中々更新できておりませんでした。すみません。 noteは父の病院に付き添う時に待ち時間でできることはないかと始めたのですが、そんな時間もなくなり放置状態となっておりました。 最近はというと会社員として働いたり、働いたり、働いたりで、そういえば英語の勉強を再開しました。 今の会社では韓国語を多用する会社に勤めてるので韓国語を勉強したい気持ちもあるんですが、やっぱりマイドリームはアメリカ。 死ぬまでに自由にニューヨークを旅してみたいという気持ちはなくなっていませんです。 地道に
※本文には死についての記述があります。 2023年7月29日 父親が癌で亡くなりました。 怖かっただろうと思う。でも最後まで諦めなかった。 ありきたりな言葉だけど僕にとっては世界一の父親であり、頼りになるおとんでした。 後悔はないか?と聞かれたら後悔はないが思うことはたくさんある。 闘病が始まって亡くなるまでの約3年間の間に一度も「ありがとう」と言えなかった。 そんな普段面と向かって言わないことを急に言ったらおとんが死ぬことを認めたことになると思ったから。 本人が諦め
最近お仕事にSONYのFX30のみで行ってきたんです。 cine Eiを使ってみようということで、FX30はベースisoが800と2500なので、室内は2500で〜外だから800で〜みたいなことを小さいモニターで露出とか色温度確認しながらやってるんですね。 でやっぱSONYのカメラ使うならオートフォーカスじゃないですか。 でもねクライアントさんが力説してるのを横目に、後ろの防犯カメラにフォーカスがもっていかれたんです。 だからやっぱ結局露出もフォーカスもマニュアルだよなー
YouTuberだったり映像クリエイターの端くれだったりする僕ですが、 そんな僕が美しい映像にこだわる理由は、家族や友人だけじゃなく、そのあとの世代、例えば孫、ひ孫の世代まで楽しめる感動できる動画であってほしいからなんです。 美しく残ってるほうが記録としてもそうだし、感動したり思い返したり想像したりするのに良いと思うんです。 僕のおじいちゃんは大きなビデオカメラを持って、僕が生まれた頃から大きくなるまで節目節目に動画を撮ってくれていました。そしてまだパソコンもない時代にアナ
よく言うけどさ、 痛みって生きてるから感じるんよな。 皮肉なもんで。 生きる意味みたいなものはない。と僕は思う。 仮に意味や答えなんてものがあったらそれこそ僕にとっては「生きる意味」がなくなってしまう。 まっ何が言いたいかって生きてたらいろいろある。 当たり前にある。 いいことも悪いことも。 間違えることもあるし、間違える人もいる。 「正解」を追い求めると息苦しくなる。 でも「美」は裏切らない。 美しいモノにこだわり、美しい瞬間や美しい人間を大事にしていきたいと
なんなんだろうね。 いざ書こうとすると何を書こう?って手が止まってしまうのは。 そういえばむかしむかし、上の写真にあるように僕がまだベースを持って歌って、喋って、かっこつけてた頃 note をやってました。 そのアカウントはまだどこかにあるんだろうけどもうわからない。 YouTuberみたいなことしてる人間が言うのもなんだけど僕はSNSがそんなに好きではない。 でもTwitterは続いているしそれなりに好き。小説とかも少しばかり読む人間だし文字のほうがなんかしっくり来るん