児童A「美術館ってなに?」
小忙しくしているとnoteをかけなくなっていることに気がつきました。しっかりと考えた足跡を残そうと思います。
「美術館って何?」
先日地元は田舎の小学校で鑑賞の授業(ワークショップ)を開催してきました。その導入で、「美術館行ったことある人〜?」と問いかけたところ、シーンとする教室。不思議な空気感がありました。そして、その次の瞬間こんな言葉が聞こえてきました。
「美術館ってなに?」
美術館に行ったことのない人が多いだろうなぁという想定のもとプログラムを作っていましたのでそこまで支障はなかったのですが、この児童の呟きによってほんの一瞬不意を突かれてしまいました。しかも、この疑問を持ったのは1人ではなかったのです。
まさか、大前提に話していたことが覆されるとは思っても見なかったのです。それだけ都会と田舎という表面的な経済的格差の裏側には文化的資本の格差が紛れもなくあったのです。
その瞬間なんとかしたいというざっくりな感覚が湧いたのです。
距離を超える技術
では、どのようにしたらこの地域格差を超えて人は学ぶ機会を獲得できるのだろうと考えました。やはり現代どのように対象にリーチをしたらいいのだろうか。
そこでインターネットの力が表立って効いてきます。オフラインでは、どうしても様々な制約によって地域や立場によって獲得できるものが変わってきてしまいます。しかし、オンラインを用いればきっかけに出会えさえすればいつでもどこでも誰でもが等しく機会に巡り合えると思います。
そんな時に、オンラインでのワークショップを企画しました。そこで私は東京に住んでいるのですが、「北陸住みなのですが是非学びたいので参加したいのです」という旨のメッセージをいただきました。ふと「美術館ってなに?」と言った言葉が蘇ってきました。
オンラインではオフラインと違って、ケアできる範囲と深さは狭まってしまいます。しかし、オンラインの欠点をついてばかりいては仕方ありません、やってみることに価値があるのではないでしょうか。なので私は、できる範囲でオンラインでワークショップをすることに挑戦し続けたいと思っています。
オンラインの難しさ
では、いざオンラインでワークショップをするとなった時に難しいのが「どんなことならできるのか」ということです。
私は、特に創発的なワークショップや会でなければ比較的できることは多いのではないかと思っています。なぜなら、過去に開催したオンラインでの対話型鑑賞というアートを対話しながら鑑賞するワークショップが思っている以上に深まる経験があったからです。
逆に言い換えれば、個人が他者を介して自己を深める活動であれば比較的上手くオンラインでも実施できるのではないかというのが私の仮説であります。また、オンラインではオフライン以上によく聞き・よく話すことが重要になってきます。
話しの”間”であったり、いつが区切れなのかがよくわからないので難しいとされているオンラインですが、裏を返せばそのような難しさから獲得できることも多いのではないでしょうか。
オンラインの難しさと言えば、これに関してですが、身振り手振りがわからないのでなんとなく伝わるということが少ないのです。オフラインのコミュニケーションではなんとなく伝わるということが多いかと思います。しかし、全然そんなことなく『わかる-わからない』のどちらかしかないのがオンラインの特徴であり、難しさであると私は思います。
さあどうやってオンラインでの場を作っていこうかというところです。