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「POPEYE」の文体の話をしよう。

雑誌「POPEYE」は、「シティボーイ」という
カルチャー用語を生み出した雑誌で有名。

紙媒体が発信元となってカルチャーが
形成される時代はもう来ないのかな、、、
と、ふと思ってしまう。

写真や特集、コラムなど様々な企画が
編集という手法によって
まとめ上げられている訳だけど、

僕(シティボーイの一人称は「僕」)
は、あえて「文体」というもの注目してみる。

ここでの「文体」の意味としては、
①文章の様式
②筆者の個性的特色

の2つがあるらしいけど、
基本的には②の意味として扱っていきたい。

先日、文体に関して、

文体を持たない人間は
自分の中に尺度を持てずブレ続ける

などというツイートを発見した。

半分共感、半分そんな事ないやろ。
みたいな感じで受け取った。

そこに共感したのは、
「POPEYE」が「POPEYE」たるための
手段として、文体の確立を行っている
と感じたから。

そして、
そんなことないやろと感じたのは
文体を持っていても、内容によって
ブレるもんはブレると思うから。

「読む」という行為も一種の対話
だと思っていて、

文章側から語りかけてきて、
それに対して思うことを心の中で
感想として保持しておく。
(場合によっては外に出す。)

だから、文章側の文体が、
いわゆるコミュニケーションにおける
口調と同じ意味を持つ存在だと感じている。
そして、一種の世界観の形成につながる。
(当たり前っちゃ当たり前。)

自分は、文章を読むとき、文章の
書き手の声を想像して読んでしまう。

文体を確立すると、
確かに世界観はブレないし、
読み手の主観に入り込みやすい。

没頭しやすい。

と、まぁ文体の話はこの辺にしておいて、
気になる「POPEYE」の文体を
深掘りしていこう。

特徴的な表現は

「・・・しよう。」
「・・・らしい。」
「・・・かも。」

といった、「緩さ」の文体。

そして、

見出しにも、「。」をつけるこだわり

この2つの特徴に目をつけた。

俗的に、「POPEYE構文」、として
おじさん世代からは敬遠されているようだ。

確かに、いやらしい優しさを
含んでいるとも感じ取れる。キザな感じ。

でも、なんか、この世界観は
今こそ必要なものだと感じるんだよな。

自分は社会学等々を勉強していないから
詳しいことは言えないけど、

「スローライフ」や「アンチハードワーク」、
「ご自愛大歓迎」的な文脈がある
ここ最近の時代背景を考えると、
(間違ってたらごめん。主観です。)
まさしく、必要とされている文体だと思うな。

「緩さ」からは、

「紹介するけど強制じゃないよ。」
「一緒に見てみようか。」
「絶対じゃないよ。」

というニュアンスが感じられて、
読んでいて、心地がいい。

さらに、「。」を使うことで、
文章が口調に変わるのである。
タイトル、見出しにも使われているんだよね。

例えば、同じ見出しでも、

料理の話


となっているのと、

料理の話。


となっているのとだと、
後者の方が、声を感じることができ、
より暖かみを感じる。
(わかるかな、この感覚。)


「POPEYE」は、生活者に対する
寄り添いの雑誌なのだ。(と思う。)

お洒落な人しか読むことが許されない
格式高い雑誌だと思っている人も、
もしかしたらいるのかも。

もちろん、扱うテーマ的にそういった人が
雑誌を取り巻くカルチャーを
作ってきたのは間違いないと思うけど、

なんか、
実際はそうじゃないと思うんだ。

そう感じ取っても許される雰囲気を
「POPEYE」の文体からは感じ取れる。
(許されなかったら本当ごめんなさい。)

今回はこの辺で。
もっと「POPEYE」の文体については
話したいことが多くあるので、
気が向いたら、続きを書くかも。





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