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「魂の自由」を得ている事とは少し違う

美味しいrakuenができるまで〜沖縄県今帰仁村移住日記 移住417日目

今朝も非常に良い天気で朝が特に気持ちがよい。
週末からは天気は芳しくないみたいだけれども 夏日が続くよう。
このところパンや焼いたSWEETSの朝食が続いていたから、今朝はご飯を炊いた。シャケも焼いた。だいぶ時間が経過した古漬けも、そして生卵も。正しい日本の朝食はやはりいい。

またまた併読本を読了したので、備忘メモ。
星川淳著「魂の民主主義―北米先住民・アメリカ建国・日本国憲法」
いやーどれだけ併読していたのだろう。簡単な本ではないけれど2年以上少しづつ読んでいた、、、と言いたいところだけれども、実は途中忘れていて放っておいた本です。著者の星川さんごめんなさい。
で、以下 メモとして。

アメリカの音楽が大好きで アメリカの単純さが気になり
アメリカの団結力にほれぼれする中で
いつも感じていたのは アメリカの自由ってどこから来たのだろうか?
という事であった。

アメリカンの先住民が
イロコイ連邦なる『邦』(先住民文化の部族的集まり)を形成したとき
大いなる平和の樹の基で「大いなる平和の法」を造り上げた。
この法は ピースメーカーを中心に 合意を基本にした「ワン・マインド」を
追求したものである。

「大いなる平和の法」の基で形成された連邦はその後独立戦争を経て建国したアメリカ合衆国とは別の意味で独立した邦を今でも形成している。

この独立戦争で手に入れたものこそ『自由』なのであろう。
著者はアメリカの自由を『政治哲学としての自由(リバティー)ではなく
「ひとは人 自分は自分」という自由気ままな自由(フリーダム)』
と評し先住民が獲得していた空気のようなあたりまえの感覚で一人ひとりが自然の美や力や聖性と直結できる魂の自由 とは異なる としている。

『自由であって平等でないこと 平等であって自由でない事』を著者はその両方ともありえず自由=平等でなければならないとしている。
そして この魂の自由が 日本国憲法に入れられている点はとても興味深い。

僕たちは 戦後 ありがたい事に戦争には巻き込まれていない事を考えると
平和であると言える。
そして、少なくとも僕の周りは自由であり 平等が保たれている・・・・これは幸福な事でもある。
でも、それは僕が視覚的見える!感覚的に感じる!一方的な平和/自由/平等/幸福であり 他の人の平和/自由/平等/幸福に対して 尊重して得た平和/自由/平等/幸福であるかは 疑問である。
それは 著者が言っている口述的な『自由』を僕は感じているのであり「魂の自由」を得ている事とは少し違うのではないだろう。

今夜のateは
鮪煮付け 刺身 小松菜のナムル 味噌汁 古漬け などなどを。
ORION liteをグビリグビリ。

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