「決めつけ」の刃
column vol.215
『鬼滅の刃』、『ソードアート・オンライン』、『Fate』シリーズなど、今話題になっている人気アニメにはある共通点が存在します。
それは…
東京都の独立系テレビ局、「東京メトロポリタンテレビジョン(東京MX)」で放送されたということです。
〈東洋経済オンライン / 2021年2月13日〉
キー局などと比べて人もお金も圧倒的に足りない
そんな現実に反して、なぜ鬼滅などのヒットを生み出せているのか?今日はそんなお話をご紹介したいと思います。
「強み」ではなく「弱み」で勝負する
東京MXは20年前、アニメ放送の経験が少なかったのにも関わらず、アニメで勝負することに。強みではなく、弱みで勝負したわけです。
当然、新作アニメの放送権を獲得することができませんでしたが、あだち充先生の『タッチ』など、旧作に手を出すことに。
さまざまな時間帯で旧作を放送することで、アニメ注力の姿勢が外部にも伝わり、徐々に新作の放送権を獲得できるようになっていったそうです。
そして、圧倒的なアニメ枠をつくり、物流作戦で「アニメに強い放送局」というポジションを手に入れました。
自社の「強み」で勝負することが定石のところ、柔軟な発想で弱みを強みに変えたというわけです。
「弱小」を強みに
さらに多くのアニメ関係者は、東京MXで作品を放送する利点として、「局印税」と呼ばれる費用が発生しない場合が多いことも挙げているそうです。
キー局では、「放送がアニメの宣伝になっている」などという理由で製作者側に局印税の支払いを求めます。
世の中「テレビ離れ」しているとはいえ、未だ多大なる影響力があります。キー局がそのような強気な姿勢に出るのは、よく分かります。
しかし、自らをキー局と比べると…、という認識に立たれている東京MXでは局印税を取らないケースもあり、安上がりで放送ができます。
さらに、「アマゾン・プライム・ビデオ」など動画配信もあって、少数でも熱狂的なファンを獲得すれば、ファンが積極的に広めてくれるので、規模の小さなテレビ局でも大ヒット作を生み出すことができるというわけです。
東京MXの「決めつけない」柔軟な考えと仕組み、行動が成功に繋がっています。
当社の社長もよく「決めつけてはいけない」と話します。決めつけることが新しい兆しなどを見落とし、刃となって自らに跳ね返ってしまう。
そんなことを思う事例でした。
ちなみに、「決めつけないことの大切さ」を語ったこちらの記事も合わせて読んでいただければ幸いです。
「わきまえない」ヒーローに共感
鬼滅絡みの記事でもう1つご紹介したいのが、ハフポストの【「わきまえる」ヒーローの時代は終わった プリキュアと「鬼滅の刃」煉獄さんの共通点】です。
ヒーローの概念が大きく変わっています。
〈HUFFPOST / 2021年2月14日〉
ピンチのシーンで
「オレのことは構わず行け!」
と、自らが犠牲となって仲間を逃す。
そんなヒーローは…、今の時代ではウケないらしいのです、、、(汗)
もちろん、「ヒーロー」を形づくる価値の根幹には今も昔も、「利他」の精神があります。
しかし、『鬼滅の刃』の煉獄や『プリキュア』のキュアグレースは自分自身をないがしろにしません。その理由をハフポストの記事はこのように語っています。
他人を守りたいなら、自分を守ることも両立させないといけない。『鬼滅の刃』に登場する有名な台詞にもある通り、生殺与奪の権を他人に握らせていては、正解の見えにくい時代に「あるべき世界」の姿を思い浮かべたり、複雑な状況を引き受けながら守るべきものを熟慮したりする「私」を保てない。そのことを直感するからこそ、私たちはもはや、自分自身をたやすく放り出す「ヒーロー」には心を動かされないのだ。
なるほど…、深い…。確かに、自己犠牲を厭わないことが真のヒーローであるという当たり前の定義は、少し単純化し過ぎているのかもしれません。
そもそも、勧善懲悪の世界にはリアリティは感じません。悪者には悪者の理由がある。逆に、現実世界で単純に善と悪を分けてしまうと、さまざまな分断が生まれます。
もちろん、勧善懲悪の世界を作品として観ることでカタルシスに導かれるのですが。
ただ、以前のように「ヒーローとはこうあるべき」という「あるべき論」で単純に作品を描いてしまうと、共感を得られない世の中になっていることは理解できます。
こういった事例を見ていても、決めつけの刃は「自滅の刃」になってしまう可能性がある。そんなことを感じた本日のトピックスでした。