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#13 Presence Ⅲ
これはまだ僕に子供が生まれる前の話。
2023年12月に今の妻と付き合い始め、
2024年3月に妊娠発覚、結婚を決意。
2024年4月にコールセンターのセンター長に昇格。
2024年6月には限界を迎え、休職届を出す。
2024年8月20日より、以下につづく、休職振り返り記を書き始めた。
2024年8月20日に初回。
2024年8月21日に2回目。
2024年8月25日に、ちょっと熱覚ましを経て書いたのが以下。
Presence Ⅲ
宴会
7/1から休職に突入したが、その手前に大学の同期の飲み会があった。
これはけっこう転機というか、心境を大きく好転させた。
今まで僕は自分の心境、体調に関しては仕事関係者か家族にしか話していなかった。なので基本的には「納得いくまで休めば」が60%、「休むのかよ迷惑だな」が40%のブレンドされた感情を受信している心持でいた。
(各人がどう思っていたか知る由もないが僕はそう感じていた)
が、友人と飲むという行為はそれら両方から解き放たれていたので非常に気楽だった。サウナ後のすっぱだか外気浴に匹敵すると思う。
様々な身内ではない視点での意見、経験談は僕を身軽にしてくれた。
みんなに話す、ということが問題を手に持てるサイズにできたというか、
大きな切れ目の見えない一枚岩の悩み、っていうとらえ方から
カテゴライズされた出来事に変化した感触があった。
あの飲み会がその後の旅行、今のno+eにつながっているので
かなり大きなターニングポイントだったのではないだろうか。
かかわってくれた皆様ありがとう。
通学
前回も書いたが、この機会にさっさと自動車免許を取ってほしい、とのオーダーがあった。
僕は生返事で返した。
正直最初の1週間は自動車学校はおろか何もしていない。
朝起きて洗濯や妻の送り出し。
ラヴィットの鑑賞。
TVゲーム。
昼寝。昼食。
妻を迎え入れ夕食を摂り眠る。そんな一週間だった。
無職生活も一週間が過ぎたころから、ようやく自動車学校への通学を再開した。上記の生活の中に2-3コマ運転する実習が入ってくるくらいで生活は大差ない。でも車を運転する日々はけっこう刺激的だった。
高知県でも最大規模を誇る自動車学校なので人は多い。
設備もきれいで待合室も明るい。
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盆正月時期でもない平日の昼間~夕方に
自動車学校へ通っているメンツはどこか混沌としている。
が、休職中の四十路前日陰者から見ると全員もれなくまぶしかった。
19-20歳くらいのうら若き男女。
同じ若者でも高知県人ではない垢抜け方をした合宿免許ニキとネキ。
バイクのプロテクターを付けた、どこか自由人に見えるバイカーたち。
年齢不詳、水商売のお仕事明けと思われるおばはん。
中型や大型、あるいは2種免許を取りに来ているおじさん。
どうも違反して取り直しになったんだな、という暗い表情のアウトロー。
高齢者教習に参加する翁あるいは媼。
そして夕方から制服のままやってくる、工業高校3年生。
運転
各々が明確な目標をもってやってくる中、なんだか自分だけ浮いている気がした。免許を取って何かをしたい、というエネルギーに乏しい。
嫁とその子供を運ぶわけだが、それ以外にあんまり・・・、という姿勢で後ろめたい。まあでも初めてのことなんだし、挑戦者としてLv.1として参加したんだと思いなおす。
休職以降、物事を前向きに考えたのはこの時が初めてだった。
イヤな教官にあたるときもあったが、いい教官の時は3倍くらい参考になった。気づけば自動車を運転する、という行為はかなり楽しくなっていた。
大質量かつ大きな推進力を持った鉄のかたまりを、
アスファルト タイヤを切りつけながら
操縦するのは自転車と似て非なる全能感。
なんでみんな早く教えてくれなかったんだ、と思うほどに。
まあアンテナの受信感度が低かった自分が悪いんだけど。
結果として8月初週までに
仮免許・卒業検定・本試験のすべて一発合格だったので
今となってはいい思い出だ。
暇潰
それ以外の時間はYoutubeを垂れ流しながらゲームをやっていた。
が、別にレベル上げでもなく上達する必要もないものを日が暮れるまでだらだら来るまでやっていただけだ。作りこまれたエンタメを摂取する元気がなかった。真剣なクリエイターの濃密な作品は、熱量で僕を真っ黒に焦がしそうな気がした。なのでできるだけ気軽な、何も翌日に残らないものばかりを摂取していた。
この頃の僕を生かしていたものをここにざっと紹介する。
STRIKERS1945 Ⅱ for Nintendo Switch
(絶妙に難しくて楽しい)
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スーパーチキン弁当
(家の近所のほっかほっか亭、四国限定、親鳥ガーリック炒め。うまい)
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料理以外の家事
(家庭内のアイデンティティ確立に必要だった)
上記がないと正気を保てなかったというか、社会復帰はもっと遅れていただろう。マジで感謝だ。
そんな何も生みださない生活の中、7月は終わろうとしていた。
ある日、夕暮れちょっと涼しそうだったので散歩に行くことにした。