小林和夫先生を偲んで
小林和夫先生の訃報が飛び込んできた。
恩人の一人である。
細かなプロセスを説明し尽くすことはしないが、私は成人した後、京都で哲学を営んでいた中で、聖書に触れ、強烈な体験を経て信仰が与えられた。どこか教会に行きたいと願い、下宿の近くに通える教会を見つけた。ただ、そこは異端と呼ばれても仕方がないような教団に属するところだった。
私はすでに、FEBCの無料聖書講座を受けていた。自分で聖書を読み、そこで神と出会ったものの、教理と向き合うことも必要だと感じたからだ。
すると、門を潜ったその教会で教えることは、あまりに突飛で、標準的な教理とはぴったり合わないことが分かる。だが、私という人間はどだいそうなのかもしれないが、自分でひょいひょいと行く先を気ままに換えるようなことは好まない。とくにこの信仰の事柄については、あなたが神を選んだのではなく、主なる神があなたを選んだのだ、というような教えも聖書にある。神がここに置いてくれたのだから、自分の思いで動き回ることはしないことを誓うことにした。必要ならば、神が逃れ道をまた与えてくださる、という信仰に立ったのだ。
私に与えられたのは詩編143編であった。そしてやがて、神が道を拓いたことを確信した。新たに与えられた教会は、教理の面からしても、安心して聞くことができる説教が語られていた。なにより、イエスの十字架と復活が確かにそこにあった。
ただ、最初のところで教えられたことが、潜在的にでも拘束する、ということがある。もうひとつ、そこから抜けきれない何かがあったのかもしれない。そして、私にはまだ何か求めるべきものが、きっとあったのだ。
そこへ誘われたのが、「聖会」であった。連休3日間の宿泊により、恵みの集会に浸るのだ。学生で時間があった私は、早速申し込んだ。属した教会はホーリネス教団ではなかったが、ホーリネスとつながりのあるグループだった。そのため、そのときの3日間の講師が、小林和夫先生だったのだ。
ご存じの方はよくお分かりだと思うが、「小林節」とも称される、あの語りには圧倒された。「はり扇」こそ使わないが、講談師のように、調子よく叫ぶように、それはそれは流れるように、福音の言葉が次々と零れてくる。神が立て続けに迫ってくるような力を覚えるその語り口調も、もちろん内容があるから生きてくる。救いの言葉が、波のように押し寄せてくるのである。それも、適切な聖書の言葉によってもたらされるものであるから、何も講師の語りを信じた、という気持ちにはならない。ひたすら、聖書の言葉が注ぎ込まれる、というようなものにも感じた。
私の中の迷いのようなものが、そのメッセージで吹っ切れたのを覚えた。小林先生の著書に、ローマ書講解の『福音の輝き』という本があるが、まさに福音が輝いて迫り、新たな確信の世界が目の前に拓けるのが分かった。
このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。(ローマ6:11)
この「認むべきである」は、新改訳では「認めなさい」と受け継がれたが、新共同訳では「考えなさい」となったし、聖書協会共同訳もその言葉を保持した。だが、小林先生はこの語を「法廷用語」である、と説明した。それは罪であることには違いない。だが、賠償するなどの措置で、前科にならず赦される、というケースがあったのだそうだ。あなたはキリスト・イエスと共に十字架で死んでいる。それを知ると共に、そう認定せよ、受け取るのだ、そういうのである。
本が販売されていた。先に挙げた『福音の輝き』を私は購入した。サインをしてもらえた。ローマ書5:11の言葉をくださった。
説教の、勢いのある強い語りは、その後もラジオなどを通して触れることがあったが、直接お会いすることは、その後ないままであった。著書を熱心に読んだわけでもなく、説教集も、語る魅力と比べると、少しばかり地味なものに見えた。あまり神学的に目立つ業績はなかったかもしれないけれども、人を救うものは、ギリシア語の活用でもないし、聖書を文献として説明する知識でもない。神がぐいぐいと迫ってくるような力を示していた、あの小林節は、やや派手であったかもしれないが、確かに人の心をえぐり、人を生かす、神の救いの手に違いなかった。
神の言葉が、人を救う。説教は、人間的に「感想文」を述べるものでは全然ない。神の言葉が語られるとき、その語り口調によってではなく、確かに救いがもたらされる。ただ、小林先生のような迫り方は、福音を語る誰かによって、今週も来週も、轟いていてほしいと願う。ひとが救われるために。天における喜びが、湧き起こるために。