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地方移住した理由

僕は2年前、家族で、地方に移住しました。


もし地方移住をお考えの方がいれば、ご参考になれば嬉しいです。






今の町に引っ越して、2年になりました。


いわゆる、地方移住ってやつです。


僕の場合は、

 神奈川県川崎市 →  兵庫県明石市

に引っ越しました。


その理由について書いていきたいと思います。



どんな場所から、どんな場所に引っ越したか?


まずは前提のお話から。

どんな場所から、どんな場所に引っ越したかを書いていきます。

読んでくださる方にとっても、その方が、イメージを持ちやすいと思いますので。


 神奈川県川崎市 →  兵庫県明石市

に引っ越したと書きました。

これが地方移住にあたるのか、ピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。

ちょっと比較して語ります。



①人口

人口で言えば、川崎市は人口は約150万人

一方で、明石市は約30万人

都市の規模としては1/5の街に引っ越しました。



②最寄駅の乗降者数

引越し前の最寄駅では、2つ利用してた駅がありまして、
一つは約56万人/日、
もう一つは約11万人/日の乗降者数があったようです。

一方で、今の最寄駅は、約2万人/日

圧倒的に、今の駅前は静かですね。。。



③町の雰囲気

住んでいた町で、一番の人気スポットについて、比較します。

引っ越す前の街で、一番の人気スポットといえば、グランツリーかなと思います。きれいなショッピングモールですね。

また、その周辺のタワマン群が凄かったです。

ショッピングモールと、後ろのタワマン群


一方で、引っ越した後。

今の町で、”顔”と言える場所は、海岸かなと思います。

大蔵海岸

穏やかな波で、ファミリー層向けに人気の海水浴場です。

数駅のところに、関西の海水浴場のメッカといえる須磨がありますが、あちらは若者が多い印象です。

大蔵海岸も若者も多少はいますが、ここは海の家などが全くないため、どちらかと言えば落ち着いた雰囲気です。
それもあってか、ファミリー層が多いように思います。


このように、

「ショッピングモールの街から、海岸の町に引っ越した」

と聞けば、どういう地方移住か、イメージを持っていただましたでしょうか。



上記の画像は、以下のサイトから引用させて頂きました。🙇‍♂️
https://www.homes.co.jp/life/cl-spot/cm-station/46294/
https://www.townnews.co.jp/0204/2016/09/16/348804.html
https://www.limonbus.com/tabitabi/hyogo/tourism/1715/



どんな"家"から、どんな"家"に引っ越したか?


街は以上でして、次は家そのものです。

ざっくりと書きます。

▶︎引っ越す前

最寄駅からは、徒歩17分(!)の場所でした。遠かった。。。

普通のアパートの1階に住んでまして、窓を開けると、すぐに裏の住宅の壁がありました。

子供が生まれる前に、妻と二人で選んだ物件だったので、二人暮らし用の広さ(狭さ)でした。



▶︎引っ越した後

今は最寄駅から数分の場所です。

マンションで、窓からは上述の大蔵海岸が見えます。

家族4人で住むことを前提とした間取りです。

そんなに広いわけではないですが、4人で住むのに、必要最低限の広さは備えているかなと思っています。




神戸も近い明石市



地方移住した理由

では、地方移住した理由を書いていきます。


1)広さを求めて

一番は、物理的に家が手狭になってきたのがあります。

川崎に住んでいる間に、子供二人に恵まれました。

なので、間取り的に、当時住んでいたいたアパートでは、どうやっても手狭になりました。

狭いというストレスが大きくなったのがありますね。


また、子供が大きくなると、物理的に四人で住むのは不可能のような家でした。

なので、遅かれ早かれ、引っ越す必要がありました。



2)敢えて地方にした理由

でも、なぜ、地方にしたのか?

育児を考えると、のびのびした環境で子育てしたいと思ったのがメインの理由です。


川崎に住んでいる時は、やはり都会と言える場所だったと思います。

どこに行くにも渋滞や行列の日々でした。

動物園、海水浴、大型の公園。

道中の車の渋滞、駐車場の空き待ちの渋滞、公園の中でも混雑・・・

子供も、近所の公園ですら、滑り台の順番待ち、ブランコの順番待ちなど、行列の毎日です。


奈良の田舎育ちの僕としては、何にしても子供に我慢をさせないといけない環境に対して、

「もう少しのびのびした環境で育ててあげたいな」

とは思っていました。


また、我が子が若干喧嘩っ早い傾向ありまして💦、子供にとっても人の少ないのびのびした環境が適しているとも感じていました。



さて、ちょっと印象に残っている話です。

近所の公園で、子供がジャングルジムに登った時のこと。

他の子供達もいっぱいジャングルジムに登っていました。

その人数が、めっちゃ多かったんです。


・・・何人おんねん、と思い、数えてみました。

すると、普通の大きさのジャングルジムに20人の子供が登っていました。

「おぉ。これは、思い描いていた子育ての環境から、離れていってるな」

と自覚した経験があります。


こういう経験を繰り返す内に、徐々に思い描く育児環境を、他に探すようになりました。すると、自然に地方に目がいきました。




3)お金への価値観

また、リアルな経済的な理由もあります。

理由というか、「何に対してお金を使うのか」という僕の価値観のような話です。

シンプルに、首都圏の不動産の高騰があげられます。


特に僕の住んでいた元住吉や武蔵小杉などの、東急東横線の沿線のエリア。

僕は関東では、船橋、品川区、世田谷区と移り住んでいましたが、この東急東横線の沿線は、一番気に入っていました。


子供が増え、家が手狭になったと感じ、引っ越そうと、色々とこの沿線の不動産事情を調べました。

僕の調べた限りでは、小さな戸建てや、60m2ぐらいのマンションでも7000, 8000万円以上がザラでした。

また、武蔵小杉・元住吉エリアの駅近では、マンションで70m2となると億を超えるものも普通でした。


こういう不動産を買うとなると・・・

僕ら夫婦二人のダブルインカムの状況で、二人とも35年ローンを組むというのが、現実的な選択肢です。

一応、会社をバイアウトした経験がある僕としては、8000万円や1億円という金額を考えると、

「どんだけ、奇跡的なヒット商品を生み出さなあかんねん。。」

という感覚でした。


そもそも、そこまでの価値が、家というものにあるんかな?

そんなにも、家に対して一生懸けて金稼がなあかんかな、という、本質的な疑問を強く持つようになりました。

その金銭感覚が、僕にはそぐわなかった、というのが理由として大きいです。


正直、地方移住すれば、同じスペックの不動産が、半額で買える場所が多いです。

半額であれば、例えばローンの年数換算で言っても、35年ローンが、17年ローンで済む。

「時間」という価値はプライスレスなので、そちらの方が価値が高い。

どれだけ思考を巡らせても、住居に8000万円や1億円などは、出せないなとというのが、僕の考えでした。



明石海峡大橋



4)実家に行きやすい場所に

実家に近づく為の引越しというのは、育児を手伝ってもらうため、という理由も、もちろんあります。


共働きの僕ら夫婦としては、やはり両親の手助けでかなり助かることもありましたので。

関東にいると、僕ならば奈良の田舎から、両親に川崎まで来てもらわねばなりません。
なかなか頼みにくいですし、両親も来にくかったのは事実です。

妻も地方出身なので、僕の実家よりも、もっと遠くから川崎に来てもらうことになっていました。



この理由に加えて、もう少し考えていたことがあります。

ちょっと仰々しい話になりますが、ご容赦ください。


32歳の時に、親友が他界してから、僕は、

「限りある人生の時間を何に使うか?」

ということを、考えるようになりました。

その後も、起業したり、子供ができたりすると、尚更その時間が増えたように思います。



限りある人生の時間を何に使うか?と考えた時、一番は子供や妻、今の家族が思い浮かびます。

と、同時に、両親の顔や、古い友人の顔も、思い浮かびます。

「限りある人生の時間を、あまり仕事ばかりに捧げすぎてもな。。。

 それよりも、もっと大事な人や経験などに使えたら理想ちゃうか」

歳を重ねるごとに、そういう考えがより強くなってきました。

それは、妻も同じ考えでした。


なので、夫婦間の価値観が一致して、

「お互いに、両親と会う頻度を増やした方が良いのでは?」

と話し合いました。


関東にいると、やはり地方へ帰省する頻度は、とても少なかったです。

飛行機や新幹線に乗る必要がありましたので。

これを解消すべく、もっと物理的に、互いの実家に行きやすい場所に引っ越すというのが、理由の一つでした。




5)生まれ育った故郷

先ほど書いた4)の理由と結果的には同じなんですが、

少し入り口の意味合いが、僕としては違う理由がありました。


僕は、仕事の都合もあって、関東に引っ越して13年になっていました。

それまでは、関西で生まれ、育ちました。

関東にいる間も、出張や帰省など、関西に帰ると、とても心落ち着いていました。

関西は、やっぱり自分のホームタウンという感覚が、ずっとありました。


一方で、13年も住んでましたから、関東も勿論好きです。

特に川崎は、8年も住み、良い思い出がいっぱいあります。

でも、どこか僕の心の中では、川崎も”仮住まいの街”という感覚がありました。

物理的に賃貸に住んでいたから、というのではありません。

僕は、やっぱり「関西の人間だ」という意識が、根底にあったのだと思います。


そういう気持ちのまま、このまま歳をとっていくのも、なんかちゃうなと思い始めていました。

30代の半ばぐらいから、特にその意識が強くなってきていました。

気付いたら、プライベートでも、阪神のキャップを被って外出したり、大阪のエビスジーンズのコテコテの服を買ったりしてました。
果ては奈良への地元愛が屈折し、鹿にまつわるグッズを買うようになっていました。
(潜在意識というのは怖い)


先ほどの「限られた人生」の話と重複します。

自分の人生が限られているのであれば、本来の自分の場所、好きな場所で生活したいな、と思っていました。


それが、地方と言いつつも、関西圏に引っ越した理由となっています。

結局は、自分の心に素直に選択した、と言えるでしょう。


穏やかな瀬戸内海






これらが、移住した理由です。


もちろん、引越し自体は家族あってのこと。

僕一人では決められません。

引っ越すこと自体は、やっぱり、子供の成長と共に「今の家では狭くなった」ということが一番の理由になりました。

それもあって、妻とも、大きな意見の相違は無かったように思います。



大蔵海岸の夕焼け


さて、

イメージしてたことと、実際に行ってみると、異なっているのが世の常。

僕が、地方移住してみて、どうだったのか?

また、ここまで読んでくだった方の中には、

「いやいや、理想はそうでも、現実には仕事がネックやろ。それどうしたん?」

などと疑問に思われたかもいらっしゃかもしれません。


その内容は、「地方移住して良かった点・悪かった点(家庭・仕事)」として、

以下に書きました。

ぜひ、読んで頂ければ嬉しいです😃




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中川達生/AI開発のROX CEO
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