noteを続けるためのマインドセット
column vol.556
朝、noterさんの記事チェックをしていると、宇宙かっちー。さんの記事に心奪われました。
「憧れのnoter去りぬまた一人」
非常に考えさせる一句です。
続いて、かっちーさんはこのように言葉を添えます。
noteをはじめたのが約10ヶ月前。
全員が先輩だったのに。気がつけば、、、
私もnoteを始めて一年半、数々の素晴らしいnoterさんの卒業を見送って参りました。
もちろん、卒業した理由はそれぞれ皆さん違うでしょうし、ポジティブな卒業もたくさんあるかと思います。
一方、見送る方は寂しい…。
卒業する方からすると、余計なお世話なのだと思いますが(笑)
翻って自分は何で毎日続けているんだろうと考えてみます。
努力とは言えない「毎日投稿」
最近、リアルな世界でも、私がnoteを行なっていることが少しずつ知られるようになり、声をかけられることが増えています。
大抵第一声が、「毎日書いているなんて凄い」と“努力している“という印象を持つ人がほとんどです。
一方、私自身はあまり努力している感じはありません。
それは幻冬舎社長の見城徹さんの「圧倒的努力」という言葉に圧倒されているからです。
見城さんは普通の努力は努力のうちに入らないと仰っており、「圧倒的努力」をしたものだけが成功を掴むと言い切っています。
では、圧倒的努力とはどんな努力なのか?
見城さんはこのように定義しています。
圧倒的努力とは、
とても単純である。
人が寝ている時に寝ないってこと。
人が休んでいる時に休まないってこと。
そして、どこから手を付けていいかわからない
膨大なものに、手を付け、
最後までやり通すことだ。
見城さんの有名なお言葉ですが、私はこの言葉に沿うような努力はできておりません…(汗)
毎日6時間はちゃんと寝たいし、土曜日は家事やnoteをやるにしても、残りはガッツリ遊びたい。
つまり、自分のできる範囲内でしか努力していないので、誰もが認める成功者にはきっとなれないでしょう。
「成功者」だけではニンジンにならない
そもそも、「誰もが認める成功者」を目指すということが、今の自分にとっては、なかなかモチベーションにはならないというのが正直なところです…。
もちろん、お金持ちになったり、名誉を得たり、誰もが為し得ないことを達成したいという欲がないわけではありません。
山で喩えれば、エベレストの山頂に立てるもんなら立ってみたい。ただ、そこまでの道のりを考えると躊躇してしまいます…。
毎日が想像を絶する辛い日々になってしまいますし、それだったら、高尾山を自然を愛でながら楽しんだ方が人生が豊かなように感じます。
自分の人生観は、そんなものなのです。
それに、お金や名誉などを得るだけでは、幸せになれないような直感があります。
『自分を変える! 大人の学び方大全』の著者である宮崎伸治さんの【「お金があり、有名で、いくらでも遊んでいられる人」が全然幸せになれないワケ】という記事に妙に納得させられます。
〈PRESIDENT ONLINE / 2022年1月29日〉
人間は「お金持ち」「社長」「有名人」など、ありたい自分を求める傾向があります。
つまり、「beingness」の状態です。
しかし、それだけでは幸せにはならないというのが、宮崎さんの言い分です。
それよりも、お金持ちになって何をするのか?社長になって何を実現したいのか?という「doingness」の方が遥かに幸せに直結する。
一言で言うと「意義」を感じてこその幸せなのかな?と個人的には思っています。
もちろん、名誉もお金も手にしていない自分が言うのはおこがましいのですが(笑)
求めるのは「融和的努力」
では、私にとってnoteを続ける意義は何なのか?
一番の要因は、本業にとってちょっとでもプラスになればと思うぐらいです。
もちろん、noterとして大ブレイクできるならしたいですが、それには苦しい道のりが待っている。ただでさえ、仕事で一杯いっぱいなので、これ以上の負荷は難しい…。
だったら、マーケターとしての自分にプラスになれば、それで良いと思いたいのです。
実際、大変お世話になっている会社のマーケティング部長さんから「読んでいるよ」と仰っていただいたり、2年ぶりにご一緒したクライアントさんから「見違えるように成長したね」と褒めていただいたり、本業において成長を実感するなど、繋がりを感じるだけで良いのです。
本業にプラスアルファぐらいであれば、プロ野球選手で言えば、夜に素振りをするようなものです。
無理なことではなく、自分ができる範囲内での努力。
それは10年間のマラソン生活で培ったものでもあるのですが、良い記録を出すために最も重要なのがオーバーペースにならないことです。
身の丈にあった努力と成果を求めていく。欲をかいたら苦しいだけの人生が待っていると思うのです。
もちろん、圧倒的な努力ができる人はそうすれば良いですし、noteよりももっと力を入れたいことがあれば卒業することは、むしろハッピーだと思います。
何を良いかと思うのは人それぞれ。
少なくとも私が継続する上で重要だと思うことを、かっちーさんにあやかって俳句で表すならば、こんな感じです。
継続は 欲をかいたら 続かない
無理のない成果を設定し、自分のできる範囲内で努力する。
今の生活にちょっとプラスになれば良いので、言葉にすると「融和的努力」というのがしっくりきます。
もしかしたら、これは個人的過ぎる話なので、あまりnote継続の参考にはならないのかもしれませんが、要するに、継続を求めているなら自分なりの続ける方法を見つけられると良いですね、という話です。
もしも、noteを続けることが苦しくて卒業しそうな方がいらっしゃったら、何かの参考にしていただきたい本日のコラム記事でした。
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