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振り返る未来 (ペトロ二1:12-15, 詩編103:1-5) 歳晩礼拝

◆過去はどこにある

唐突ですが、「未来」は、どちらの方向にあると感じますか。
 
たとえば、歩く先、顔の向く前方にある、と感じる人が多いかもしれません。未来へ向かって歩いて行く、という姿勢からくるものでしょうか。このとき、前方にある未来の方に自分が進んで入っていくような感覚なのだろうと思われます。
 
同じ前方に「未来」があると感じても、その「未来」の方が自分に向かって動いてくる、と感じる人がいるかもしれません。これも多い可能性があります。自分はじっと立ち止まり、前から「未来」がやってくる。そして、自分の背中の方に消えて行き、過去となってしまうわけです。
 
しかし、逆に感じる人もいるかと思います。「未来」は、背中の方にある、と理解するのです。ちょうどボートを漕ぐように、背中の方に向かって自分が進んで行きます。これは、ある意味で合理的な見方だと思います。「未来」は見えないのです。そして、目の前に見える景色は「過去」だけ。「過去」は見えますが、「未来」は見えません。確かに、考えてみればその通りです。
 
また、同じ背中のほうに「未来」があるとしても、自分はじっと立っている、というパターンもあるはずです。「時」の方が動いて、自分の背中側から、見える前方へ向けて流れてゆくように見える、というわけです。
 
そもそも「時間」が流れる、というのも、不思議な感覚です。「いったい時間とは何でしょうか。誰も私に尋ねないとき、私は知っています。尋ねられて説明しようと思うと、知らないのです」(『告白』第11巻第14章)という有名な言葉を、アウグスティヌスは遺しました。その後も哲学者や物理学者もこれを問うていますが、人類にとって永遠の問いであるかもしれません。あ、この「永遠」というものも、時間概念に基づく表現でした。
 
どうやら、ユダヤ人の捉え方によると、この「後ろ向き」に進むものが標準のようです。聖書文化はそうした背景に基づいている、とも言われます。旧約聖書の解釈集(口伝律法)であるタルムードに、「後ろ向きに座って櫓を漕ぐ」という格言があるのだそうです。
 
ほかにも、フランスの詩人ポール・ヴァレリーは「湖に浮かべたボートをこぐように人は後ろ向きに未来へ入っていく目に映るのは過去の風景ばかり明日の景色は誰も知らない」と言っていると聞きました。さて、私たちはどうでしょうか。
 

◆過去を見つめる

案外、過去を見つめるということを、私たちはしないような気がします。「水に流す」のが得意な日本人は、過去のことはないものにしたがっているようにも見えます。それは、個人的なことに関していうと、「黒歴史」と言われることです。思い出したくもない思い出の一つや二つは、誰にでもあるものでしょう。
 
忘れたいばかりでなく、基本的に普段は忘れています。しかし、ふっと脳裏に現れることがあります。すると「わーっ」などと叫びたくもなるものです。どうかこの頭から離れてくれ。意識しないようにしよう。そんなふうに自分に言い聞かせても、益々そのことが頭にこびりついて、辛い気持ちになることがあります。……ありませんか。とても冷汗どころの騒ぎではありません。
 
でも過去は消せないのです。過去の事実を、なかったものにすることはできません。
 
私たちはそんな過去を見つめることを、避けようとする心理があります。但しそれは、危険なことでもあります。
 
学校での歴史の学習では、古代や中世に十分時間をかける一方で、授業時間が足りないなどとして、しばしば現代史が端折られます。そのようなことが昔はありましたが、どうやら今でもよくあることのようです。日本史であれば、明治維新の異常な変化も型どおりしか教えないことがあるのでしょう。日本の伝統だとか復古だとか叫ぶ人の根拠は、よく調べてみると、この明治政府が日本史を変えてしまった中にあるように見受けられるのですが、そうしたことを教える機会がもてません。昭和初期の戦争を取り巻く歴史も、戦争時の生活も沖縄戦も、さして調べるゆとりもなく駆け足で通り過ぎることがあるようです。こうした歴史への問いの足りなさに対して、文部科学省は、真剣にてこ入れするつもりは全く見えません。恐らく、そこを追究しないほうが、都合がよいからであろう、と私は勝手に推測しています。遠い過去は見つめてもよいが、近現代の過去は見つめてもらいたくないのではないか、と。ひねた見方でしょうけれども。
 
西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が、1985年8月5日に語った演説を、私たち人類は忘れてはいけないと言われています。私もそう思います。特に、その中の言葉が、よく知られています。
 
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」
 
ドイツです。当時はまだ西ドイツです。ここでいう「過去」が、第二次世界大戦に至るドイツの歴史を指していることは明らかです。どうしてドイツはヒトラーを選び、ヒトラーに従い、史上空前の残虐なことができたのか。それを「水に流す」ように忘れればよい、などとはここでは言っていません。過去に目を閉ざすならば、現在のことも何も見えなくなるのだ、と警告しています。あるいは、猛省しています。
 
この演説のタイトルは、「荒れ野の40年」というものでした。聖書を知る人には必ず分かるタイトルです。モーセが率いる形で、エジプトから脱出したイスラエル民族が、荒れ野で40年間さまよい続けた、という物語と重ねています。そう、1985年は、その第二次世界大戦が終わってから40年経つ時でした。
 
一時日本では「戦争責任」という言葉がよく飛び交いました。何でヒートアップしたのかというと、天皇に戦争責任があるか、という問題が叫ばれたからです。右派は、そんなものあるわけがない、との一点張りでしたが、左派も、歴史的な根拠を指摘しなければならないために、終戦当時の出来事を盛んに取り沙汰するのでした。
 
しかし、見方によっては、それは天皇だけに責任があるかのようにする態度であったように見えなくもありません。確かに天皇の名に基づく軍部の命令という形は、決定的でした。沖縄戦で、日本兵が何をしたのか、これは逃れようのない事実です。けれども、それ故に一般国民は、責任を負うということから完全に免れているのでしょうか。いったい、戦争責任とは、何なのでしょうか。
 
キリスト教の内部でも、実はこの問題は、長い間曖昧にされていたのです。このことについては、いまこれ以上は触れられません。キリスト教会たちとて、決してホワイトではなかった、だのに潔く責任を背負っているとは言えない面があるし、私たちキリスト者も、責任を覚えていないという現実がある。この点は、蔑ろにしてよいとは思えなくはありませんか。
 

◆村上春樹

この戦争責任ということを、社会的な立場からあれこれ議論するのではなく、人間の深い内実に問いかける、ひとりの作家がいます。世界的に有名な、村上春樹です。村上春樹の父親が戦争に関わっていた背景からなのでしょう。『猫を棄てる 父親について語るときに僕の語ること』というエッセイ集によって、初めてその父親との問題を明らかにしました。
 
それまでも、『ねじまき鳥クロニクル』や『騎士団長殺し』で、戦争について描くことを試みていましたが、その背景となるものが、そのエッセイ集で強く告白された形になります。
 
でも今日は、戦争責任の方には傾かず、あくまでも未来と過去というテーマを掲げていました。この戦争問題を作品の中で取り上げる際にも、村上は、「過去」というものとどう向き合うのか、時折人物の言葉の中に漏らしています。
 
記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない。(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)
 
歴史、即ち過去は、消すことはできないでしょう。非常に常識的な意味です。しかし、過去は他方で、変えられる、という考え方も時に示します。
 
天吾がやらなくてはならないのはおそらく、現在という十字路に立って過去を誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいくことだ。(『1Q84』)
 
現在を誠実に生き、過去と真摯に向き合うことで、これから書き込む未来の中で、過去すらも書き換わってゆくことができるのではないか、そのように聞こえます。神秘思想のようにも聞こえますが、文学者ならではの、言葉をぎりぎりまで絞り込んで心をねじ伏せる、含蓄深い言葉であるように感じます。
 
対照的に、世の中でよく聞くような言葉が頭を過りました。「過去は、もう済んだことだ。嘆いても変わることがない。現在を、そして未来を生きようではないか」という、いかにもポジティブな言い方です。過去を変えることはできないのだから、くよくよしていても仕方がない。忘れて前を向いて歩こう。こうして日本人は、前進することをよしとすることがあるような気がします。
 
しかし、これを他人に、つまり「水に流せ」と迫るのは、立場の強い方であって、弱い立場の人はそう迫られて、しぶしぶ泣き寝入りしなければならない、という権力構造すらあります。そうでなくても、それは過去から逃げているのだ、と見られる場合があるでしょう。責任をとることから逃げている、その姿勢であるのかもしれません。
 
もう一度、先ほどの小説の言葉を味わってみましょう。過去ですら、変わるのだ、という真実に、目を向けたいからです。
 
天吾がやらなくてはならないのはおそらく、現在という十字路に立って過去を誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいくことだ。(『1Q84』)
 

◆聖書の民は過去を見る

今日は、ペトロの手紙の二つ目のものを開きました。新約聖書の中でも、ずいぶん後のほうになって形成された文書だと言われています。あのペトロがまとめたものではないようです。もちろん、ペトロの考えたものや遺した言葉がそこに入っているかもしれませんが、内容的には、概してパウロの思想を継ぐものだ、と捉えられています。
 
そこには、終末観が漂います。ただ、今日開いた第1章の箇所は、世の終わりというよりも、筆者自身が世を去った後、教会が支えとするべきことを、遺言のように語る場面です。
 
12:それゆえ、あなたがたはすでにこれらのことを知っており、授かった真理に基づいて生活していますが、私はいつも、これらのことをあなたがたに思い起こさせたいのです。
13:私は、自分がこの体を仮の宿としている間、これらのことを思い起こさせて、あなたがたを奮い立たせようと考えています。
14:それは、私たちの主イエス・キリストが私に示されたように、私がこの仮の宿を離れる時が間もなく訪れることを知っているからです。
15:自分が世を去った後もあなたがたがこれらのことをいつも思い起こせるように、私は努めましょう。
 
「仮の宿」とは、この地上での肉体のことです。それを離れることを、すぐ次に「世を去る」という表現で受けていることからも、明らかです。このとき、筆者は教会の人々に、仲間に、「これらのこと」としきりに言うものが分かっています。いろいろ具体的にも書かれていますが、要するに「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵み」(1:11)に関わることだ、と言ってよいでしょう。
 
それは一見、未来へ目を向けているようですが、私はそうは感じません。視線は、イエス・キリストの一点に集まっていると思うのです。言葉を換えて言うならば、視線は「過去」の方向に向けられていると思うのです。
 
聖書の民は、「後ろ向き」に進む時間意識をもっているのではないか、と最初に言いました。思えば、旧約聖書は、徹頭徹尾、過去を見つめています。もちろん、預言者の書は、未来の終末や神の裁きの日を描きます。しかし、そこをひたすら見続けているというよりも、そのようになるぞ、というある種の幻のように掲げているだけであるようにも感じられます。
 
それに比べると、何かと「思い起こせ」と迫るのが旧約聖書です。詩編などを見ても、特に「出エジプト」の出来事が、あらゆることの根拠となっているような言い方をしていることに、すぐに気がつきます。いかにも創世記がイスラエル民族の基盤であるかのような印象を与えますが、敬愛するアブラハムや、イスラエルの名の由来となったヤコブが目立ちはするものの、イスラエルの歴史に決定的な影響を与えたのは、なんといってもモーセです。
 
何かと言えば過去を想起し、特に出エジプトの出来事が、いったい幾度言及されたことでしょうか。何かと言えば飛び出してくるのが、エジプトから出た話であり、モーセの姿であり、荒れ野での民の生活のことであります。
 
旧約聖書を読めば読むほど、この民族のアイデンティティは、出エジプトの出来事の中にあることを、ひしひしと感じます。そればかりではなく、そこでこそ、あらゆるイスラエルの中心にある律法が授けられたのでした。モーセが書いたとされる五つの書です。
 
このことは、イスラエル民族にとり、「自分たちがどこから来たのか」という問いを立てるときにも、答えとなりました。「人はどこから来たのか」は哲学的にも非常に深淵な問いだと言えますが、聖書の民は、その解答を旧約聖書の中に有っていました。常にその過去を見つめ、過去に留まり、過去にこだわる生き方が、その民らしい生き方として受け継がれてゆくことになったのです。
 

◆数えてみよ

私たちは、聖書に倣って、過去をしっかりと見つめ続けるようにしています。いま皆さんは、ボートを漕いでいます。進んで来た水面には、そのボートがつくったVの字にも似た波が続いています。背中の進行方向は見えていません。未来は定かではありません。しかし、オールを漕ぎ続けるのは、とにかく未来へ向かった進むためです。そちらには、神が用意した場がちゃんと待ち受けている、と信じています。
 
目の前に拡がるは、過去の姿。それは確かにそのようなものとして目の前に現れます。そこに、何が見えるでしょうか。嫌なこと、辛いこともあったでしょう。苦しい思い出が蘇り、叫びたくなるかもしれません。自分のしでかした失敗のことを思い出した人もいるでしょうか。でもまさか、そこに拡がる景色が「黒歴史」ばかり、ということはありますまい。何故って、あなたはイエス・キリストと出会ったからです。
 
イエス・キリストがもたらした宝石のようなものが、時折水面にきらめいていませんか。淀んだ水の中に、あれはダイヤモンドかしら、と見紛うような何かを見出すことが、きっとあるでしょう。そう、それは確かにダイヤモンドでした。自分がつくりだしたものではありません。イエス・キリストの輝きです。キリストに出会って、救われた自分の、あのときの喜びが宝石になっています。
 
いまその過去を改めて見ると、分かることがあります。以前、苦しい時があった。祈っても祈っても、うまくゆかない。なんとか死ぬこともなくその後を生きてきたのだが、いまその時の景色を見ると、岩か木かに、あのまま進めばぶつかっていたようなコースを、ぎりぎりで避けてボートが進んでいたことが分かるではありませんか。あのとき揺られて振り落とされるかもしれないと案じた、あの進行の乱れは、危険回避の道だったことが分かります。過ぎてから、過去を見つめれば、それが益であったことが分かります。
 
そのように、主なる神から助けて戴いたことが、やがて見つかります。あれもそうだった、これもそうだった。思えば、自分の人生は幾度も幾度も神に助けられてきたのだ、と気づきます。それも、自分では嫌がっていたあの時に、神が揺らして針路を変えてくれたということが、過ぎた後ならば、よく分かるのです。
 
それを「恵み」と称することが可能だろうと思います。主の恵みは、いったい幾つあったのでしょう。それを数えよ、と促す詩編があります。詩編103編の冒頭部分を聞きましょう。
 
1:ダビデの詩。/私の魂よ、主をたたえよ。/私の内なるすべてのものよ/その聖なる名をたたえよ。
2:私の魂よ、主をたたえよ。/そのすべての計らいを忘れるな。
3:主はあなたの過ちをすべて赦し/あなたの病をすべて癒やす方。
4:あなたの命を墓から贖い/あなたに慈しみと憐れみの冠をかぶせる方。
5:あなたの望みを良きもので満たす方。/こうして、あなたの若さが/鷲のように新しくよみがえる。
 
「数えてみよ、主の恵み」という賛美歌は、私たちを元気づけてくれる賛美の歌の一つです。その歌は、この詩編102:2を基にしてつくられていると言います。それをもう一度、できたら皆さんとご一緒にお読みしましょう。
 
2:私の魂よ、主をたたえよ。/そのすべての計らいを忘れるな。
 

◆年の瀬に未来を見る

年の瀬。そんな言葉も、なんだか古めかしくさえ聞こえるようになりました。年内に借金を返すとか、歳神を迎えるために年内に大掃除をするとか、そういう古来の慣習も廃れてきました。それでいて、お節は健在ですし、人々はこのときだけ神社に足を運びます。初詣です。
 
今年は良い年になりますように。柏手を打つ作法を確認する人、しない人。その神社が誰を祀っているのかを殆ど知ることもなく、拝む対象についてはあまり考えていない人が多いのでしょう。
 
良い年になりますように。私たち日本人は、このように「なる」という言葉を使います。「する」というよりも、「なる」というほうが、自然に口を突いて出てきます。学校では、「れる・られる」の意味のひとつとして、「自発」という概念を教えます。「昔のことが偲ばれる」は、というような使い方です。人が何かをしなくても、自ずからそのようになる、という様子を表す言葉です。「れる・られる」には「受身・尊敬・自発・可能」という四つの使い方がある、と教えますが、そのうち元来の意味は「自発」であった、と言われています。他の意味は、その「なる」を基にして発生したのだ、と。
 
自然の中に身を浸している人間の姿。そこには、自然に立ち向かう意志のようなものは見られません。そこには、とても「未来を創る」というような逞しい雰囲気は感じられません。しかし現代の私たちは、「未来を創る」という考え方を、ごく当たり前のように捉えているのではないでしょうか。自分を信じ、未来を創ってゆく。それが勇ましい生き方であり、望ましい人生であるようなイメージが、子どもたちに与えられます。大人たちとて、本当はそんなふうにうまくゆかないことを、たぶん知っているであろうものを。
 
出エジプトの出来事が、イスラエルにとり大きなものであったことを、聖書を読む私たちは知っています。モーセが何十万という人を率いて更新する姿は、いかにも壮観です。荒れ野とは、決して砂漠ではありません。しかし、見渡す限り特に何もありません。何者かに語りかけるとすれば、もはや天に向かって叫ぶしかないような場所です。モーセも、そのようにして、神と対話をしたのではないかと想像しました。
 
ユダヤ人は、この「過去」を見つめています。ユダヤ人もまた、「未来を創る」という強い意志を自分の中にもっているわけではありません。しかし、それは自然に「なる」ということではありません。断じて、ありません。それは「神がなす」ものである、と固く信じています。神の意志が実現するものとして、「未来」を装丁しているのではないかと思います。
 
年の瀬に、日本人としての私は、来年が「なる」という感覚を、捨て去ったわけではないようにも感じます。しかし同時に、キリスト者として、それは神が「する」、ということも、確信しています。それは、自分が思い描いた形としてできてゆく、というようには考えられません。「未来」は、やはり私の背中の側にあって、いまは視野から隠されています。ただ、だからそれは恐怖や不安の対象だというではなく、神が備えている平和がある、と信頼していくつもりです。
 

◆将来を振り返る

眼差しは、自分の経験してきた過去に向いています。そこには、二度と思い出したくもない「黒歴史」すら鏤められています。見つめなければならない「黒歴史」もあります。そこに「責任」が伴う場合があるからです。そんな「責任」などない、とそっぽを向くのは、自己欺瞞となります。多くの人が、そのようにしたい心理をもっているにしても、まずは認めなければならない、とすべきだと考えます。
 
「良心の呵責」というふうに捉えてもよいでしょう。しかし、自分の犯した罪の歴史を抱えていることに向き合うのは、辛いことでもあります。カウンセラーという立場の人は、そこから人を少しでも安心させようとしてくれます。教会の牧師もまた、そうしたカウンセラーであるべきであって、「牧会心理学」という科目も、神学校で学ぶようになっていることだと思います。けれども、その牧師自身が一番メンタルがやられる立場にいる、ということも近年は指摘されるようになってきました。牧師のためのカウンセリングが必要だ、と言われ始めているのですが、あいにくその「牧師」たる人々が少なすぎる日本においては、そのために特化したカウンセラーなど、指折り数える程度しかいないように思われます。
 
自分が実は辛い心でいるのだ。そのように自覚するだけでも、一歩前進なのだ、と説明されることがあります。たいていは、その辛い自分に気づいておらず、そのためにますます自分で自分を追い込んでしまい、重症化してゆくのだそうです。
 
辛さに気づくには、過去を見つめる勇気が役立つように思われます。キリスト者は、それを「恵み」として見る眼差しを与えられています。黒いものは「罪」だと認める魂を与えられています。そうした心をもつことが、キリスト者である条件のようなものなのです。
 
まだボートを漕いでいてくださいましたか。過去から目を背けず、じっと過去を見つめていてくださいましたか。そのとき、「未来」は背中側にありましたね。では、その「未来」を見てみましょう。私たちは、首を捻り、「振り返る」ことによって、「未来」を覗くことになります。未来を振り返りましょう。
 
いえ、私はむしろ「将来」と呼びたいと思います。「未来」は「未だ来ない」の意味ですが、「将来」は「将に来ようとする」意味だからです。神の約束のその「時」は、必ず来るのであり、いまにも実現するという信仰が、ここには関係しているからです。
 
その「将来」には、何があるでしょうか。私は、きっと「光」があるのだと思います。プラトンの「洞窟の比喩」をご存じの方は、哲学的な営みで、この動きのことがお分かりだろうと思います。暗い洞窟の中で人間は奥の方を向き、外からの光を受けてできたものの影を見ているに過ぎない。それを実在だと思いこんでいる。あるとき振り向いて、光と実在の正体に気づいた者が現れて、その感動を他の人々に知らせるが、ちっとも信じてもらえない。そのような比喩です。ソクラテスは、そうやって光の世界、それをプラトンは「イデア」と呼びましたが、それを人々に問いかけ語ったのでしたが、反感を買って裁判で死刑が確定しました。
 
イエス・キリストは、何もこのような「イデア」を論じているのではありません。しかし、過去をよく見つめ、自分の罪を知り、神がそこにいて働いていたことを知るならば、「将来」を振り返って見たとき、そこに神の栄光が待ち受けていることが分かるでしょう。神の備えた、神の国の宴が、光の中に浮かんで見えてくることでしょう。
 
年の瀬に、改めて、「過去」を見つめ、それから、「将来」を振り返ることは如何でしょうか。そこには、光があるのです。

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