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立ち眩みを発症したのでまた書く。

最近、立ち眩みを発症した。

金曜日の夜、寝ようとして頭を下ろした。
するといきなり視界が回転した。激しい嘔吐感が湧き出して、
口の隅から唾液がじわりと分泌された。
吐かなかったけど少し驚いた。

僕は9月頃、放デイを辞めた。そして11月に放デイに転職した。新放デイ。
務めて二週間たったころだった。それで健全な生活リズムに疲れたのかもしれない。あと肩こりがひどいのとスマホを見過ぎて目がバグったんだと思います。

そういう感じなので、最近の自分について書きます。

前の放デイでは子どもに怒ることもまま、あった。というか学童に勤めているころから、怒らないことは無かった。言うことを聞かない子どもは毎日聞かない。だから注意する→聞かない→だからもっと注意する→怒られ慣れ過ぎてるから聞かない→ぼくは、あきらめる&放置。がこれまでのどの職場でもあった。ひどく疲れているときはめっちゃ怒った。あとムカつくことが重なるとめっちゃ怒ってしまう。それは子どもだけでなく、いやな同僚とか。うざい業務フローとか。とかとかとか。

それが預かり系施設の常だと思っていた。
しかし新しく務めた場所では、「子どもを叱らない」が信条としてあった。
叱ると子どもは楽しい気分にならない。そして信頼関係が生まれない。
頑張る気力も生まれない。だから怒ったらダメ。ってことだ。

怒らないためには、児童が問題行動をしないですむ構造が大事だ。また職員への不衛生要因がないことが大事になる。
つまり新放デイではそれ徹底しようという風土があった。

土日が休みだった。そして上司が高圧的でないし、怒らない。優しく親切に接してくれる。(ちなみに僕より年下だ。)
研修が充実している。
施設が広くて働きやすそうだった。
なんかの共済に入れる。
そして四月入社の新卒が三人もいた。これには馴染みがなかった。
だって放デイなんておばさんとかして勤めないイメージだったから。

おかげさまで今のところうまくやっています。

土曜の朝になっても立ち眩みは治ってなかった。
寝たら治るかなと思ったけどダメだった。
だから肩と首のヨガをした。
けれども良くなる兆しは少なかった。
諦めて今日は一日中寝ることにした。

仕事の心配がなくなった僕は、
新しいフェーズについて考える余裕ができた。
自分的に新しいフェーズだ。
つまりそれは「一人で生きる」という考えだ。
(「独り」でないところがポイント。)
つまりフリーランス。そうフリーランサーだ。
前職の放デイではハラスメントおばさんにお世話になった。さらにその前は、学童での送迎や子どもの声のうるさい騒音に耳がバグった。(たぶん労働安全衛生基準から外れるレベルだ。)
経営者に「有給とって勉強するな。」と言われたこともあった。
洗剤の備品を依頼して買ったはずなのに、こっちには供給されずになぜか別の部署の奴らが使ってた。

僕は邪魔されるのが嫌いだ。(たぶん、あなたが想像する十倍くらい。)

どこに行ってもムカつく奴がいた。
みんな邪魔だった。そんな奴らしか世の中にいないかと思った。
今まで生きてきてそう思ってる。
どこにでもいる。一人くらい。
そんな奴らは早々に隠居してほしい。


だから心底嫌気がさして、それで関わりたく無くなりました。児童福祉に。

色々、悩む中で自分について分析してみた。
やりたいこととか、成功法則とか、苦手なこととか。自己分析した。

「賢い」以外にも人の長所はある。
読んだ本に自分の成功法則を書くと良いってありました。


僕の人生からしてみれば、将来は引き際で潔く引けるようになりたい。だからそうなれるように今から頑張りたい。そこで一人で仕事をする道を模索することにしたのだ。

例えば、植物を売って副収入を得ること。これは前からの趣味。
あとレゴでオリジナル作品を作って、ブログを書いて広告収入を得る道。
実家の田んぼで米を作ってJAに売って金を稼ぐ。
ライティング系の副業をやってみたい。
植物のYouTubeを作って広告費を稼いでみる。(レゴでもいい。)
部屋の間取りもリニューアルして植物とレゴのできる部屋にした。
そんな感じ。

植物を育てる棚、右はレゴ を作るためのスペース。
窓際の方がよく育ってます。

だけどいきなりやっても収入など皆無なので、
一応放デイで働くことにした。別に放デイじゃなくてもよかった。
植物屋のバイトでもいいかなとか、また子どもの城で働いてもいいかな。とかも考えた。でもやっぱ稼ぎたいなと思って、なんにしろ金は要るだろうと思って、その中で自分に一番できることだから放デイにした。今まで経験してきたし社会福祉士資格も活かさないともったいないから。でも児童福祉業界は諦めることにしてる。要するに「繋ぎ」だ。

これが僕の自分的に新しいフェーズだ。


めまいに加えて頭に血が詰まったような感覚があった。
肩がこるし、目の上がふわふわとした。
椅子から立つとき、お茶を飲むのに頭を傾ける時、トイレから立つとき、
めまいがした。

そのせいで副業っぽいことはできなかった。
レゴもできなかった。
本も読めなかった
植物の世話もできなかった。
何もできなかった。
部屋の植物ライトが僕の目をバグらせようとしてきます。

だから仕方なく寝るしかなかった。
カーテンを閉めて暗くして、
首にあったかいやつを巻いて、
アイマスクで植物ライトの光を阻んで、
季節早めに毛布を使い、
視覚、聴覚を休ませて。
そしてまた寝た。
自分について色々、思い出した。



送迎業務が終わって、学童の玄関を開けた。部屋から子どもの声がやかましかった。子どもの甲高い声や、笑う声やしゃべる声だった。どたどた走っている音、職員が名前を呼ぶ声、口答えする声、うるさいと思った。
いつも1,2時間は車を運転する。多くて3時間以上運転することもある。施設にいる方が少ない。だから疲れる。おかしいと思う。保育の業務をしてない。車の運転ばっかりしていると思う。昨日も今日もそうだった。
帰ってきたとき、今日は女の子が後ろからおぶさってきた。帰ってきたばかりで疲れていた。あと資格勉強の疲れとかもあったかもしれない。それで僕はそれには応じづ冷たく女の子を下ろして、顔も見ずにその場を離れた。とてもかわいそうだったと思う。


部屋の入り口で改札の真似をしていた男の子、僕は用があって部屋に入ろうとした。「切符をだしてください。」と誘われた。僕はうっとおしいと感じた。(と思う。)「いいから入れて。」と冷たく言って無視して通った。去り際、児童に何か言われた。僕はイライラしてたんだと思う。僕はそれになぜかプチンとなって、高圧的に詰め寄って「なんか言った??」と聞いた。

かわいそうなことをしたと思う。

後ろから走ってきた児童に去り際、唾を吐かれた。
頬に水滴がついた瞬間何かと思った。数秒考えて唾だと分かった。
その児童がこちらの様子をうかがいながらも、部屋に入っていった。と言うより逃げた。一瞬で頭に血が上った。それでその児童を追いかけた。
心底腹が立って、今でも忘れない。職責があったから許した。個人的には許してない。

発達障害の気のある児童(そう思うくらい他児と違いがあった。)
じゃんけんに負けても認めなかった。それで他児から批判されていた。
癇癪を起し家に帰ろうとした。それを抑えると暴れだした。それを抑えるのが本当に大変だった。学童施設ではどうしようもないケースだった。ここでしか言わないが、親に問題がかなりあると思う。体がデカいのに一人で抑えた。大変だったし疲れた。

僕は学童の頃は怒ることが何度もあった。とういうか毎日大きな声で何かしら注意していた。ちゃんと並ばないとか。それは子どもが言うことを聞かないからというわけでもなく、たぶん施設の建物の構造とか満足感とか職員と子どもとの関係性とか、職場の衛星要因とかそんなんのせいで、子どもも言うことを聞かないわけだろう。つまり解決することなんかあり得ない環境だった。ストレスフルな環境だ。そんななかでも、自分なりにいろいろ改善して、紙に書いてみたり、ヨガをやってみたり、保育について調べたり、客観視して解決策を調べてみたり、ユチュブったり、そんな感じでいろいろ経験積んで、なるべく怒らなくて済むようにしていた。それは結構いい経験になってる。

だいたい怒ることに関して言うと、怒るのは自分に余裕がないからだ。疲れていたり、外圧があったり、時間が足りなかったり、足を引っ張られたり、一度にたくさんのことを要求されたりして余裕のない状態だからだ。怒らないためには、日ごろから計画的に動いたり、いろいろ準備したり、保育能力を高めたりしていれば、緊急的な出来事を回避することができるので、余裕のない、つまり怒ってしまう状態を防ぐことができると思う。そうでない奴、何年務めていても怒ってばかりいる奴、そんなんは能力が低いといえる。そういう知見を得た。自戒を込めて言いたい。

しかしながら、どうしようもない子に関してはもう殴ってもおかしくないくらいムカついていた。「どうしたらこんな子に育つのか」と思うことあった。正直嫌いだった。大人げなく。
そんな時はもう自分の中で切り捨てて、関らないようにしてた。
結局、学童で子どもと過ごす時間ってすごく短い。できないことばかりだ。社会的役割は限られてる。「その子どもたちはどこか別の機関が何とかしてくれるだろう」と考えて、僕は手を離してた。
極論でいうと酸いも甘いも物事は結局全部自己責任、今後将来その子が何にどう困ろうと、どんだけバカだろうと、自分で責任を引き受けることになる、と思う。加えてそれが自分のせいでなくとも、自分で引き受けないといけない話だ。そういう風に思っていた。僕はそうだった。それに自分じゃなくても、この学童でなくても、別の誰かがやってくれるだろう。そうなるはずだ。そう思って切り捨てた。手を離した。そんなこともあった。

宿題をやらなくて職員とけんかしていた児童。
僕はその児童とできるだけたくさん話した。他児たちが勉強をしている間、
たくさん話した。そしたら割と容易く宿題に促すことができた。

小学一年生の児童、体が小さく高学年の他児からよくいたずらされていた。
4月のはじめ、まだ幼稚園児のようだったその子をドッジボールに誘った。
それから一年間よくドッジボールで遊んだ。他児も交えて遊ぶようになった。2年生になってその子はドッジボールがかなりうまくなった。活躍もできるようになった。

もうこれから会うことは無い子どもたちのことを思い出してた。
今はどうしてるかなぁ。と考えた。


僕は人に壁を作って生きてる。
大学の頃、自分のコンプレックスを直したくてキラキラしてる充実してそうなゼミに入った。みんなバイトしてる。みんなサークルに入って楽しそうに大学生活をしてる。飲み会も好きで行ってる。友達大好き、みんな大好き。みたいな。

自分もそうなれるかなって思ってた。
一般的にそうなるべきだ。って思ってた。
しかしそこで落ちこぼれだった。
発言することが苦手だった。キラキラゼミであることでそれがかなり目立った。倫理観や価値基準も、行動基準も僕とは違う人がたくさんいた。

反発心からかそこに批判的になった。(僕は諦めが悪いと分かった。)
周りの雰囲気を同調圧力のように感じた。
飲み会の好きなゼミだった。
それに行かないことがよくないことだという価値観があった。
みんなと同じように楽しまないとへんだという価値観があった。
酒を飲まないといけないという圧力があった。
乾杯の音頭を取らされたことがあった。僕は無理やり楽しいふりをして、
大きな声で乾杯の音頭をとった。
楽しいふりをせざる終えなかったことにすごく胸が苦しかった。
自分で自分を気持ち悪い奴だと思った。

そこで壁を作って生きてた。
本心をずっと言えずにゼミにいた。

そのことはまだ消化できていない。
まだ文章に書けるくらい整理できていない。
要素が多くて、文章にできてない。

でもそんな中、いろんな人に会って、そうじゃなくていいんだって思うことができてきた。
キラキラである必要がないと思えるくらい
打ち込めるものに出会って、安定した。
自分の支柱と言える本質的なものに基いて立つことができた。

僕は人に壁を作ってる。
ゼミは冷たい奴らばかりだったと思ってる。
「環境が人を変えてくれる。」って言葉もある。
しかし無理なもんは無理だった。

「相談しろよ。」って仲良くない友人に指摘された。
その理由は言うまでも無いことだった。仲良くないから言いたくなかった。
あとは僕の活舌の悪い声をからかわれたことを今でも根に持ってます。

僕はまともな生き方してない。
たぶんみんな僕の人生を聞けば、羨ましいと思わないだろう。

今でも夢を見る
ゼミにいた意地の悪い奴に、いやがらせされる。
そういう被害妄想の夢だ。

怒るやつは馬鹿なやつだ。
怒る以前にどういう環境設定をすれば、人が納得して動くのか考えるべきだ。でも馬鹿な奴はそれができてない。怒る以外の選択肢が思いつかないんだろう。怒られても聞かない子どもばかりだ。だからずっとそれで一人で悩むことになる。無理な努力をし続けることになる。そういうやつは才能がないから辞めた方がいいと思う。

相手に通る伝え方、聞きたいと思う関係性、上手な促し方、
従いたくない精神状態、そうなった前後関係。学校であったこと、
培われたパーソナリティー、言うタイミング

そんなことがいろいろある。

新放デイには怒らないようにしようという文化があった。
そこには新卒の人が何人もいた。

自分は3,4回目かの転職で、この放デイに出会った。
施設長が僕よりひとつ年下だった。
29歳にして僕はそこで、新領域を見ることになる。



長くなったのでここらへんで文章を分けます。



一旦、おわり。




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