リルケとプルーストとインドカレー
日本の本屋さんに行ったら入手しようと思っていた本のひとつにリルケの詩集がある。
(サリンジャーの短編がきっかけ)
新潮文庫の『リルケ詩集』を買ったのだけど、学生時代にも同じものを持っていたので再購入ということになる。海外の詩集の入口として新潮文庫を読んでいた人、読んでいる人はぼく以外にもたくさんいるはずで、昭和から刊行され続けていることを考えると世代をこえた共通体験なのではと思うのだけどどうだろうか。
薄い文庫本で詩を読む感覚も懐かしく、移動中も鞄に入れて持ち歩いて、時間を見つけては読んでいる。電車の中で文庫本を開くなんて何年ぶりだろう。
昨日は神田のインドカレー屋さんで学生時代の先輩と会った。10年以上会っていなかったのだけど、会えばお互いの関係はあの頃のままで、学生の頃に戻ったような気がした。その後、神田のスターバックスでリルケ詩集を読んでから、神保町をぶらぶら歩いて、いろんなことを思い出しながらノスタルジックな気分になっていた。
リルケと何の関係もないじゃんと思うかもしれないけれど、本は、特に詩は、読んでいる人の状況によって、受け取り方がだいぶ変わる。
ぼくにとっては昨日のあの時間というのは、先輩もインドカレーも神保町も全てがリルケに繋がった記憶として残るのだろう。
リルケはプルーストの熱心な読者でもあったらしい。
ライナー・マリア・リルケ(1875年ー1926年)
マルセル・プルースト(1871年ー1922年)
ふたりは同時代人でもあった。4歳差で、同じく51歳で亡くなっているのも不思議な符合だ。
プラハに生まれたリルケは1902年にパリに移り住み、ロダンに会う。そして、パリでの生活の中で『新詩集』や『マルテの手記』を書いた。
『新詩集』の「幼年時代」という詩はこんなふうに始まる。
こんなにも失われたものについて
あの永かった幼い日の午後について 何かを語るために
しばしば思いに耽るのは楽しいことだろう
「タナグラ人形」という詩にはこんな一節が、
けれども私たちはただ
一層深く 一層すばらしく
「消え去ったもの」に愛着をもち
そして微笑しなければならない たぶん
去年よりは少しばかり明るい微笑を
ふたつとも富士川英郎訳『リルケ詩集』(新潮文庫)から。
過ぎ去った日々を懐かしみながら、そして、プルーストを読むようになった今この時でなければ、この詩が深くしみるということはなかっただろう。
プルーストが『失われた時を求めて』第一篇「スワン家のほうへ」を自費出版したのは1913年だから、リルケがプルーストを読むようになるのはこの後のことになる。
ふたつの魂はどのように共鳴したのだろうか。
そして、さらに100年後の現代の私たちはどのように共鳴することができるだろうか。