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戦勝記念日

何人か、いたかもしれない。たんに私が見過ごしているだけかもしれないが、9月2日ないし3日に、終戦を覚えるような人とは、殆ど出会うことがなかった。
 
アメリカの軍艦ミズーリ号上で、降伏文書に日本の代表が調印したのが、1945年9月2日だった。歴史的にそれの詳しいことについては、どうぞまた専門の人が説明して戴きたい。この手続きにも、天皇の「詔書」に基づいてだったというから、当時は何事にも天皇の意図の中で事は運ばれねばならなかったらしい。ただ、8月15日を崇めるというのは、これは完全に天皇を拝しているような特殊なものなので、天皇制を問題視していながら、8月15日しか終戦について考えないというのは、矛盾であり、体よく操られているだけのものであることは、再三申し上げてきた。
 
自国内の事情により、翌3日を戦勝記念日としたのは、たとえば中華民国であり、ソビエト連邦であった。が、ロシア連邦は、近年2日に改めようとした。それに対して一部の人々が、やはり3日にするように、と意見書を出したところ、最終的にはプーチン大統領が可決された法案に署名している。2年半ほど前のことである。
 
これに基づいてか、2022年9月3日、ロシアは、択捉や国後の演習場を含む極東の何カ所かで、戦勝記念の行事を軍事的に行っている。このことについても、殆ど誰も注目していない。
 
平和運動も、軍国化への批判も、多くは感情だけのものである、とも言われる。それは、いざ感情が別の方向へ流れれば、いまそれらにつく人々も、結果的に全く逆の勢力にいつでも早変わりするという危険を有している、ということである。少なくとも福音書を読み、人の罪というものを自分の問題として痛感するキリスト者であれば、「十字架につけろ」と連呼していたのが誰であったのか、知っているはずである。

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