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復興の途上の国から

詩編107:1-9 
 
「主に贖われた人々」がここにいます。苦しめられていました。「不毛の地」にいました。「苦難の中」にあって、主から助け出されました。「人の住む町」へと「まっすぐな道」で戻ることになりました。その後、「捕らわれ人」(107:10)のような表現があることにより、この詩が捕囚から帰還した民のことをうたっているのではないかと推測しました。
 
救い出されたのです。本来の土地、神に与えられた歴史の深い土地へと帰ることができたのです。口でそう言って喜ぶのは、傍から見ている私たちからすると、簡単なことだと思います。しかし、そこを実際に歩いて戻る人々は、どれほど大変なことだったか、想像を絶するものがあるでしょう。では、この詩を綴った人は、どこにいたのでしょう。
 
どこにいて、何をしたというのか。詩の初めは「主に感謝せよ。/まことに、主は恵み深い。/その慈しみはとこしえに」との賛美でした。これと対句のようにして、8節で「主に感謝せよ。その慈しみと/人の子らになされた奇しき業のゆえに」となっています。22節にも、それを受け継ぐものがあり、31節は8節がもう一度繰り返されます。
 
この詩は確かに主を賛美しています。でも、その他の部分は、かなり冷静にイスラエルの民の情況を説明しています。自らそれを経験したのかと問えば、私から見ると、これはかなり客観的な視点と評価に基づいているようであり、たぶん少しばかり後の世代の知恵ある者が綴ったのだと思われるのです。帰還してすぐでなく、しばらく間を置いている、と。
 
イスラエルはそのときにも、依然乱れた地のように見えたかもしれませんが、復興しつつあったと思います。飢え渇き、命が衰え果てようとしていましたが、民は主に向かって叫びました。主により、乾いた魂は潤されました。飢えた魂は良いもので満たされました。荒廃の中でも、再び立ち上がろうとするイスラエルは、希望をもっていたでしょう。

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