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"自分"のこと
まえがき
私は、21世紀ももうすぐ四半世紀を回ってしまおうという2025年に生きている若者です。20世紀のことは何も知らないけれど。こうした節目の年には何かを振り返り、新しく何か始めてみたい、あるいは改めたい。そう感じる人はたくさんいると思っていて、私もそう思っている。
経歴
小学生の頃、サンフランシスコでゴールデンステート・ウォリアーズのステフィン・カリーを目撃したことに始まり、高校生までは夢中でバスケットボールというとても面白いスポーツを続けていました。
大学に入ってからは、大小様々な会場でいろんなイベントを企画したりして、楽しく過ごしました。ちなみにイベントというのは、大学生らしい"そういう"イベントではなく、ちゃんとしたイベントで、プロの芸人さんと学生芸人を集めて企画をしたり、はたまたアイドルやタレントをお呼びしてトークショーを開催したり、音楽ライブを企画したりなどする方の"それ"です。
そして社会人になった今、東京の広告代理店で働いています。結構がんばれていると思います。楽しいです。みんなが無意識に恐れているであろう「忙しいから辛い」という感覚ではなくて、「楽しいから忙しい」という感覚で過ごせているからだと思います。
コロナ禍について
2002年から2025年の今日に至るまで、さまざまな出来事がありました。その中でもターニングポイントと思しきものが明確にあります。それは、大学に入学したタイミングで某ウイルスが猛威を振るった期間。冬の定番料理みたいなあれです。あれのせいで、(おかげで、)今のわたしがいるのではないかと、そう感じるわけです。正直に言おう、コロナ禍は楽しかった。正直に、と言ったのはやはりあの期間でたくさんの人間が亡くなったことを踏まえると、本当に悲しき事態であるから。ただ、それとこれとは別文脈だと個人的には思っている。コロナウイルスに感謝をしているとは言わない、ただあの期間が「楽しかった」という事実を述べているだけなのです。
それまでは、人に流されるだけの生活を送っていたと言っていいだろう。卒業した母なる大学(母校)も、みんな浪人しないって言うし行っとくか、という感じで入りました。だから愛着もないし、教授の名前すら思い出せない。目的もなく大学に行くのやばい、って今では思います。
一方、コロナ禍に突入して、密接に人とコミュニケーションをとることがなくなり、いやでも自分自身と向き合う必要が出てきたわけです。すると、自我が芽生えてくるわけですね。自我というのは厄介です。要は尖り始めたわけです。大学生なんて何も産まないし、迷惑なだけなのだから、全員家で寝てろ、って本気で思っていました。自分もその迷惑なだけのやつなのに。
もちろん友達はできないから、家で何かしらをするわけなのですが、音楽やラジオ、映画や読書など、たくさん時間を使って暇つぶしをしました。その結果ですが、さまざまな感情、知識、人に出会い、やりたいと思うことが見つかって、本業をはじめ自分がやりたいと思うことが、今できているわけなのですよね。
2025年
1ヶ月経ちましたが、社会ではいろんなことがありました。でも、ほとんどどうでもいい事ばかりです。千年に一度の美女がパワハラしただとか、某テレビ局が色々やらかしてしまっただとか、本当にどうでもいい。雑音でしかない。こうした雑音にしか触れられなくなってしまうようでは、電子機器やSNSとのお別れも直近だなと、そう感じることも増えています。とはいえこれは、2025年に入ってからというよりも数年前から続いているので、ディストピアへ向かう旅路の途中といった感じなんだと思います。
仕事では、いよいよ社会人2年目に王手がかかり、目標とする「数字」が背負わされるようになりました。詳しくは言えないけれども、「数字」を追うということは、KPIを重んじるということです。いよいよきましたか、と感じました。そこで思い出したのは、大学時代に出会い、わたしが一方的に恋焦がれる、ある人のブログ。
KPI至上主義
事業を立ち上げてから2年近く。いわゆる広告業務から遠ざかり、日々命を削る経営者やアーティスト達と時間を共に過ごしていると、デジタル領域で叫ばれている「売上・コンバージョン・KPI達成」を追い求めているというだけでは説明できない熱量で生きている人達が、自分の友人たちをはじめとした身の回りや広告経済圏の外に沢山いることに気づく。
Mitsunaga Takaya 「THINK」より
あ〜俺も「売上・コンバージョン・KPI達成」を追い求めちゃってるわ〜、と実感中。会社に属している以上、感じるべきではあるのですが。ただ、わたしは今の仕事を、こうした目標達成とは別文脈で楽しめているから、これに縛られて苦しくなった時の避難経路は確保してあるし、少し離れた距離から仕事を捉えることができているのだと思います。ただ、これらの指標では「説明できない熱量で生きている人達が、自分の友人たちをはじめとした身の回りや広告経済圏の外に沢山いる」事実には焦りがある。
そう思っていた矢先に、先日高校の後輩が1枚のアルバムをリリースしたんです。彼の名前は田山ショーゴ。アルバムは「宇宙旅行」という作品。
彼が音楽を続けているのは知っていたし、彼の音楽が自分の好みに合うことも知っていたのだが、ここ数年作品のリリースがなかったのでやっぱり就職とかするのかな、なんて思いを馳せておりました。そしたら3~4年越しにこのアウトプットが世の中に放たれているわけです。しかもめちゃくちゃ良くて、くらってしまった訳です。(フジロックのフィールドオブヘブンがとても似合う。)聴いてみると、一貫した彼の音楽スタイルがあり、その周りを彼が敬愛しているであろうアーティストの面影が支えている。つまり、他者への熱狂が最高のアウトプットを産んでいると感じました。4年間はこのためにあったのかもしれないと本人は言う。初めて「売上・コンバージョン・KPI達成」を追い求めているというだけでは説明できない熱量で生きている人達を身近に感じた瞬間だったんです。
これから
わたしも「売上・コンバージョン・KPI達成」を追い求めているというだけでは説明できない熱量で生きている人達の一員になりたいと思って大学生時代から何かに打ち込んできた訳です。でもなれなかった、それはどこかで彼らの一員になりたい、彼らのようになりたいと思ってしまっているから。つまり、彼らの一員になるための手段でしかなかったんだと思う。でも本人たちは、目の前のことにただ打ち込んだ故の客観的な評価がそれな訳です。
今まではなれなかったけど今は違う。心から打ち込めている本業の存在もあるし、自主出版やものづくりの企画も少しずつではあるけど進められている。誰かみたいになろうとするのではなく、自分が少しずつ手を動かしながら挑戦的に進んでいくことで"自分"になる、なってやろうと思うわけです。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。