ネカマという業について
プロフィールにも書いている通り、私タツキはSNS上でネカマを演じている。
いや演じているのではなく、ネカマというあり方で生きている。
ご存知の通り、
夢を壊さないよう、絶対にアカウントはばらしてはならない。
そして、ネカマという業について考えるのであるゾ。
①ネカマとして男性に接するときの越境感
男性から女性に自由になれる、越境感がなんともいえない快感なのだ。
縛られている。
私たちは男性や女性といった、「おとこ」や「おんな」という枠にどうしても規定されている。
おとこらしくあらねば、おんならしくあらねば、と本人が思っている場合もあるし
あるいは、社会的な空気を無意識的に受けて、男性性、女性性に基づいて思考、行動してしまっている。
ネカマはこれを乗り越えられる素晴らしい機会なのだ
②男性という同一的関係性への切れ目を入れられる
普段、男性とは男性として接するのだが、
これを女性として接することによって、男性に新たな切れ目を入れることが可能になる。
つまり、普段、私が認識している、同性への意識を変革することができるのだ。
男性に対して感じることは、男性からしたら、ぶっちゃけほとんどない。
だいたい理解できるし、男性特有の言動に感情を挟む必要がないのだ。
だからこそネカマだ。
ネカマになると、男性が、私を女性として扱ってくる。
すると、男性が女性に対して行う言動をそのまま体感することができる。
今までは男性に対して無感情だったのが、
「キモい」「うざい」「怖い」
「きゅんとする」「イケメン」「抱かれたい」
といった感情が不思議と出てきて、女性を体験できるのだ。
そして、男性に対して、感情が芽生える。これは認識を新たにしたということであり、ある種の発見なのである。
以上の二つが、主に考え得る、ネカマの業なのである。
この快感を知ってしまったら、ネカマをやめることはできないゾ・・・
さらばだゾ(; ・`д・´)