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公的機関に未来はあるのか?持続的な成長が出来る組織に変えるためには?

公的機関に未来はあるのか?

私自身が、とある公的機関に勤めている立場になりますが、今、公務員を始め公的機関の仕事の仕方、働き方について危機的な状況にあるのではないかと思っております。
戦後日本の護送船団方式での官民一体の日本株式会社で高度成長を達成したが、バブル崩壊後の低迷期に勧められた構造改革以降、日本が世界の表舞台で、元気に活躍する姿が徐々に減っていったように思えます。
様々な言説があったりしますが、この状況をいったいどうしたら打開できるのかを自分なりに考えて、そして行動していきたいと思っています。
ここでは誰かを批判したいのではなく、自分の頭の整理のため、今後の自分のあり方をNoteをまとめて書いていきたいと思っています。

官僚組織は必ず腐敗する

官僚組織は、中央集権的な政治を行う上で極めて有効な手段であると言えます。一方で、権力が硬直化していくと必ず腐敗していくのも歴史的に証明されています。
これに対して現在の日本の行政機構においては、組織が硬直化、属人化しないために、定期的に人事異動を繰り返すことによって、これを防止しています。
バブル崩壊時に痛烈に批判されたのもこの癒着体質についてだったと思います。当時は、マスコミが世論を支配しており、マスコミの言うことを鵜呑みにしていたので、今思えば、この批判が正しかったのかどうかは分かりませんが、この時の批判が大きくその後の日本の公共のあり方に影響を与えた事は間違いありません。

清過ぎる川には魚は住めない!?

現在このことによる弊害が現場に出ているのではないかと思います。移動が短期間で行われるため、組織でのノウハウがきちんと引き継がれなくなったりしています。ノウハウとは、マニュアル(手法)ではなく、関係性の問題だと言えます。ビジネスにおいて信用が第一と言いますが、信用とは人と人の関係性そのものであり、組織の名刺にもそれなりの与信はあると思いますが、それは定型的な仕事の場合のみであり、クリエティブな仕事においては、そのような関係性では成立し得ないのではないでしょうか?
その結果、自分の在任期間で満足できる仕事が出来ないことが繰り返されると、組織へのロイヤリティが低下することになり、その結果退職する者が増えているのが現状です。
自分自身、何度もこのため悔しい思いをしてきました。
組織だから、サラリーマンなんだから仕方ないと言われてしまえばそれまでの事ですが、最初からそんなモチベーションで良い仕事なんかは出来ないのではないでしょうか?
より良い仕事を求めて、若い人たちが辞めていく理由もわかるような気がします。
イノベーションが生まれない環境では成長が起こらないこともまた事実で、清い環境は維持されても、変革、成長も起きないと社会になってしまったと感じます。

氷河期世代の悲哀

私自身社会人になったのは1999年で、学生時代は20世紀、社会人は21世紀世代です。就職氷河期と呼ばれ、自分たちの上の世代はバブル経験世代であり、そこで学んだ仕事の仕方が、その後今の時代には合わない状況になっているにも関わらず、お役所体質の中で、形式的には色々変化しているのにも関わらず、やはりサイロの中でしか思考できない人が多いように感じます。

持続的な成長が出来る組織に変えるためには

現代の構造はいつ出来たのか?

では、当たり前と思っている、今私たちが組織で働いている現代が形作られたのはいつからでしょうか?
近代日本は、明治維新の文明開化で、西欧文明が日本に導入し、西欧化しその時に日本の官僚組織がそれまでの幕府の体制から、日本に定着する事となりました。その後、坂の上の雲を目指して先進国入りした当時の日本は凄い國だったと思います。
しかし、今に繋がる体制、体質実際は、戦後のGHQの占領政策で大きく方向を変えられたと思います。その後の朝鮮戦争から高度成長へ突入し、とにかくがむしゃらに日本は成長を続けてきました。
しかし、その後のバブル崩壊後に、有効な打開策を打つことが出来ずに、この失われた30年が形作られたのです。
今当たり前と思っている環境も、未来の人類が長い歴史のスパンから見たら、A 点からB 点に移行している間の状態に過ぎないのでしょう。
バブル崩壊後の失われた30年間の低成長時代での中で、様々な事件や事故があった、大きく社会構造が変わったとは言えません。と言うか、構造改革の呼び声で、雁字搦めになり、何も出来ない組織にさせられてしまったのではないかとさえ感じます。
その間に、着実に少子化と高齢化が進展し、高度成長期に整備され、成長を支えたインフラの高経年化が進んでしまいました。
戦後日本は、敗戦の混乱時期から立ち上がる過程で、清濁合わせ飲むしかない状況で、団結して立ち上がってきましたが、成長が成熟期を迎え、濁の部分を切り捨てる事により、清だけに固執し過ぎた結果ではと思います。

その結果、公共発注の世界では、欧米に倣いなんでも競争させるのが正義と言う流れになってしまいました。

疑問を持つ、自分の頭で考える

この30年間の変化で一番大きいのは情報化社会となったことです。それまでは情報を持っているのは一部の人たちで、その情報を持っている人が強かったです。また情報を集めることも労働集約的であり、国家権力のような公的な権力が必要でした。
しかし、ITのおかげにより、誰でも情報を簡単に収集すること、そしてこうして発信することができるようになったために、これまで一部の人たちしか知り得なかったことも簡単に情報を知ることができるようになりました。情報を知るためには、大組織にいる必要があったのが、今は情報を集めるのに大組織である必要がなくなり、むしろ今は大組織である今年の弊害の方が大きくなっているように思います。

かつては、大組織の中でも、情報が得られるのはごくエリート集団だけで、その権力を派閥化する事で、人材育成も併せて行っていました。
派閥がしっかりと機能しているうちはメリットもあるので、悪とは言えませんが、官僚機構は縦割りのため、手段が目的化しやすいと言う欠点があります。

ビジネスモデルを変える

公的機関での発注は、かつての公共工事での癒着談合の問題があるために、調達は競争の原則が義務付けられています。
その結果工事も調査業務も設計もすべて競争入札となってしまった結果、業者側が公共の受注意欲があるうちはまだ良いのですが、民間市場での需要が高まっていく局面では、一方の公共側の仕事をしたがらない状況となってしまいます。
その結果、今では公募をしても手を挙げる者がいないような状況が起きているのが現実です。

一方で、公共側の発注の仕組みは、極端に言えば、明治時代にお雇い外国人から学んだ方法をいまだに変わらずやっているような状況です。公共側が設計、積算して予定価格を策定し、それ以下で競争入札するというやり方をやっています。

そもそも実際工事を自らやる事のない公共側が正しく金額を積算することが出来るはずがないのです。
知ることができるとすれば、それは施工業者とよくコミュニケーションをとる必要がありますが、それをやり過ぎると、非違行為として処分の対象となりかねないため、発注者と受注者の間でのコミュニケーションがタブー視されてきたことにより、出来なくなっています。

本来発注者は、工事費の原価を正しく把握すべきという考え方が間違っています。

ビジネスで考えれば、出来たものでどういう稼ぎを行うか、それに対して幾らまでコストをかけられるか考えるべきです。

しかし公共側はビジネスではないという考え方から、コストを原価ベースでコントロールするという考え方を技術の一つとして扱われています。

ここがそもそもの間違いの一つではないかと思います。

また公共側は、幾ら稼ぐかという考え方ではなく予算主義で、当年度の予算を計画どおり執行することが目的化されるため、長期的な経営的な視点を欠きやすいと言えます。

特に権限を持っている上席が、組織の経営よりも、自分が在籍しているときの手前の評価に着目しがちです。

イノベーションが起こりにくい体質

どうしたらイノベーションを起こせるのか?

今ビジネスの世界で見直されているのが、関係の質です。関係の質とは、チームビルディングの世界で言われている話で、チームで良い結果を得るためには、関係の質を高める必要があるというものです。

イノベーションは1人で起こす事は、余程の天才でないと起こす事はできません。しかし、チームの力で起こす事は、条件が揃えば可能性が高まるのではないかと思います。

今の日本の公共の抱えている課題、ひいては、大組織と呼ばれている組織で共通している課題は、ここにあるのではないかと思っています。

大組織病とも呼べる状況に今の日本はなっていると思います。

私たちの世代の役割はこの組織病を克服し、またイノベーションが起こせるような環境を作っていくこと、そのイノベーションを起こす事とも言えるのではないでしょうか?

少なくとも自分自身はこの事を意識して、組織の内外を超えて、活動をしていきたいとかんがえています。

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