人間は悪魔の子孫である/原理講論研究(22)
原理講論の著者は、聖書の御言葉を示すことによって、人間が悪魔の子孫であることの証明を試みています。最初に、ヨハネによる福音書8章44節の御言葉が挙げられています。少し長くなりますが31節から読んでみたいと思います。
ヨハネによる福音書8章31節から44節までの箇所を新共同訳で朗読します。
イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。 奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。 だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。 あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている。わたしの言葉を受け入れないからである。 わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている。」 彼らが答えて、「わたしたちの父はアブラハムです」と言うと、イエスは言われた。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。 ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。 あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」そこで彼らが、「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です」と言うと、 イエスは言われた。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。わたしは自分勝手に来たのではなく、神がわたしをお遣わしになったのである。 わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。 あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。」
ここには、イエスとユダヤ人の間で交わされた議論が記されています。イエスは御自分を信じたユダヤ人に向かって、「真理はあなたたちを自由にする」と言われました。これに対して、ユダヤ人たちは次のように反論しました。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今まで誰かの奴隷になったことはありません。」イエスから見れば、ユダヤ人は確かにアブラハムの子孫であることに違いはないのですが、悪魔から解放されて自由になることを必要としている人々でした。しかし彼らは、自分たちはアブラハムの子孫なのだから、悪魔から解放される必要はないと主張しました。
それに対してイエスは次のようにお語りになりました。「アブラハムの子なら、アブラハムと同じ業をするはずだ。 ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。 あなたたちは、自分の父と同じ業をしている。」この時、イエスはすでに、ユダヤ人の指導者たちの殺意をご存じでした。御自分を殺そうとしている者たちは、アブラハムに倣わずに悪魔に倣っているのだから、悪魔を父とする者たちである、とイエスは言っておられるのです。
それに対して、ユダヤ人のひとりが次のように反論しました。「わたしたちは姦淫によって生まれたのではありません。わたしたちにはただひとりの父がいます。それは神です。」この反論の中で、姦淫というのは、エデンの園における天使と人間の淫行を指していると考えられます。そうだとすると、「人間は悪魔の子孫である」という原理講論の解釈に説得力が増し加わることになりそうです。
イエスを殺そうとしたユダヤ人の指導者たちは、自分たちが悪魔の子孫であることを否定しました。しかし、イエスを十字架へと追い立てた事実は、彼らが悪魔の子孫であることを証明することになりました。
原理講論の著者は次のように断言しています。
「人間は悪魔の子孫であり、したがって、サタンの子孫であるがゆえに、結局蛇の子孫であるということになるのである。では、人間はいかなる経過を経て、堕落した天使、すなわちサタンの子孫となったのであろうか。これは、人間の祖先が天使と淫行を犯すことによって、すべての人間がサタンの血統より生まれるようになったからである。」(p. 102)
このような原理講論の見解を聞いた人の多くは、衝撃を受けると思います。すべての人はサタンの子孫だと言われたら、ほとんどの人はショックを受けるでしょう。しかし原理講論の著者は、さらにたたみかけるように聖書の御言葉を引用します。すべての人がサタンの子孫であることを示す根拠として、原理講論の著者はマタイによる福音書3章7節の洗礼者ヨハネの言葉を取り上げています。そこには次のように書いてあります。
ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。」
ここで洗礼者ヨハネは、ユダヤ人の宗教指導者たちに向かって「蝮の子らよ」と呼びかけています。この激しい非難の呼びかけは、洗礼者ヨハネ自身が創世記のエデンの園の物語を、すべての人がサタンの子孫であることを示す出来事と理解していたことを暗示しています。
さらに著者はマタイによる福音書23章33節のイエスの御言葉を引用しています。そこには次のように書いてあります。
「蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。」
イエスもやはり、ユダヤ人の宗教指導者に対して、「蛇よ、蝮の子らよ」と厳しく呼びかけておられます。
これらの聖書の御言葉は、天使と人間との間に淫行関係が結ばれたという原理講論の主張を根拠づけています。ほとんどのプロテスタントのキリスト教徒は、エデンの園における淫行によって人間が堕落したという解釈を拒絶するかもしれません。しかし、これらの聖書の御言葉を読んでみると、原理講論の解釈が非常に有力であることがわかります。たとえ原理講論の解釈を受け入れることができないとしても、この解釈は、人間に入り込んだ罪の根がいかに深いかということを理解するための一助になると思います。
🟦 世界平和統一家庭連合『原理講論』光言社、1996年。