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内村鑑三は贖罪論に対する批判にどう答えたか

『原理講論』の著者は、パウロの贖罪論を厳しく批判しています。パウロの贖罪論を批判したのは、『原理講論』の著者だけではありません。実は贖罪論に対する批判は昔から盛んに行われてきました。内村鑑三の時代にも、日本国内で贖罪論に反対する議論が巻き起こっていました。キリスト教の歴史の中では、パウロの贖罪論に反対する議論はいつの時代にもありました。原理講論がパウロの贖罪論を批判しているからと言って、それで直ちにキリスト教から逸脱していると断定することには無理があります。ほとんどのキリスト教徒は、自分をイエスの弟子として認識しています。自分をパウロの弟子として認識している人は、ほとんどいません。そのような事情からも、パウロの贖罪論に対する批判は、比較的自由に行われてきました。

とはいえ、パウロの贖罪論にも、それなりのしっかりした土台が備わっています。内村鑑三は、当時の贖罪論に対する批判に対して、明確な反論を提示しながら、贖罪論を擁護しています。この内村の反論を学ぶことは、家庭連合の方々にとって必ずしも無益ではないと思います。そこで今回は、内村が明治41年6月10日の『聖書之研究』100号に投稿した「誤解されし教義/パウロの贖罪論」という記事を取り上げてみたいと思います。

この記事の中で内村はまず、パウロの贖罪論の要旨を次のように簡潔に述べています。

「人は生れながらにして罪人である、故に彼はいくら励みても己を神の前に義とすることは出来ない、故に神は憐愍(れんびん)の余り其独子(ひとりご)を降し給ひ、彼を十字架に釘けて人に代りて其受くべきの罰を受けしめ給ふた、キリストの十字架は一方に於ては聖なる神の怒を宥め、他の一方に於ては悪なる人の罪を潔めた、斯くて彼は二者の間に立て中保となつた、人は今や自己の善行に由ることなくして、唯信仰を以てキリストの功績を己がものとして受け、之に由て神に近づくことが出来る。」(『内村鑑三全集15』岩波書店、1981年、p. 484)

ここで内村は、キリストの十字架にはふたつの側面があったことを明確に示しています。一つは、神の怒りを宥めるという側面であり、もう一つは悪である人の罪を潔めるという側面です。キリストは神と人との間に立って、仲保となられました。仲保というのは、双方の間に立って執り成しをしたり、仲を取り持ったりすることを言います。このキリストの仲保の働きによって、人は今や自分の功績によらずに、ただ信仰によってキリストの功績を自分のものとして受け取り、このキリストの功績によって神に近づくことができるというのです。

しかし、この教義に対しては、強力な批判が起こらざるを得ません。内村は特に二つの批判を挙げています。それは次のようなものでした。

①贖罪論は論理的に不合理である。人はそれぞれ自分の罪を担うべきであって、神であっても人に代わって各自の罪を担うことはできない。

②贖罪論は実際のところ、非常に有害である。もし善行以外に義とされる道があるとすれば、人は善行を怠り、神を信じると言いながら悪を行う結果に至るに違いない。

内村は、これらの批判に対して簡単に弁明することはできないと認めています。そうは言いながらも内村は、贖罪論を不合理なものと見なしたり、不道徳なものと見なしたりした責任は教会にあるのであって、パウロにはその責任はないと述べて、パウロを擁護する立場を取っています。

では内村は、パウロの贖罪論をどのように理解するべきであると主張しているのでしょうか。ここで内村は、パウロの贖罪論を理解するための三つの土台を提示しています。

第一に、パウロが厳格なユダヤ教の教育を受けたことを忘れてはなりません。旧約聖書の中でも特に、出エジプト記、レビ記、民数記において、贖罪はユダヤ人の重要な思想でした。

第二に、パウロが贖罪論を提唱するに至った道徳的な理由として、彼の謙遜があったことを忘れてはなりません。パウロは自分の善行が神に喜んでいただけるとは、どうしても思えませんでした。極めて高いところにおられる神の前で、自分は最も低いところにいる者であり、神の前では自分は無に等しい、とパウロは感じていました。

第三に、贖罪は人生の事実であり、それを実践するべきであるということを忘れてはなりません。贖罪論は単なる理論ではありません。頭でわかったらそれで終わりということではないのです。

以上、内村が贖罪論を理解するための三つの土台を見てきました。これら三つの土台から切り離された贖罪論は、有害でしかないかもしれません。けれども、ユダヤ人の伝統や神の前での謙遜、人生における実践を結びつけて理解する時、贖罪論は私たちの信仰を強め、それぞれの人生において、より良い実を結ぶことになると確信したいと思います。

🟦 明治41年6月10日『聖書之研究』100号、『内村鑑三全集15』岩波書店、1981年、p. 483以下。

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岩本龍弘
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