違っていた。
でも紅焼牛肉麺を頼んだのだから同じもののはずだ。それにスープの香りがいいし、肉もでかい。
高菜の漬物が添えられているのはお約束。その辺は外さないらしい。
「じゃあ、いただこうか」
早速割り箸で食べ始める。
だが、一口食べて目を瞠った。
これは、うまい。
スープは紅焼というだけあって濃口で甘辛いのだが、スパイスがよく効いている。
八角の香りがまず鼻を通り、ついでウーシャンフェン(五香粉と書く。香りは太田胃散に似ている)とニンニクのアタックが来る。
そして豆板醤。
牛スジもよく煮えていて、絶妙なトロけ感だ。
四人とも無言のまま、あっという間に小さめのお椀に入った牛肉麺を食べ終え、スープまで飲み干してしまった。
これで一杯三百円しない。
そりゃ、女子が台湾にハマるわけだ。
「ごちそうさま」
通じないのはわかっているけど、一応お金を渡しながら言ってしまう。この辺は日本人の性なのかもしれない。
おばさんは無言のままお金を受け取ると、頭を下げた。
+ + +
さて牛肉麺の作り方だが、これは時間さえかければ誰でもできる。
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