内村鑑三が到達した寛容の美徳とは
明治26年に出版された内村鑑三の名著『キリスト信徒のなぐさめ』は今日もなお、多くのキリスト教徒を励まし続けています。特にこの書物の第三章「キリスト教会に捨てられし時」の記述に基づいて、内村が寛容の美徳に到達した道筋を追ってみたいと思います。ここでは、明治キリスト教研究会による現代語訳を使用します。
内村鑑三は教会に捨てられた経験に基づいて、異端のレッテルを貼られたキリスト教徒に与えられる慰めを語りました。教会が不寛容であることの根底には、教会が誤りを犯すことがないという教会無謬説があります。内村は教会無謬説も聖書無謬説も棄却されるべきであると主張しています。
「教会無謬説も聖書無謬説と同じく、中世の陳腐に属する遺物として、二十世紀の人心から棄却するべきものです。」(p. 37)
キリスト教徒が他宗教や他宗派に対して不寛容であることの根本には、教会無謬説や聖書無謬説があります。今日の日本のキリスト教会において、いまだに逐語霊感説を堅く保持している人々が少なくないのは、嘆かわしいことです。家庭連合やエホバの証人を迫害するキリスト教徒の根底には、逐語霊感説があります。
教会から冷遇されて捨てられた内村鑑三は、神の御心が行われる場所こそが神の教会であるという認識に到達しました。
「人が世の中に誤解され四方から攻撃される時に、友人が独り立って彼を弁護する所は、神の教会でないのでしょうか。」(p. 38)と内村は指摘しています。内村を追放した教会はもはや本当の神の教会ではありません。むしろ、世間の人々から攻撃されている人を、友人がひとりで立ち上がってその人を弁護するところこそ、神の教会であると言うのです。
内村は寛容の美徳について次のように述べています。
「私は教会に捨てられて初めて寛容の美徳を了知することができたのです。」(p. 38)
教会の中にいた時の内村は、他宗教の中には真理はないと考えていました。しかし、教会に捨てられた後で、内村は自分の考え方を転換しました。その経験を彼は次のように説明しています。
「私は初めて世界に多くの宗教がある理由と、同じ宗教の中に多くの宗派がある理由がわかりました。真理は、あたかも壮大なる富士山のように、偉大でありながら、一方から全体を見ることができないものです。駿河から見る人は、富士山の形はこうだと言い、甲斐から見る人はこうだと言い、また相模から見る人はこうだと言いますが、駿河の人は甲斐の人に向かって、おまえの富士は偽りの富士だと言えるでしょうか。もし自ら甲斐に行って眺めるならば、甲州人の言葉も道理だとわかるでしょう。人間の力の弱いことと真理の無限無窮であることを知る人は、思想のために他人を迫害しないものです。全能の神のみが真理の全体を会得し得るのです。他人を論断する人は自己と神を同一視するのであって、傲慢という悪魔の捕虜となっているのです。自分が人から受けたいと思うことを、その通りに人に与えなさい。私は無神論者でないのに無神論者と見られました。私はユニテリアンでないのにユニテリアンとして遠ざけられました。私を迫害した者は、私の境遇と教育と遺伝とを知らないがゆえに、私の思想を理解することができず、私が彼らと同じ説を支持しないからといって私を異端とみなし、悪人としたのです。私は今後、自分と異なる説を支持する人に対して、そのような見方はしないつもりです。欧米人が日本人の思想をすべて理解することができないように、日本人もまた欧米人の思想を完全に理解することは困難でしょう。そうです、寛容はキリスト教の美徳なのです。寛容でない者はキリスト教徒ではありません。」(p. 39以下)
内村は自分と異なる説を支持する人に対して、今後は異端と見なしたり、悪人と呼んだりしないことを表明しています。
さらに内村は、イエス御自身も追放された御方であったことを指摘しています。
「これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、 総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。」(ルカによる福音書 4章28〜29 節 新共同訳)と書いてあります。イエスはユダヤ人の教会で教師として説教しておられたのですが、集まった人々はイエスを町の外に追い出してしまいました。
追放されたのは、イエスだけではありませんでした。イエスによって目が見えるようになった人も、ユダヤ人の教会から追放されてしまいました。ヨハネによる福音書9章は、生まれつき盲人であった人がイエスによって癒されて、目が見えるようになった奇跡の物語を伝えています。ユダヤ人の指導者たちは、この人を尋問しましたが、この人の証言を信じることができず、この人をユダヤ人の教会から追放してしまったのです。
この見えるようになった人について、ヨハネによる福音書9章34節から39節までの箇所には、次のように書いてあります。
彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」と言い返し、彼を外に追い出した。 イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。 彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」 イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」 彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、 イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
ここでイエスは、目の見えるようになった人の信仰をお認めになりました。イエスも生まれつきの盲人も、ユダヤ人の教会からは追放されてしまいましたが、神は決してふたりをお見捨てにはなりませんでした。この物語こそが、内村を励ましました。教会に捨てられたり、異端やカルトというレッテルを貼られたりすることは、不幸なことではありますが、むしろイエスと同じ境遇に置かれていることを思い起こすことで、私たちは慰めと励ましを与えられます。
教会に捨てられたことで、内村は寛容の美徳を理解するように導かれました。私たちもまた、内村に倣って、寛容の美徳を身につける者となることを求められています。教会から捨てられたり、異端やカルトのレッテルを貼られたりした私たちだからこそ、寛容の美徳を説くことができるのです。他宗教を尊重する寛容の美徳を身につけ、力強く信仰の歩みを続ける者でありたいと願います。
🟦内村鑑三『現代語訳 キリスト信徒のなぐさめ』明治キリスト教研究会、Kindle版、2016年。