不登校から現在に至るまで。(小学生編)
不登校になったのは中学生の時ですが、それまでの経緯を書いていこうと思います。
不登校になる事の発端は小学5年生の時。
小学生の時の僕は、基本的に大人しく自分の意見を進んで言うような感じではありませんでした。
それでも心では誰かの役に立ちたいと、学校では美化委員に入ったり、ちょっとした事にすぐ気がついて助ける。
そんな毎日を過ごしていました。
友達もそれなりにいて不自由や寂しいということはありませんでしたが、やはり学校にはいますね。やんちゃな人。
僕は運動が苦手なので太っていて丸眼鏡。
いじりやすかったのでしょう、その都度ちょっかいをかけてくる人もいました。
でも僕はそのちょっかいを”嫌だ”ということが出来ませんでした。
そんなこんなで迎えた、野外活動での出来事。
僕は5年生としては少し成長が早かったのか分かりませんが、下のあの部分にお毛けが少し生えていました。
それを気にしながらの野外活動。その中で特に気になるのがお風呂。
みんながまとめて入る中、僕はなかなかお風呂に入ることが出来ませんでした。
それでも勇気を振り絞って、体を洗う場所に行った瞬間。やはりみんなの目は僕の下の部分。一瞬みんなはフリーズし、その時はお風呂を出るまでは何も言われることはありませんでした。
ですが、その夜。
僕とは別のバンガローの中で話題になっていたらしく、やんちゃな人の耳にも入っていました。
そして次の日、日中の野外活動に関しては特に問題は無かったのですが、やはりお風呂時間に「お前、毛生えてるだろw」と笑われ、野外活動が終わるまで、その”いじり”は続きました。
学校に帰っても、6年生になるまで何度か言われていましたが、なんとか「そうそう、成長が早いんよ」という感じで流せてはいました。
そんなこんなで時は流れ…
6年生になり、クラスのみんなも仲の良い人が多めで安心していましたが、やはり何人かいる、やんちゃな人が同じクラスにいました。
その頃には体型のいじりから、毛の方でのいじりに変わっていました。
そんな中、6年生には修学旅行というものが存在します。
別に嫌なら行かなくても良かったのですが、いろいろな場所に行けることだったり、クラスに仲の良い友達が多かったこともあり、楽しみにしながら修学旅行へ行くことにしました。
それでも、やっぱり毛のことが気になる。
ちょっとしたトラウマのような感じで、修学旅行へ。
福岡県の玄界灘の方に行き、今は無きスペースワールドと、いのちのたび博物館。
この博物館がまた、クオリティが高かったり、ジュラシックパークの世界に入ったようで最高だった。
今でも思い出せるほど記憶に残っています。
みんなでワイワイと、本当に楽しかった。
でも、そんな楽しいのも夕方まで。
その時が来ました。宿泊先でのお風呂。
そしてまた、いじられまくりました。今度はみんな知っている状態なので、珍しさで見にくる人もいました。
しんどくて苦しかったけど、なんとか凌ぎました。
今、思えば他に同じような人いなかったのかな…?
楽しくも苦しい修学旅行が明けて、今度は卒業式の準備の時期へ。
その頃に、気づいたら僕に変化が現れていました。
なんでもないのにマスクをしていました。
どんな時も、何故か外すことができなかったのです。
卒業式の練習中に先生から「マスク外そうか」と言われても、嫌だという感情も無く、ただただ外すことが出来なかったのです。
なんとか無事、卒業式の当日はマスク無しで終えることが出来ましたが、中学生まで毎日のようにマスクを付けているようになりました。
まるで、”みんな”から自分を隠すように…。
中学生編へ続く。
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それでは、また次回の記事で!
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