My history ⑤
今回から大学時代についてお話したいと思います。
この大学時代は色々なエピソードがあり、その後の僕の人生にも大きく影響しているため、3回に分けてお伝えします。
よろしければお付き合いください。
最初の衝撃
1994年4月、日本体育大学 体育学部 体育学科に入学します。
体育学科は所属する部活動によって、横浜と世田谷のキャンパスに振り分けられていて、僕はバスケットボール部に所属するので世田谷の深沢キャンパスでした。
そして入学と同時に実家を出て、大学の学生寮に入りました。
この寮はその名も「日体学生寮」という百数十年の伝統をほこる寮で、ここでの生活もまたすごく大変でした。。
寮生活については、後ほど触れます。
日体大と言えば、各競技からオリンピック選手や日本代表となる選手を多く輩出しているところですから、「これでオレも一流アスリートの仲間入りだ!よしやってやるぞ!」という気持ちでいました。
が、その気持ちは早々に折られてしまいます。。
トップチームの現実
僕が所属していたバスケットボール部は、当時全国トップチームでした。
1年生から4年生まで合わせて200人程の部員がいて、1軍から3軍に振り分けられています。
1軍選手というのは15名程で、さらにその中でベンチに入れるのは、当時のルールでは12人でした。
さらに1年生の1軍枠といのは、全日本ジュニアという高校の日本代表選手だけで、入学前から決まっていました。
全国でバスケの強い高校は、秋田の能代工業をはじめ、愛知の愛工大名電、福岡大大濠、北海道の東海大四高とか、あと神奈川では湘南テックと呼ばれていた湘南工科大付属とか。。
(因みに湘南工科大付属は「スラムダンク」の海南大付属のモデルになった高校で、能代工業が山王工業のモデルです。)
こういった強豪高校と強豪大学は、パイプが繋がっていて、超有望選手は高校2年の夏くらいには既に進学する大学が決まっていたりします。
だから僕のような全国区ではない無名選手は、最初から1軍に入れるわけもなく、セレクションを受けて入部することになります。
2軍は30人前後、3軍はそれ以外の150人に分かれていて、セレクションはこの2軍と3軍の振り分けのために行なわれます。
このセレクションでも、集まったメンバーのレベルの高さに圧倒されました。スピードもパワーもスタミナも、僕がいた環境とは次元が違いすぎる。。
3軍でもインターハイベスト8とか、そんな実績を持っていたり、月刊バスケットボールという雑誌で見たことがある選手がゴロゴロいました。
僕は「とんでもないところに来てしまった」と感じながら、セレクションに挑んだのですが、奇跡的に2軍に入ることができました。
2軍というのは、1軍というプロ集団に近いところにいるチームで、怪我をして1軍登録を抹消された選手が降りてきたりするところで、僕の実績から見るととんでもないところでした。
それと、バスケットボールというのは、身長が高い方が有利なことが多いスポーツです。
全国トップチームですから、190cm台後半は当たり前のようにゴロゴロいるし、2mを超える選手もいます。
僕は181cmで、高校のチームの中では大きい方で、パワーフォワードというインサイド中心にプレーするポジションだったのですが、そんな世界に入ってしまったものですから、僕はチビ扱いをされ、ポジションもシューティングガードへコンバートされたりしました。
練習中もですね、今までのポジションのクセでインサイド、つまりゴールに近い方へグイグイ入って行こうとしてしまうんですけど、インサイドには大男たちが待ち受けています。
ゴール下まで、入っていくと2m級の男たちがハンズアップしていていて、ゴールさえ見えないし、まるで高層ビルを下から見上げているようでした。
先輩やコーチに「お前は小さいんだから」と言われ続けて「オレは小さいんだ」と思うようになりました。
僕の身長は街へ歩いていると一般的には高い方ですが、あの中に入ると「小人」になり、身長感覚が麻痺していました。
凄まじい練習と上下関係
全国トップチームの2軍というのは、あわよくば1軍登録される選手もいますから、僕が想像していた以上のレベルで練習の過酷さは尋常ではありませんでした。
1回の練習時間は2時間くらいなのですが、技術はもちろんなのですが、スピード、パワー、スタミナ、クイックネス等、全てのレベルが高くてメニューをこなすだけでも精一杯です。
そんな中で、1年生は、練習を盛り上げるために常に全力で声を出し、全力で動き回り、上級生に阻喪がないように気を遣いまくるので、1回の練習ごとの消耗がとても激しいんです。
そして練習場所である体育館の使用は、男女共に1軍が優先です。
2軍3軍の練習は、1軍の練習が終わってから始まるので、早くて夜7時から、遅い時は10時から始まることもあります。
バスケットボール部は、日体大の中でも上下関係が厳しいことで有名でした。
入学前から、1年生が奴隷、2年生が下人、3年生が普通の人、4年生が神様、という噂は聞いていたのですが、実際に入ってみると本当にそのとおりでした。。
1年生の頭髪は、短いスポーツ刈りと決まっていました。(角刈りです。笑)
でも「坊主頭」は禁止なんです。「坊主は大学生らしくないから丸めてはいけない」という理由でした。わけわかんないですよね。笑
でも頭頂部の長さは「指で挟んだ隙間から髪の毛が出てはいけない長さ」と決まっているので、超短い角刈りとなります。
はっきり言って「そっち系の人」のような感じです。。
その方がよっぽど大学生らしくないですけど。笑
因みに、2年生は分け目が入らない程度の長さまでは伸ばしていいことになっています。
上級生になると自由になるので、3年生になったとたんに、みんな一斉に髪を伸ばし始めます。笑
とはいえ、4年生になると教育実習や就活で、それなりに整えなければならなりませんから、3年生の1年間限定で、ロン毛にしたり、染色したり、パーマをかけてみたり、周りから「似合わない」と言われようが、色々と楽しむわけです。
「反動」と「限定」のパワーは凄いです。笑
上下関係に話を戻します。
1年生は3年生以上の上級生に自分たちから直接話しかけてはいけません。
上級生に用事がある時は、2年生を通して伝えてもらいます。
上級生から話しかけられた時は「ハイ」「いいえ」「存じません」の3語しか言ってはいけません。
それと、バスケットボール部は部員200人の大所帯ですから、もちろん自身が所属している班以外にも先輩方は大勢います。
上級生全員の顔と名前を憶えていなければ、校内で会ったりすれ違ったりした時に挨拶ができず、阻喪となってしまうので、速攻で覚えなければいけません。
上級生は日中の大学内では私服でいたりするので、わかりにくいんですよね。
1年生はスウェットやジャージでいなけらばならなくて、バスケットボール部の目印となるグッズを身につけていて、さらに角刈り。笑
上級生からはこの上なく見つけやすい。
ですから、授業の合間の移動で学校内を歩く時も、常に緊張して周りに目を配ります。
急に目の前にやってきて、
「オレだぁ~れだ?」
なんて言ってくるタチの悪い上級生もいて、いつもヒヤヒヤしていました。
さらにその挨拶はなんですけど、上級生とは学校内で会っても、外で会っても、こちらは見えたところから立ち止まって、鞄を降ろして静止しなければならず、近づいてきたら「こんにちは!」と大きな声で挨拶をして、45度の礼をして頭を下げたまま先輩が通りすぎるのを待ちます。
通りすぎたら、そちらへ体を向け、先輩が見えなくなるまで静止して待ちます。
学生寮からキャンパスまでは歩いて5分もかからない距離で近かったのですが、先輩とすれ違う度に暫く立ち止まらなければならないので、それを見越して授業へ行く時は早めに寮を出るのですが、それでも何人もすれ違うと、なかなか進まずに授業に遅刻してしまうこともあります。
命がけの合宿
2軍と3軍の練習は、学生トレーナーがヘッドコーチとして仕切ります。
トレーナーは、1軍として活躍するには少し及ばないけど、2軍3軍のチームではスタメンを張れるという選手が、2年生の終わりに指名されます。
そして3年生で各班のキャプテンとなり、プレーヤーとしては3年生で引退して、4年生でトレーナーになります。
夏合宿はそのトレーナーの出身都道府県で行われることになっています。
僕が1年生の時のトレーナーは、北海道の東海大四高出身の方だったので、
札幌で合宿をしました。
合宿期間は1週間。
因みに、この合宿もそうですが、普段の練習や、試合、会合で集まる時などの1年生の集合時刻は1時間前です。(2年生は30分前、上級生は集合時間に間に合えば良いということになっています)
練習時間は、高校の合宿の時ほどは長くありませんでしたが、密度が半端なく、とりあえず死にます。笑
そして、合宿は完全付き人制で、上級生一人に対して1年生一人が付き人となります。
宿舎から練習場や試合会場へ移動する時は、1年生の付き人がお付きの先輩の荷物を全て持ちます。(上級生は手ぶらで移動します)
自分の荷物もあるし、ボールや練習で必要なツールも1年生が持っていくので、どうやったら全てを持てるかというところから頭を使わなければなりません。
食事の時は、お付きの先輩の斜め前に座り、常に食事の進み具合に注意します。
お茶が半分以下になった段階で注ぎ足し、ご飯が茶碗の5分の1くらいになった頃合いで、後ろから回り込んで「おかわりはいかがなさいますか。」と、お伺いを立てにいきます。自分の食事なんて全然進みません。
1年生はお付きの人より先に寝てはいけないというルールもあります。
頼まれたマッサージをしている最中に先輩が寝てしまうこともありますが、
「やめていい」と言われていないのでマッサージけなければならないし、寝るわけにもいかない。他の先輩が気づいて「もういいよ」と言ってくれるのを待つしかありません。
この合宿は、札幌大通公園沿いの宿舎に泊まっていたので、上級生の人たちは、夜8時くらいになるとビアガーデンに飲みに行っていました。
僕は、お付きの先輩に
「オレが帰ってくる頃を見計らって風呂の湯舟にお湯を張っといてくれ」と言われて・・・
見計らってと言われても困るんですが笑、とりあえず「ハイ」と「いいえ」と「存じません」しか言えないので、「ハイ」と返事をします。。
予測がつかないので、まず10時くらいに一度お湯を張りますが、30分しても帰ってこないし、お湯は冷めてしまうし、追い炊き機能もないので捨てます。これを11時、12時、1時、2時と繰り返して、結局帰ってきたのが朝4時半。。
5時頃ようやく寝ることができたのですが、1年生は6時には起床して、6時半からは朝食の準備をしなければなりませんでした。
恐怖だったのは、夜中に1年生が全員上級生の部屋に呼び出される「集合」でした。
1年の動きが悪いだとか、声が出てないとか、なんだかんだと理由をつけて説教をされる時間です。
ただ、説教をされるだけならいいんですけど、この時にとらされる体勢がヤバいんです。
正座、両手はグーを握って挙手、そして目をつぶらされるという。
両手は耳の横につけておかなければならなくて、この状態で1時間半。泣
正座もキツんですけど、この両腕上げっぱなしはマジでヤバいです。
ショルダープレスでキープしているようなものですからね。。
腕が下がってくると、殴られたり蹴られたりします。
目を閉じているので、突然こぶしや蹴りがとんでくる恐怖とも戦うわけです。
そんな過酷な練習と生活で、1週間の合宿は1ヶ月くらいの長さに感じるのですが、さらに恐怖だったのは、最終日の夜の打ち上げ、飲み会でした。
飲み会も細かいルールがたくさんありました。
最初の乾杯をしたら、1年生は自分のビールグラスを持って上級生一人一人にお酒を注ぎに回るのですが、ここから地獄が始まります。
先輩から注がれたお酒は、ゆっくりでもいいのですが、飲み干すまで口を離してはいけないんですね。
で、飲み干すとまた注がれ、飲んでまた注がれを繰り返し、「もういっていいよ」と言われたら、次の上級生のところへ行き、全員に周り終わるまでこれを続けます。
たまに1、2杯で解放してくれる優しい先輩がいますが、ハマると1人の先輩に20杯も30杯も飲まされます。
もうお酒が強いとか弱いとか、そういう次元の話ではないし、物理的にも短時間でそんなに飲めるわけありませんから、1年生は予め、45ℓのポリ袋をもち歩いて、ヤバくなると「失礼します」と言ってそのポリ袋に吐いて、また継がれて飲むという繰り返し。
さらに、目をつけられている1年生はサラダボウルに日本酒を並々とつがれて飲まされる奴もいたし、1年生対抗負け残り瓶ビール一気大会なんていうのもありました。
もう殺人未遂です。
合宿中は、つら過ぎて帰りたくて、夜中に泣いている同級生もいました。
この合宿と飲み会の洗礼を受けて、乗り越えると、若干部員として認められた感があります。
そして、この合宿の後に1年生にもユニフォームやジャージが届き、袖を通すことを許されます。
憧れていたチームのジャージに袖を通した時の感動は、今も良く覚えています。
この大変な飲み会は年に3回あって、あと2回はインカレが終わって4年生が引退する12月と、4年生が卒業する3月です。
夏にこのヤバさを知ってしまったで、あとの2回の飲み会は、行く前から気持ち悪くなってました。笑
今の時代は、こんなことをしていたら大問題になるし、学生も集まらなくなりますから、こういったこともなくなっていると思います。
それに、今は当時ほど強いチームではなくなっています。
僕らは「チャンピオンチームに所属している」という誇りがあったから耐えられたというのも大きいです。弱くて理不尽なチームなんて最悪ですからね。
上級生にはムカつきましたけど、この下級生時代を乗り越えてきた人たちなんだと思うと、リスペクトゼロではなかったですね。
でも僕は、当時からこんなの違和感だらけだったし、おかしいと思っていました。
ただ、社会人になってからも、この時よりしんどいことなんてありません、マジで。
一度大波を乗りこえておくと、その後の大抵の波は小波やさざなみに見えて、大したことないと思えるし、そう思えることには価値があると思っています。
繰り返しになりますが、この時経験した大抵のことは、正しいとは思っていません。一歩間違えればリンチのようなものだし、命に関わりますから。
ただ、結果として僕は、19歳という若い時にこの経験をしたことによって、打たれ強いメンタルと、強靭な肉体を手に入れたことは間違いありません。
「鉄は熱いうちに打て」という言葉のとおり、若いうちに心身に一定のストレスをかけ、鍛錬するということは必要なのだと思います。
しかし。
しかしです。
もっと別のやり方があるはずです。笑
僕がいちばん問題だと思うのは、こういった経験を妙に誇りに思ってしまい、当たり前の価値観として植え付けられ、他の人に押し付けてしまうことがあるということです。
未だに体罰やパワハラをする学校教師がいますが、僕らのような「閉鎖的で特別な環境」だけで過ごし、社会人経験も踏まずにそのまま教員になってしまうことも、問題の一因となっている気がします。
次回予告
次回は学生寮での生活について、お話をしたいと思います。
寮生活もまた違った意味で「なかなかな環境」でした。笑
この下級生時代のフェーズについて、もう少しだけお付き合いください。
それでは今回も最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。