特別支援学校に赴任して感じたもの
みなさまお疲れ様です。
先日からの投稿にもあるとおり、10月からご縁があって、地元の特別支援学校に非常勤講師として赴任しています。
初等部(小学校)、中等部(中学校)、高等部(高校)が一緒になっており、私は中等部のサポートに入っています。
大学の実習以来の特別支援学校。
毎日が非常に新鮮です。
そんな中、中学3年の学年主任から、
「総合の中で、子どもたちにプログラミング学習をさせてあげたい。」
と打診がありました。
私は特支でのプログラミング指導の経験はありませんでしたが、二つ返事でお受けしました。
色々と試行錯誤しながら準備をし、迎えた総合の初日。
愕然としました。
全くできなかったのです。
もちろん論理的思考なんか期待してなかったです。
しかし、そことは全く別のところにハードルがありました。
生徒は日頃「だめ、だめ、だーめ!」と言われながら過ごしています。
多分学校だけでなく、各家庭でもそうだと思います。
それは生徒がモノの分別がつかず、いいことと悪いことの区別ができていない状態だからです。
コップの水を、なんの抵抗もなくひっくり返し。
嫌なことがあればすぐに手が出て。
人目も憚らずに鼻をほじり。
ドアを開けたまま大便をしている。
社会のルールとは違う、独自のルールを持っている。
彼ら彼女らに責任はないとわかっていても、一生それで過ごすわけにもいかず、周りの大人はそれを正そうとしている。
私だって、それはダメだと指摘してしまう。
きっと彼ら彼女らはすごく不自由さを感じながら生きている。
そんな彼ら彼女らに「自由にプログラミングしていいよ!」と伝えた時、全く動けなかったんです。
自由って何?あの怒られるやつ?どうしよう、わからない!!
飽和状態でした。
完全に手が止まり、ワクワクのかけらもない状態でした。
そしてもう一つ。
何人かは話が通じるし、やることもきっと理解していました。
しかし、失敗することに非常に恐怖心を持っており、全く挑戦しようとしませんでした。
先にも述べたとおり、今まで失敗を常に否定されてきました。
主体的に学ぶことも、意図的に失敗することも、全てを否定されていました。
彼ら彼女らが社会で生きていくためには、全くの個性を削ぎ落とした「一見普通の人」であることが求められているのです。
なるほど。
これからこの子たちには、プログラミング学習が必要だと感じました。
絶対に必要な素養が身につく。
彼ら彼女らに一番足りないモノが一番体験できると感じました。
そんな様子をみて、私も志向を一気に変えました。
未来の街を模造紙に書いてもらい、その絵の一部をロボットを使って描くというものにしました。
全員が輝けるように。
地方にこそ新しい教育を! 地方でも教育を選べる時代へ。 を目指してプログラミング教育、スポーツ教育に携わっています。 ご支援は子供達の教材費に充てたいと思います。