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結婚式で泣いてくれた息子 そして泣いた父

大阪に住んでいる次男の結婚式は、とても暑い日でした。

パーティー形式で会費制というとてもラフな結婚式で、我が家らしいスタイルでした。
参加者の服装も、招待状そのままに平服でした。

「おやじ、一曲歌ってくれ」
と頼まれていたので、ギターをかかえて、事前に作っていたオリジナルを歌いました。

学生時代に住んでいたアパートを引き払い、すでにべつの土地にうつり住んでいた息子夫婦のことを思ってつくった歌でした。

僕らの知らない街で
君たちふたりの暮らしが
始まるよ 始まるよ

という出だしを歌うと、息子がうつむいて涙をふいていました。


結婚式だからといって親が泣くとはかぎらない

息子の友人主催で、とくに凝ったお涙ちょうだい演出もないのも、爆笑がつづく構成も、父親としてはとても気にいリました。

妻は泣くかもしれないが、俺は泣く気はいっさいないぞ
という気持ちで、笑いながら祝酒を飲んでいました。

ようやくパーティーも、新郎がお礼の言葉をのべるというエンディングになりました。

息子がマイクをにぎり、話しはじめました。

「僕が大阪に出てきてしばらくしてから、父がアパートに泊まりにきました。
その翌日の朝、ふたりでモーニングを食べにいきました。
そこで父から、母がうつになったということを聞きました。
自分が都会に出て、家からいなくなってしまったことが原因のひとつかもしれないと思うとショックで、泣きそうになるのをやっと我慢しました」

当時、慣れない環境に馴染むことに一生懸命で、実家のことなんてなかなか気にしていられないだろうなぁと思っていました。

彼は彼なりに胸を痛めていたことを知り、はからずも涙が流れました。

「ひとりで病気の母を支え続けた父を、ぼくは尊敬しています」

もはや涙腺大崩壊でした。


だから泣かすんじゃないよ

私も妻も、いっしょに並んだ長男も、涙でぐしゃぐしゃでした。

話しかけても返事もしてくれなくなった頃の妻の姿がよみがえりました。

「私なんて、生きている意味がない!」
大声で叫び泣きじゃくる携帯の音声を聞いて、途方に暮れたことや
自暴自棄になりそうな自分自身を必死になだめていた頃のことや
いろんなシーンを思い出してしまい、涙は止まらなくなりました。

こんなふうに家族がそろってお祝いできる日がやってくるなんて、当時は想像もできませんでした。

大阪で暮らす次男家族とは、もう2年以上会えずにいますが、LINEのやりとりでさみしさをまぎらわせています。


もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!