哀しみの一年
実は、この一年、かなり滅入っている。猫のことだ。否、友だちと呼んだ方がよいかもしれない。
妻を支え続けてくれた猫がいた。週に一度は、その地域猫の公園を歩く。その猫、親しく接してくれるのはありがたかったが、ふだんはわりと愛想なしであった。だがその日、やけに妻の顔を覗き込むので、妻は喜んでいた。それ以外に、どこか変わったところは見られなかった。
翌週、公園でいつものように出会ったボランティアさんが、その猫を見なかったか、と私たちに尋ねた。ええ、いつもの場所に来たけれども会えなかった、と応えた。少し前から姿を現わさないので心配している、とのことだった。ボランティアさんは、交代で餌を与え、水を替え、住まいを掃除する。たいへんな労力を惜しまず、地域猫の世話をしてくださっている。誰が餌のときにいなかったとか、誰が怪我をしているとか、逐一情報がグループの中で共有される。何日かではあるが、彼を見た人がいなかった。こうしたことは初めてである。
私たちも、彼の名を呼び探した。心当たりのあるところは皆見た。だが、いない。時折入り込む土管の中も覗いた。いつもなら、そこで声をかけると出てきた。でも、出てこない。思えばそのとき、スマホのライトで、土管の奥を照らせばよかったのだ。その二日後だったか、その土管の中にいた、との知らせが私たちにも届いた。
すっかり病気で弱っていた。嘘みたいだった。地域猫たちは、病気や怪我のときは、かかりつけの動物病院がある。もちろん費用は世話をする団体が出す。私たちも、毎月ささやかながら猫缶などのごはんと、何かと必要な費用を援助するようにしていたから、このときにも少しは役立ったかもしれない。
内臓が、不治の病に冒されているというのだった。地域猫には、外猫として置けないような猫もいて、ボランティアさんが自宅で保護している。彼も保護された。だが、食べる気力もなく、そこで看取ることしかできなかった。動画も見せてもらった。最期の頃には、明らかにチェーンストークス呼吸が起きていた。
私は、猫のことで泣いた。泣けて泣けて仕方がなかった。最後に会ったとき、妻の顔を呆れるほど覗き込んでいたのは、別れを言いたかったのかもしれない、と思った。
私は私で、一番気持ちの通じる猫がいた。三人組で行動するうちの一人だったが、気が弱く、いつでも他人を先に譲るような性格だった。穏やかで、走るところを見たことがない。優しく、穏やかで、私が信用してもらうようになると、寒い時季には、私の膝の上に乗って円くなった。「サイレント・ニャー」をしてくれるのも、彼だけだった。
今年の春あたり、彼の後ろ脚の毛がおかしくなった。ボランティアさんに尋ねると、気になるのだ、ということで、動物病院で薬をもらった。しばらく室内で保護していると、少し回復したように見えたが、完治はしなかった。
公園に戻ったが、やがてものを食べなくなった。彼は友だちとも一緒に行動しなくなったが、私が来ると近づいてきて、いつものように接してくれた。しかし痩せてきたため、今度は脚ではなく、口を開いて診てもらったところ、癌が見つかった。医師の話では、見たことがないほど巨大な癌だった。もう長くないという宣告を受けた。
少しだけ公園での時間があったので、私は頻繁に会いに行った。お別れをしなければならなかったのだ。ある日、彼は力なく私の膝の上に乗った。そして眠った。私は彼を起こさないように、そのままにしていた。目覚めて自分から降りるまで、そのままにしておくつもりだった。
小一時間寝ていた彼は、目覚めると、御礼を言うように私の顔を見て、降りて行った。
その後、益々症状が酷くなり、ボランティアさんの家に匿われた。いろいろ事情もあったが、せめて呼吸ができるように、と手術も施した。それで、息が楽になり、いくらか食べられるようになった。保護されているところへ、二度訪ねることを許して戴いた。いま好物だという食べ物も差し入れた。
だが、訃報が届いた。平日だったが、偶々私が臨時の休日であって、私は彼の葬儀に加わることができた。彼の傍に、好物のものを置いた。もうお腹が空くこともないように、と。彼は応答してくれなかったが、最後の別れができた。
私たち夫婦に、特別な二人をこの1年で見送った。いたたまれない思いに襲われた一年だった。
この二人は、殆どなかったと思うが、公園の猫は、虐待されることもある。公的な警告の看板も出ているが、なくなることがない。一般家庭に迷惑をかけないように、公園内で管理をしているから、それほど憎むことはないだろうと思われるのだが、一定の割合で、虐待攻撃をするタイプの人間がいる。いまはようやく法律でそれを禁じる動きが始まったが、この動物愛護の問題は、難しい側面がある。なにしろ私たちは、動物を殺して食べているのである。また、人間が山野に侵入したり、山野を切り拓いたりすることで、人間と関わるようになった動物を「殺処分」するということはどうなのか、問われなければならない問題もある。
そしてようやく、こうした問題が哲学的に考察されるようになってきた。結論は簡単ではないかもしれないが、一度に普遍的な総括をすることよりも、さしあたりできるところから始めることで、人間にも動物にも益になる道を模索してゆきたいと考えるものである。
こうしたことにも思いを馳せる、クリスマスがあってもよいのではないか。